広島大学大学院救急集中治療医学 服部 幸
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本研究成果のポイント
2018年に発生した「西日本豪雨」の被災者に対する抗うつ薬の処方が増加していたことが明らかになりました。
概要
広島大学大学院医系科学研究科 救急集中治療医学 服部幸医師、大下慎一郎准教授、志馬伸朗教授、地域医療システム学 松本正俊教授、大学病院総合内科・総合診療科 吉田秀平助教による医療レセプトデータを用いた研究により、2018年西日本豪雨災害の被災者において、被災を契機に抗うつ薬の処方を受けた人の割合が、災害後2~3ヶ月でピークとなり1年後まで持続したことが明らかになりました。これまでに、自然災害が被災者のメンタルヘルスに影響を及ぼすことは知られていましたが、実際の医療現場での処方パターンへの影響については十分に検証されていませんでした。本研究によって薬剤疫学の観点から、豪雨災害と被災者のメンタルヘルスへの関係性が初めて明らかになり、被災者に対する精神科的介入の必要性は高く、支援計画にはそのニーズの時間的変化を考慮する必要があることが示唆されました。
本研究成果は学術誌「European Journal of Psychotraumatology」に掲載されました。
また、本研究は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。
掲載誌:European Journal of Psychotraumatology(Q1)
論文タイトル:Increased antidepressant prescriptions following the 2018 Japan floods: a longitudinal analysis using the national health insurance database
著者名:Miyuki Hattori, Shuhei Yoshida, Shinichiro Ohshimo, Nobuaki Shime, Masatoshi Matsumoto
背景
これまでの研究で、自然災害は被災者のメンタルヘルスに影響を与えることが知られています。例えば地震、台風、山火事などでも、PTSD、不安障害、うつ症状の増加が報告されていますが、実際の薬剤処方にどのような影響が及んでいるかは十分に検討されていませんでした。
本研究は厚生労働省より許可を得て、西日本豪雨災害の被害が大きかった3県(広島県、岡山県、愛媛県)の医療レセプト(診療報酬明細書)データを用いて、豪雨災害が抗うつ薬処方に与えた影響を、災害前後1年間にわたって経時的に評価しました。
研究成果の内容
本研究の対象者5,000,129人中、被災者と認定されたのは31,235人でした。被災者群では災害後に抗うつ薬処方率が有意に上昇し、この傾向は災害後2~3ヶ月で急増し(調整後相対オッズ比[ROR] 1.13; 95%CI 1.07~1.20)、1年後まで持続しました(調整後ROR 1.20; 95%CI 1.12~1.28)。また、抗うつ薬の薬剤種別では、不安や不眠に効果のあるNaSSA(ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)とSARI(セロトニン遮断再取り込み阻害薬)の処方増加が顕著で(調整後ROR 1.47、1.49; 95%CI 1.21~1.80、1.22~1.83)、災害前に未処方だった被災者に限定した解析でも、NaSSAの処方が有意に増加していました(調整後ROR 2.56; 95%CI 2.14~3.07)。
このような処方傾向の違いは、被災者の精神的症状を反映している可能性があります。更に、災害後のストレスへの適応反応は経時的に変化するため、抗うつ薬の処方が発災2~3か月後に増加したのは、災害直後から出現した精神的症状が進行した・既存の精神的症状が悪化したなど、このタイミングで被災者における抗うつ薬の必要性が高まった可能性が示唆されます。
今後の展開
抗うつ薬の処方増加と豪雨による洪水は関連しており、うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)といった精神疾患の発症や増悪に影響を及ぼす可能性があることがわかりました。この傾向は災害発生から2〜3か月後に顕著となり、その後1年間持続していることからも、自然災害の被災者に対する精神的ケアや治療の介入時期・方法を見極めることの重要性が浮き彫りになりました。更に、災害後に特定の種類の抗うつ薬が増加したことは被災者の抱える症状を間接的に示唆している可能性があります。処方薬という客観的データを活用することで、被災者の“目に見えない心の傷”を見える化できる可能性があり、今後の災害時のメンタルヘルス対策に貢献できると考えられます。
用語解説
抗うつ薬:各抗うつ薬は、三環形抗うつ薬、四環系抗うつ薬、SSRIs(選択的セロトニン再取込み阻害薬)、SNRIs(セロトニン・ノルアドレナリン再取込み阻害薬)、NaSSAs (ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)、SARIs (セロトニン遮断再取り込み阻害薬)に分類しました。
参考図

図1
洪水発生前後の各月ごとの、被災者と非被災者における抗うつ薬処方率に関する調整後相対オッズ比

図2
被災者と非被災者における、各抗うつ薬の使用に関する調整後相対オッズ比