生の古文をさばいて味わう【妹尾好信】

  16ある文学部の専門分野の中でも日本文学語学は、高校までに学習する国語という授業科目と密接に関連しています。現代文や古文の授業が大好きで、将来は国語の先生になりたい、あるいは文学や日本語に関係する職業につきたいと思うような高校生がたくさん志望してくれて、文学部の中でも最も多くの学生が所属する研究分野となっています。

 私は古代・中世文学の担当で、奈良時代から室町時代あたりまでを扱っているので、まさに高校の古文にあたる内容を学問として研究し、教育しています。特に専門としているのは平安時代の和歌や物語で、『源氏物語』や『枕草子』など、古文教材として定番の作品も対象としますから、私のゼミはまさに「古文大好き人間」たちが賑やかに集う場になっています。大半は女子で、男子はごく少数。私もかつてその少数男子の一人でした。

 高校で読む古文は、文語文ではありますが、現代の日本語の文章表記法に基づいて、句読点が付され、仮名遣いが正され、会話文のカギ括弧や段落分けなどがなされて、読み易く処理された文章です。たとえて言うなら、そのまま醤油につけて食べられるようにカットして売られるスーパーの刺身のようなもの。しかし、大学の演習では、写本や版本(江戸時代に出版された木版本)の文字をそのままテキストとして読みます。変体仮名やくずし字を解読して現行の文字に改め、仮名の清濁を区別し、句読点やカギ括弧を付け、仮名遣いを整えて、読み易い文章にしていきます。たとえるなら、水揚げされたままの魚をさばいて刺身として食べられるようにまで加工する作業をするわけです。このように教科書や試験問題などでお目にかかるような古文の文章に作り上げていくまでのさまざまな手続きを経た上で、文章を読解し、文学作品として鑑賞・批評するのが我々の研究なのです。

『伊勢物語』

広島大学図書館所蔵奈良絵本『伊勢物語』〔図1〕

 写本を読む一例として、広島大学図書館が所蔵する奈良絵本『伊勢物語』の第九段「東下り」の一場面を取り上げます。奈良絵本とは、美しく彩色された挿絵を伴った写本をいいます。〔図1〕は、主人公一行が富士山の近くを旅している場面です。ちょうど見開きが富士山に関する文章と絵になっています。文字部分をそのまま現代の文字に直します。

ふしの山をみれは五月のつこもりに/雪いとしろうふれり

  時しらぬ山はふしのねいつとてか/かのこまたらに雪のふるらむ

その山はこゝにたとへはひえの山を/はたちはかりかさねあけたらんほとして/なりはしほしりの/やうに/なんあり/ける

 これを読み易く加工すると、次のようになります。

  富士の山を見れば、五月の晦に雪いと白う降れり。

    時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子斑に雪の降るらむ

  その山は、ここに例へば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむ程して、形は塩尻のやうになむありける。

 夏の富士山に僅かに残る残雪を「鹿の子斑」と表現しています。鹿の背にある白い斑点のようだと言っていて、面白い発想です。しかし、挿絵では鹿の子斑には見えません。ちなみに、〔図2〕は、同じ奈良絵本で、鹿の子斑の鹿が描かれた初段「初冠」の挿絵です。

 私は一度だけ、新幹線の車窓から夏の富士山を見て、なるほどこれが「鹿の子斑」かと納得し、感動したことがあります。比叡山を二十個ほど積み上げた高さだとか、塩尻(製塩の際に作る砂山)のような形だとか、富士山を知らない都の人に一生懸命説明していますが、この文章には誇張があるものの、実景を見た人が書いたものだと確信しました。

 古典作品に書かれていることを図らずも実体験するのは、とても楽しいことです。

 

『伊勢物語』

広島大学図書館所蔵奈良絵本『伊勢物語』〔図2〕


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