大学院人間社会科学研究科 濵口 和人さん

博士課程の研究内容について

■濵口さんの研究内容について教えてください。
「柔道選手の動作をバイオメカニクス的な観点での研究」を行っています。運動学(キネマティクス)、運動力学(キネティクス)という言葉がありますが、運動選手の動きや力を数値によって明らかにし、技術の向上や障害の防止に繋げていく試みです。私は柔道選手を研究対象としており、具体的には、技をかける選手とかけられる選手の試技中の動作やその際の地面への力の伝わり方などを、モーションキャプチャーシステムやフォースプレートと呼ばれる機器を用いて計測し、研究材料としています。これにより、選手個々の競技レベルや得意、不得意によって投げ技がどのように異なるのかを研究しています。
スポーツでのバイオメカニクス的研究は、近年では陸上をはじめ、野球や水泳、サッカーなどでかなり広まりつつありますが、柔道の分野ではまだ研究者は少なく、国内では数人しかいません。
現時点での研究の成果としては、競技レベルが高い選手の方が、投げる際の回転速度や相手に対するアプローチの速度が優れていることが明らかとなりました。この研究結果は柔道の技術向上に直結する重要な知見であり、2024年度の全国柔道大会で発表したところ、最優秀賞を受賞することができました。私の研究が実践的な現場でも評価された証であり、現在の研究活動への大きな励みとなっています。


■このテーマを選んだ背景を教えてください。
私は中学生の時から柔道を始めたのですが、身体の使い方が現在に至っても不器用なので、頻繁に先生や先輩に投げ技を指導してもらっていました。その当時に感じたのが、先生と自分の動きの何が違うのかが感覚でしか分からないもどかしさです。見えている動作だけを真似しても、地面を踏む力や回転するスピードまでは分からないので、これを数値にして比較ができたら、強い人と弱い人の特徴が明確になり、そのデータを練習に活かすことで強くなれるのかなと考えていたのが始まりです。
その後、高校、大学と進学し、スポーツのコーチングについて勉強していくにつれて、スポーツ指導の現場へフィードバックできる研究であることも重要だと考えるようになりました。例えば、トップアスリートの動作を分析しても、それは一部の限られた人だけの特別なデータでしかなく、一般の競技者にはあまり参考になりません。それよりも指導者が高校生や大学生を指導をする際に、納得させやすい説得力を持ったデータが提供できることを主眼に研究テーマを選択しました。
また、私自身が柔道を要因とするケガを体のあちこちに抱えています。この研究は将来的にケガの防止に役立つ指導方法や練習方法などに還元できる可能性があり、それも研究の原動力となっています。


■研究の面白さ、苦労について教えてください。
研究内容について相談できる人や理解してくれる相手が近くにいないことに辛さを感じることはあります。博士課程前期では、私と同じ柔道のバイオメカニクスを専門とする大学時代の先輩が総合科学研究科の研究室に在籍しており、頻繁に相談することができました。しかし、その先輩が卒業後に母国へ帰国されてしまったため、現在では一人で研究を進めなければなりません。分析データの算出に誤りがあってもゼミでは指摘されない状況下で、ミスが発生した場合は全て自己責任となります。しかしそれは悪い面ばかりではなく、先行研究を参照したり視点を変えるなどして、計算やプログラムのミスをチェックする習慣が身に付きました。
面白さとしては、柔道指導者や選手にデータを見せる際に、直感的に理解できるかを考慮して実験結果などをパワーポイントやポスターで作ったりしているのですが、発表やプレゼンテーションで理解してもらえたときはほっとします。またグローバルな部分では、日本人で柔道の研究をしているとやはり目立ち、国際学会でヨーロッパなど行くと積極的に話しかけてもらえるので、柔道を共通言語として会話を楽しんでいます。

 

