人にとってうたとはなにか:近代日本の歌謡研究の地平から

19世紀後半から20世紀は、日本で近代化が推し進められた激動の時代でした。これまで人々の間で営まれてきた音楽文化にも、国家的な政策によって大きな変化がもたらされ、東西二洋の音楽を折衷して国楽を興すという名目で、西洋音楽受容が急速に進められました。

書誌情報など

権藤敦子. 高野辰之と唱歌の時代―日本の音楽文化と教育の接点をもとめて. 東京堂出版, 2015, 519p.,9784490209136.

研究者プロフィール

權藤 敦子 (ごんどう あつこ)
教授
大学院教育学研究科 初等カリキュラム開発講座
研究分野 社会科学 / 教育学 / 教科教育学

本書では、日本で近代国家、学校教育制度が確立された時代に、国楽の発展と同時に、人々にとっての自文化の継承と展開を問い続けた、高野辰之(1876-1947)という人物に焦点をあてています。彼は、文部省で国定教科書作成に携わる一方で、伝統的に伝わってきた日本の音楽の調査保存に力を尽くし、東京音楽学校で教鞭を執りました。国家的な教育、言語、音楽の方向性を定める場で働きながらも、彼の膨大な業績とそこに込められた主張には、自文化に根を張った、「人にとってうたとはなにか」という、本質的な問いが突きつけられていました。

人にとってうたとはなにか―。これは、現代にも通じる重要な問いです。楽譜に固定された規範の通りにうたわされた時代にあって、高野は、巧拙、雅俗にとらわれることなく、うたで、だれもが、自在に、みずからの思いを口にできることの重要性を主張しました。また、主著『日本歌謡史』(1926)では、古代から現代までの歴史を俯瞰し、外来の新しい音楽文化に出合って驚き、模倣し、同化し、融和する過程が繰り返されていることを立証しています。新しい外来の音楽文化を取り込みながらも、音楽文化は常に変化することによって展開していること、古典化する以上に変化し続ける生命力が重要であること、伝承の過程で淘汰されてその文化固有の曲調が備わっていくものであることを論じました。

グローバル化の進む現代においても、高野のしごとから、自文化としてのうたのありようを考えなおす示唆を多く得ることができます。

高野辰之の著書・編著より

『家庭お伽話』

『俚謡集拾遺』

『日本歌謡史』

『日本歌謡集成』

 

この記事は、学術・社会連携室と広報グループが作成したものです。


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