大学院先進理工系科学研究科 教授 吉田 拡人
Tel:082-424-7724
E-mail:yhiroto*hiroshima-u.ac.jp
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本研究成果のポイント
- これまで自然発火性のある危険な原料や、水や空気に極端に不安定な原料を用いて発生させる必要があったスタニルカリウム1を安全かつ安定な原料から簡便に発生する手法を確立しました。
- 有機合成反応へ利用されることがほぼなかったスタニルカリウムを、芳香族ハロゲン化物2のスタニル化反応3に利用しました。
- スタニルカリウムの反応性が従来用いられてきたスタニルアニオン種4と比べ高く、反応性に乏しい立体的に嵩高い基質でも効率的に反応進行することを明らかにしました。この高い反応性を利用することで、活性化が難しい強い結合を利用するスタニル化反応の達成や様々な新分子合成へ展開することが今後期待できます。
概要
広島大学大学院先進理工系科学研究科の吉田拡人教授を中心とした研究チームは、これまで高い反応性が期待されながら実用的な発生法が無かったスタニルカリウムを水や空気に安定なシリルスタナン5と一般的に使用される塩基であるt-BuOKのみで発生できることを明らかにしました。またこれを利用することで、芳香族ハロゲン化物の効率的なスタニル化反応を達成しました。本反応で得られる芳香族スズ化合物は、高価で希少な金属触媒や高反応性な有機金属反応剤6を用いて合成するのが一般的でした。近年ではスズとアルカリ金属などからなるスズアニオン種を用いたスタニル化反応も研究されています。しかし用いられるスズアニオン種はスタニルリチウムあるいはナトリウムが主であり、より高い反応性が期待されるスタニルカリウムの実用的発生法と反応利用例はありませんでした。本研究はスタニルカリウムを安全な方法で発生させるとともに、有用な合成反応へ展開した世界初の例であり、今後さまざまな分子合成に利用されることが期待されます。
本研究成果は、英国王立化学会「Chemical Science」オンライン版に8月22日に掲載されました。
発表論文
- 掲載雑誌:Chemical Science
- 論文題目:Surefire generation of stannylpotassium: highly reactive stannyl anions and applications
- 著者:Yuta Hiraoka, Taiki Imagawa, Kazuki Nakanishi, Hinata Kawabe, Masaaki Nakamoto, Takumi Tsushima and Hiroto Yoshida*
*Corresponding author(責任著者) - DOI:10.1039/D4SC04526B
背景
有機スズ化合物は、空気・湿気などの周囲環境に対する安定性と、他の元素では実現できない特有の反応性を示すため、右田−小杉−スティレカップリング(MKSC)7を代表とする様々な変換反応に利用される重要な合成中間体であり、薬理活性分子や液晶分子などの有用分子へと変換されます。すなわち、これらを直截的かつ高効率的に合成可能にする新反応の開発は、有機化学にとどまらず薬化学・材料化学分野にも大きな波及効果をもたらします。従来芳香族スズ化合物は、グリニャール反応剤など反応性が高い有機金属反応剤とハロゲン化スズ(Cl–SnR3)を用いる反応、あるいはパラジウムなどの遷移金属触媒を用いたジスタナン(R3Sn-SnR3)と芳香族ハロゲン化物のカップリング反応により合成されてきました。その合成上の短所は、有機金属反応剤の高反応性や空気・湿気への鋭敏性ゆえに基質適用範囲が狭く、反応遂行に細心の注意を必要とする点(前者)、高価で希少な遷移金属が欠かせない点(後者)です(図1)。このような背景のもと、比較的調製が容易なスタニルリチウムをスズアニオン種として用いたスタニル化反応に関する研究も行われており、スズ上置換基として最も一般的なブチル(Bu)基のものに限っても252報の論文が報告されるほど活発です。一方、同じアルカリ金属のカリウムを対カチオンに持つスタニルカリウムが、スズアニオン種として有機合成研究に用いられた例はほとんどありませんでした。
研究成果の内容
スタニルカリウムを取り扱った研究例はスタニルリチウムのそれと比較すると圧倒的に少なく、スズ上置換基がブチル基のものの論文数は過去わずか10報にとどまっています(図2)。スタニルカリウムを合成する既存の手法が、金属カリウムや水素化カリウムなど反応性が極めて高く自然発火性のある危険なカリウム源や、水や空気に対して著しく不安定なスタニルボラン8をスズ源として必要とすることが主因と考えられます。簡便で実用的な調製法が確立されているゆえにスタニルリチウムが様々なスタニル化反応開発に多用されているのとは対照的に、上記の理由からスタニルカリウムの反応剤としての潜在性は未解明なままでした。本研究グループは、スタニルカリウムを安全かつ安定な原料から簡便に発生する手法の開発に着手し、スズ源としては水や空気に安定で取り扱い容易性の高いシリルスタナンを、カリウム源としては有機合成で一般に使用される塩基であるt-BuOKを用いることでスタニルカリウムを簡便に発生できることを明らかにしました。また発生したスタニルカリウムを芳香族ハロゲン化物と反応させると温和な条件下、速やかにハロゲン部位でのスタニル化反応が進行することも明らかにしました。スタニル化反応は様々な基質に適用することができ、電子供与基や電子求引基が置換したもの、反応性官能基であるシアノ(CN)基を持つものや有用分子の基幹構造として頻出のピリジンなどの複素芳香環でも効率的に対応する芳香族スズ化合物へと変換することができました。驚くべきことに、従来のスズアニオン種では効率的なスタニル化反応を起こすことが困難であった反応部位周囲が極めて嵩高い基質であっても、スタニルカリウムを用いることで良好な収率でスタニル化生成物を得ることができました(図3)。理論計算に基づいたスズ−カリウム間の結合状態の解析により、このスタニルカリウムの例外的な反応性の高さは、スズ−カリウム結合の高いイオン性にあることが示唆されました。
今後の展開
これまで未活用であった高反応性のスタニルカリウムを簡便・安全に発生させる手法を開発し、有機合成的に価値ある反応へと利用できることも示した本研究は、今後さらなる未踏反応達成への道を切り拓いた研究ともいえます。今後は従来のスズアニオン種では変換が困難であったより強固な結合のスタニル化反応への利用などが期待されます。
用語解説
1. スタニルカリウム:スズ(Sn)とカリウム(K)からなる高反応性の化学種。
2. 芳香族ハロゲン化物:芳香族化合物のうち、芳香環の水素の1つがハロゲン原子に置換した化合物。
3. スタニル化反応:炭素骨格に対してスズ部位を導入する反応。
4. スズアニオン種:一般的にスズとアルカリ金属やアルカリ土類金属で構成される化学種で、スズがアニオン性を帯びている。
5. シリルスタナン:ケイ素(Si)とスズからなる水や空気に安定な化合物。
6. 有機金属反応剤:炭素−金属結合をもつ有機化合物の総称であり、炭素がアニオン性を帯びている。様々な反応において炭素求核剤として用いられる。
7. 右田−小杉−スティレカップリング:パラジウム触媒存在下、炭素–スズ結合と炭素–ハロゲン結合を選択的に反応させ炭素–炭素結合を形成する反応。
8. スタニルボラン:スズとホウ素(B)からなる化合物で空気や水に対して不安定。