博士課程での生活について

■毎日のスケジュールについて教えてください。
理系のラボのようなコアタイムはないのですが、午前中は自宅で2時間ほど論文の執筆をしています。12時ごろに研究室に来て、夜は早くても21時頃までデータ分析をメインに作業しています。ここ1年くらいは、実験・分析・論文執筆というサイクルを作って、2つ3つくらいの研究を同時進行しており、基本的に1人で黙々と作業しています。そのため、気づいたら夜中の2時頃まで残っていることもありますが、それ以上続けるとミスが増えてくるので、2時を過ぎたら帰るようにしています。私は人がいると喋りたい衝動にかられて喋り続けてしまうことがあるため、研究活動は1人で行うことが多いです。
一方、実験は他大学の協力で進めているので、実験する場合は協力先の大学に行くことになります。先方の柔道部員の方々にも快く協力していただいていて、大変ありがたく思っています。


■研究に行き詰った時やモチベーションが下がったと感じるとき、どのように解消していますか?
タイミングにもよりますが、例えば査読の返信などが迫っているときは、なぜモチベーションが下がっているのかを紙に書き出し、因数分解の様にして原因を分析します。そこで原因を洗い出した上で、それぞれに対処して問題の解決を図っています。ただしそれでも難しそうなら、早めに作業を切り上げてリフレッシュすることにしています。具体的には、温泉に行って焼肉を食べるなどして再び研究に集中できる状態を取り戻しています。
締め切りが特にない場合は、思い切って休んで旅行へ行くこともあります。最近では、愛媛にいる大学時代の恩師を訪ねて数日間滞在し、恩師が師範を務める町道場で子供たちや大学生と練習を共にしたり、道後温泉に入ったり、美味しい食事を楽しんだりしてリフレッシュしてきました。


■研究室の雰囲気はどんな感じですか?
大学院生は博士課程後期が私だけで、博士課程前期2年が5人、うち2人は留学生です。1年は1人で現役の教員の方です。そして学部4年が1人です。スポーツのコーチングに関する研究室なので経験者が集まっており、いい意味で変わった人が多くて、雑談などは普通に生きていたら経験しないだろうという内容が多々あって刺激的で楽しいです。また、経験しているスポーツはそれぞれ違いますが、頑張っている人を応援するという姿勢は共通して持っており、私が一人で博士まで研究していられるのはこの研究室の雰囲気のおかげでもあります。


■研究室選びにアドバイスはありますか?
大学院となると、指導教員や研究室の人と関わる時間が圧倒的に多くなります。そして人間ですから、合う合わないといったことはあります。そのため、可能であれば事前に研究室にいる人に話を聞いたり、興味のある先生と同じコースの他の先生からも情報収集をしたら良いと思います。
 

博士課程への進学について

■博士課程に進学すると決めたきっかけはなんですか?
先述の中学時代から興味を持っていたテーマで修士時代に研究を行ったのですが、強い選手の内股動作の特徴がハッキリと数値として現れたときに、予想通りだった部分と、あまり指導者からは指摘されていないものの、競技レベルでは異なるのではないかと思うポイントが見つかりました。そのときに十分な時間を割くことが難しく、さらに深堀りすることができなかったため、もう少し時間をかけてこの研究を進めたいという思いが強まり進学を決意しました。
 

■進学について、不安はありましたか?
多くの人が言うであろう言葉だと思いますが、就職です。将来のキャリアパスについて考えると、漠然とした不安が頭をよぎります。特に私の研究分野はニッチであるため、産業界や学術界での需要が限られているのではないかと心配しています。また、専門性が高いものの、柔道という実践的なスポーツとの関連性がどのように評価されるのかも不安要素です。
 

