<ドクターへの道>今村 一真

今村 一真

組織・経営分野
村松ゼミ
博士課程後期2011年度修了

広島大学大学院(博士課程)に入学を考え始めたきっかけや動機は何でしょうか?

大学を卒業して10年経ったとき、興味に任せて経営学の専門書を買っては読む自分が居ました。関心があるから買うのであり、読んで興味を満たすのですが、そのうち、この行為が無秩序に繰り返えされていることに気づきます。ふと、自分の努力は“借り物だらけの理論武装”のように思えるようになり、きちんと学ばなければならないと感じるようになりました。これが大学院進学を決意した理由です。

社会人大学院生としての私は、修士課程を修了するのに3年かかりましたが、終わってしまうと寂しい気持ちが湧くようになります。また、腑に落ちない疑問も抱いており、ぐずぐずしていると、また過去の自分に逆戻りするような気がするようになりました。これが、博士課程に進学した率直な理由です。

なぜマネジメント専攻を選択されたのでしょうか?

博士課程において、社会人大学院生の受け入れを前提とする国立大学は、そう多くありません。マーケティングが学べる国立大学となれば、さらに限られます。博士課程の場合、指導教官との関係が重要とはいうものの、学務規則を逸脱した履修はできないほか、無秩序に迷惑ばかりかける訳にもいきません。そうしたとき、広島大学大学院マネジメント専攻は、開講される講義は平日夜間、土曜日開講であり、私の所属するゼミも土曜日の開催が多かったです。副指導教官とのコミュニケーションも同様ですので、気兼ねなく研究室に訪問することができます。仕事との両立を前提とする私にとっては、こうした環境の全てが必要だったといえます。これが、マネジメント専攻を選択した大きな理由です。

マネジメント専攻で学ぶ魅力は何でしょうか?

社会人大学院生は、それぞれ現場での問題意識を基に、大学院で学びます。学ぶ必然を自覚している訳です。だからこそ、講義やゼミを通じて理解を深めようとします。また、腑に落ちる感覚を得たとき、それはかけがえのないものとなります。日ごろは職務も立場も違う者が集い、学友として肩を並べて学ぶことは、そこにしか存在しない特殊な非日常の空間です。学友だからこそ心を開いて話せることもありますし、腑に落ちる感覚の共有も、素晴らしい経験となります。志の高い社会人が多く集うマネジメント専攻だからこそ、かけがえのない経験が得られます。これが、マネジメント専攻で学ぶ最大の魅力だと感じています。

出願するにあたっての懸念点はどのようなものでしたか?

当時、私は兵庫県尼崎市に住んでいました。近くに幾らでも大学があるなか、社会人大学院生が学べる広島大学を選びました。社会人として学べる環境を優先した選択でしたが、今まで経験したことのない遠距離通学であり、正直なところ続けられるのか、自信がありませんでした。実際に、自宅や図書館で文献レビューに専念し、広島に通えなかった時期もありました。

しかしながら、先生方は私の事情をよく理解して戴き、研究の進め方や指導助言をさまざまな方法でアドバイスしていただきました。自立した人間として学生を受け止めて戴くことはありがたく、先生方の柔軟な対応が心の支えになり、励みにもなりました。

入学後、仕事に対する姿勢や進め方に関して何か変化はありましたか?

研究を進めていくと、“借り物だらけの理論武装”は感じなくなります。関心は先鋭化するだけでなく、関連領域にも目が向きますので、幹と枝葉のように考え方が整理されていきます。とりわけ、研究を進めるうえでは、研究目的の設定がとても重要です。目的の設定が妥当かどうか、慎重に検討する必要があるほか、目的を解明するプロセスもきちんと考えなければなりません。ここに論理的思考が要求される訳ですが、私の場合、きれいなフローを示すことができず、未熟さを痛感しました。ロジカル・シンキングは大切ですね。そう思えることが度々ありました。しかしそれも、何が不足しているのか、次第にわかるようになると、プレゼンの方法などが変わるようになりました。要旨、議論の争点、分析や考察…。順序立てて伝えることを意識するようになったのは、間違いなく院生生活の成果です。

マネジメント専攻への出願を考えている皆さんにメッセージをお願いします

先行研究を批判するもよし、新たな理論を応用するもよし、現実社会の現象に注目して、そこから発見を得るもよし。研究とは、さまざまな考え方の応用であり、点を線にできるかどうかが、理論構築の鍵になるといえます。点といっても、いろいろな捉え方ができるし、捉え方が見つからなければ線にはなりません。何といっても、そうした取り組みは、すでに幾度も先人たちが挑戦しているはずです。それでもなお、理論の開発が必要な理由。それは、時代が変化するからです。変化の激しい現代にふさわしい理論は、現代にふさわしい解釈に基づき行われるべきであり、それは、現代を生きる我々にしかできません。社会システムを受容し、適応ばかりが迫られるというのでは、息が詰まってしまいます。確固たる見識を身につけ、自由な発想と卓越した見通しを備えることができれば、人生はさらに有意義になるかもしれません。院生生活とは、そんな人生の足掛かりになるのではないでしょうか。

学位取得までのプロセス

私の場合、研究テーマの設定に時間がかかりました。入学当初に掲げたテーマでの研究に行き詰った私は、先行研究のレビューにも時間がかかったほか、遠回りせざるを得なかったという印象があります。今から思えば、視野が狭かっただけであり、研究の独自性を確保するために必要な時間でもあった訳ですが、先が見えない苦しさを感じていたのは事実です。遠方からの通学だった私は、その距離が余計に遠く感じていました。

ところが、先行研究レビューを繰り返す中で、それまで疑いもしなかった理論に限界や課題があることを知るようになってからは、研究が楽しくなってきました。そんな思いを先生に伝えたとき、すぐに中間発表会だから、そこで報告せよと指導を受けたのです。何が何だかよく解らず、ただただ不安でもありました。しかし、折角のチャンスだからと思い、必死になって報告できるよう内容をまとめました。振り返ってみれば、これがその後の研究、そして現在につながっていると思います。


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