広島大学大学院医系科学研究科免疫学の保田朋波流教授、下岡清美助教、同研究科ウイルス学の坂口剛正教授、同研究科小児科学の岡田賢教授、溝口洋子助教、同大学トランスレーショナルリサーチセンターの横崎恭之教授、西道教尚助教、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の橋口隆生教授らの共同研究グループは、庄原赤十字病院および県立広島病院と共同で、複数種類の新型コロナウイルス変異株に結合してウイルスを無力化する完全ヒト抗体を10日間で人工的に作り出す技術を新たに開発しました。
ウイルスに結合して無力化する抗体は中和抗体と呼ばれ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の特効薬として期待されています。新型コロナウイルス感染者の血液からウイルスに結合する抗体遺伝子をとりだして人工的に抗体を作り出す同様の技術はこれまでにも報告されていますが、高い中和活性のある抗体を取得するには多数の血液検体から候補となる抗体を作成し選び出すために時間と労力を要しました。
研究グループは目的とする抗体を保有する患者の特徴を明らかにし、作業工程を工夫することで、数名の患者から高性能な中和抗体を10日間で取得できるようになりました。またこれまで複数のウイルス変異株を無力化する中和抗体を作成する技術は確立されていませんでしたが、今回の技術を用いることで脅威となっている多重変異株にも結合する中和抗体を取得することに国内で初めて成功しました。
これらの抗体は新型コロナウイルス感染症の治療薬として開発が見込めるとともに、今後新たな変異ウイルスが出現した場合においても迅速に中和抗体医薬をつくりだせるようになり、感染者の死亡率低下や感染の封じ込めにつながることが期待されます。
【背景】
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に感染すると、体内ではウイルスに結合する様々な抗体がつくられます。そのような抗体はウイルスの増殖を抑制する効果があり、感染症の予防や回復に重要な働きをします。抗体がもつ機能の中でもウイルスに結合して細胞に侵入するのを妨害する効果を「中和」と呼び、体内にできた抗体がウイルスを中和することで感染者の重症化が抑制され回復が早まります。COVID-19の治療薬として海外では中和抗体を投与する臨床試験が進められていますが、新たに感染拡大するウイルスに対して効果が保証された抗体医薬を国内において迅速に供給できる体制を構築することが重要になりつつあります。
【研究成果の内容】
共同研究グループは新型コロナウイルスに感染し回復した重症度の異なる患者(23歳から93歳)を対象に血液を採取し、血清中に含まれる抗体の分析を行いました。その結果、感染から2週間以上経過している全ての回復患者がウイルスに結合するIgG(※1)と呼ばれる抗体を獲得しているにも関わらず、その約4割はウイルスを中和する活性が弱いか検出感度以下であることがわかりました。また酸素吸入を必要とした重症者とそうでない軽症者で比較してみると、重症者の8割が中和抗体を獲得していたのに対し、軽症者では2-3割にとどまりました(図1)。
これらのことから感染後2週間以上経過し、かつ重症患者由来の血液を使用することで中和活性の高い抗体を取得しやすいものと考えられました。そこで高い中和活性を示した重症患者の血液検体を優先的に選び、中和抗体をもったB細胞を独自に開発したプローブを用いて選別・単離しました。細胞1個ずつから抗体遺伝子のほぼ全長を重鎖と軽鎖を同時にPCR増幅し、新型コロナウイルスに結合するヒトIgG抗体を人工的に作成しました(図2)。作成された抗体から従来の新型コロナウイルス(武漢型(※2))に強く結合する32種類の抗体を選び出して解析した結果、そのうち97%の抗体は武漢型だけでなく英国変異株(※3)(N501Y変異)にも強く結合することが明らかとなりました。
一方で、多重変異を有する南アフリカ変異株(※4)(K417N/E484K/N501Y変異)にも結合する抗体は63%にとどまりました(図3)。これらの結果は南アフリカ変異株などの多重変異ウイルスに対しては自然感染やワクチン接種によってもたらされる抗体の効果が日本人においても弱まることを示唆します。多重変異株感染の動向に注意し、多重変異株に効果のあるワクチンや中和抗体などの対抗策を早期に準備しておく必要があると考えられます。
本研究成果として、5-20ng/mL(ナノグラムパーミリリッター)のごくわずかな量でも中和効果を示し、多重変異ウイルスを含む変異ウイルスに結合する新型コロナウイルス抗体を取得することに成功しました(図2)。
【今後の展開】
新型コロナウイルス既感染者やワクチン接種者の再感染例がこれまでに報告されていますが、新型コロナウイルスに結合する抗体があっても中和活性が誘導されていないことが再感染に寄与している可能性が今回示唆されました。そのため既感染者やワクチン接種者の免疫の有無についてはウイルスに結合する抗体だけでなく、中和抗体の有無についても評価することが感染拡大防止に重要であると考えられます。
今回取得した中和抗体については、実績ある製薬企業等との連携により早期の医薬品化を目指したいと考えています。また引き続き、インド変異株(※5)などの新たな脅威となる多重変異ウイルスに対しても中和抗体の取得を目指します。
本技術を用いることで今後新たな変異ウイルスが出現した際にも迅速に中和抗体治療薬を作り出せるようになり、感染者の死亡率低下や感染の封じ込めにつながることが期待されます(図2)。
【研究支援】
本研究は三井住友信託銀行-新型コロナワクチン・治療薬開発寄付口座、広島県・広島大学官学連携COVID-19研究費、戦略的創造研究推進事業(CREST)研究領域「異分野融合による新型コロナウイルスをはじめとした感染症との共生に資する技術基盤の創生」による支援のもとで行われました。
(※1)IgG 抗体
ヒトの抗体にはIgM、 IgD、IgG、IgA、IgE の5種類があり、IgGにはさらにIgG1、IgG2、IgG3、IgG4の4つのサブタイプが存在する。免疫記憶を担う抗体は主にIgGであり、新型コロナウイルス感染で獲得される主な抗体はIgG1である。
(※2)武漢型ウイルス
最初に世界中に拡がったSARS-CoV-2ウイルスの原型。第3波までのウイルスは感染に重要な領域が武漢型の配列である。
(※3)英国変異株(B.1.1.7)
最初にイギリスで見つかったSARS-CoV-2ウイルスの変異株。感染に重要な受容体結合領域(RBD)にN501Y変異を有する。
(※4)南アフリカ変異株(B.1.351)
最初に南アフリカで見つかった SARS-CoV-2ウイルスの変異株。感染に重要なRBDにK417N/E484K/N501Y多重変異を有する。
(※5)インド変異株(B.1.617)
最初にインドで見つかったSARS-CoV-2ウイルスの変異株。感染に重要なRBDにL452R/E484Q多重変異を有する。
図1 新型コロナウイルス感染回復者がもつ血清抗体の解析結果
図3 人工的につくりだしたIgG抗体が新型コロナウイルス変異株に結合する能力