■今後のキャリアについてはどのようにお考えですか?
大学や高等専門学校などの教育機関に所属し、研究者として専門分野の研鑽を積んでいきたいと考えています。特に現場での教育やスポーツ指導の実践と融合させることで、理論と実践の双方を深めることを目指しています。具体的にはスポーツ指導現場に身を置きながら、そこで得られる実践的な知見を研究テーマとして取り上げ、学術的に分析・検証することで、新たな指導方法やトレーニングプログラムの開発に貢献したいと考えています。
また、現場と研究の橋渡し役として、指導者と競技者、双方への教育・研修活動にも積極的に取り組み、実践的な知識と研究成果を共有することで、理論と実践のギャップを埋め、より効果的なスポーツ指導法の確立を目指していきたいと考えています。
 

フェローシップ制度について

■フェローシップ制度に採択されるまでの準備について教えてください。
学士4年のときに新型コロナウイルスのパンデミックがあり、その影響で実験がスムーズに進まなかったり研究テーマを変えていたりする先輩や同級生を見ていたため、万が一想定外が起きても対応ができるよう、指導教員と研究計画についてしっかりと話をし、リスク管理を徹底しました。
さらに、私の研究では実際に人を技で投げる実験をするため、事故のリスクが伴います。それに対処するための予備実験を何度も実施しました。これにより安全性を確保し、研究の信頼性を高める努力をしました。
 

■フェローシップ制度の中で活用した支援プログラムにはどんなものがありますか?
世界に羽ばたけ海外研究活動支援プログラム、スキルアップイベント、英語教育プログラムなどの複数のプログラムを大いに活用しています。また、ポスター掲示者として参加した3QUESTIONSでは、優秀ポスターに選出されました。大切なのは、定期的に提供される情報をあてにするだけでなく、自分からも積極的にどのような支援があるか探すことだと思います。プログラムについては、自分の研究に直接関係がなさそうでも、参加することによって新しい世界が見えることもあります。また、日頃から大学の担当者の方に相談しておくことで、役に立つ情報を得られることもあります。
 

■スキルアップイベントではどのような取組を行いましたか?
パラリンピック柔道のバイオメカニクス研究も行っており、その過程でパラリンピックを3連覇した藤本聰氏とお会いしました。その際、視覚障がい者としての多くのハンデや、パラリンピアンとして色々なプレッシャーを経験しながらも常に前進し続け、学びを続けているお話を伺いました。この経験から、私だけでなくもっと多くの人にその姿勢や経験を共有したいと感じて講演会を企画開催しました。
諸事情により、企画立案から講師やマネージャーとの交渉、フライヤーの作成などを自分一人で行うことになり、非常に大変でしたが自分の得意分野を見つける良い機会となりました。また、人と協力することの重要性も改めて実感しました。
オンライン参加の高専の学生から「自分の価値観や軸を見つけるきっかけになった」という声をもらうなど、私がイベントを通じて伝えたかったメッセージがしっかりと伝わったことも嬉しかったです。
 

■優秀ポスターとして選出された3QUESTIONSについてはどうでしたか?
まさか選ばれるとは思っていなかったので恐縮ですし、参加して良かったです。本音を言うと、ポスターを作成しているときは「柔道は日本ではマイナーなので、みんなスルーするだろうな」と思っていたのです。それがイベント会場に行ってみると、色々な人のシールが貼られ、別の武道をしている人から付箋いっぱいのコメントをもらうなど、同じことを思ってくれる人はいるのだなと再認識できました。
 

■世界に羽ばたけ研究活動支援プログラムについて応募したきっかけは?
2024年の2月に外国語教育研究センターの先生から、ハワイ大学や地域の柔道クラブに練習へ行く機会を作っていただいたのですが、現地の子供たちの練習を見ていると、技をかけている選手の動作が力まかせで、投げられている選手はケガのリスクが高いのではないかと心配になりました。特に、日本では試合以外ではあまり見ない頭を打つシーンも目につき、不安を感じました。また、日本ではほぼ必ず行われる反復練習が行われておらず、それを導入すれば投技の技術向上やケガの予防が可能ではないかと考えました。 
翌日、ハワイ大学のバイオメカニクス研究室を見学した際、前日の練習で感じたことを話したところ、実際にハワイ州の高校女子柔道選手の脳震盪率が群を抜いて高いということを教えていただき、ハワイで柔道の共同研究の可能性について前向きなご返事をいただいたことがきっかけです。
実際のプログラムでは、ハワイ大学のバイオメカニクス研究室と共同で、柔道の投技におけるケガ発生メカニズムの解明や技術向上を目的とした実証研究を行う予定です。具体的には、現地の柔道クラブに所属する柔道選手の動作分析やデータ収集を通じてリスク要因を特定し、反復練習の効果を検証します。また、安全かつ効果的な指導方法の開発と研究成果を柔道クラブの指導者や選手へフィードバックする予定です。
 

■上記3つに参加することによって、どのような効果が得られましたか?
それまでは自分が興味を持つ研究や活動に注力してきましたが、3つの取組を通じて「どのようにすれば研究を多くの人々に還元できるか」という視点を持てるようになりました。具体的には、研究成果を分かりやすく伝える方法を模索し、さまざまな試みに挑戦する姿勢です。このことにより手間や責任が増える面もありますが、それらを前向きに捉えることができるようになりました。結果、自身の成長につながり、研究者としてだけでなく、社会に貢献できる人間としての幅が広がったと思います。
 

■フェローシップ制度へのコメントがあればお願いします。
博士課程前期は経済的に苦しく、バイトを掛け持ちして週7日働きながら研究をしていた経験があり、この制度のおかげで研究に集中できるようになったことに感謝しています。特にスポーツバイオメカニクスは、データ分析などを行うための高性能なPCが必須で、この制度を受けていなければここまで結果は出せていなかったと思いますし、海外研究留学を申請できたのも、研究費と経済的な余裕があるのがかなり大きいです。また、サポートを受けている分注目されるので、結果を出していかないといけないと自分を奮起させる原動力にもなっています。
 

■博士課程に進学する人を増やそう、という社会的な流れがありますが、どう感じますか?
先輩や同級生、後輩で、私よりも業績や研究力もあって人間力もあるのに、博士課程進学を諦める人を見てきたので、博士課程進学者への支援が進んできているのは良いことだと思います。また職種によっては、博士号の有無が就職やその後への影響が大きい場合もあると聞いているので、働きながら博士課程に進めるような企業も増えるのではないかと思っています。その一方、アカデミックのポストは少ないのが現状ですので、博士号を持っている人が多くなると競争率は上がり、卒業後の就職の不安はさらに高まる可能性も課題としてあるのではないかと思います。
 

後輩へのメッセージ

■もし学部生の自分にアドバイスができるとしたら、どんなことを伝えますか?
同じ大学内に各分野のトップの研究者や大学院生がいるのだから、積極的に関わりにいって話をするように助言をします。私は大学1年のときに先生の紹介で修士1年の先輩と知り合い、その先輩の背中を追いかけて鹿屋体育大学から広島大学に来ました。それが現在につながっているので、もっと他の先輩や先生と関わっていれば、さらに予期せぬ化学反応のような出会いがあったかもしれないと思います。
 

■博士課程への進学を希望する方へ、メッセージをお願いします。
博士課程では専門性が高まるため、同じ分野や同じ人々との関わりが、より密になる傾向にあります。ですので、それ以外の様々なコミュニティに所属し、積極的に関わることをお勧めします。心が疲れたり挫けそうになったとき、異なるコミュニティの仲間と話すことで心が軽くなったり、支えられたりすることもあるからです。
研究に専念することは非常に重要ですし、博士課程の期間はあっという間に過ぎます。しかしその期間を充実させるためには、心身のバランスを保つことも大切です。多様な人々との交流を通じて新たな視点や刺激を得ることで、研究のヒントになることもよくあります。
博士課程で学ぶ皆さんの成長と成功を、心から応援しています。困難に直面した時も、自分を信じて前進し続けてください。
 


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