「東京雑事詩(Dongjing Zashishi)」明治末東京の情景を詠んだ漢詩

 一世紀前、日本にやってきた中国人留学生が、近代化の中で失われていく古き良き時代の暮らしを庶民の目線で描く中国古典詩を発表しました。「東京雑事詩(Dongjing Zashishi)」という題でまとめられたその漢詩のルーツは中国に古くから伝わる民間歌謡と言われていますが、それだけではありません。本研究では日本文化などから受けている影響を紐解き、日中間の文化交流が重層的に折り重なって影響し合っている様子を追いました。

書誌情報など

小川 恒男. "郁曼陀「東京雑事詩」と竹枝詞". 中国古典テクストとの対話 : 富永一登先生退休記念論集. 富永一登先生退休記念論集刊行委員会編. 東京研文出版, 2015, p.371-392,978-4-87636-403-9.

研究者プロフィール

小川 恒男(おがわ つねお)
教授・文学博士
大学院文学研究科 日本・中国文学語学講座 
研究分野 人文学 / 文学 / 中国文学

 中国の著名な近代小説作家郁達夫(Yu Dafu)の長兄である郁曼陀(Yu Mantuo)は、今から100年ほど前の中国人留学生です。1905年に来日し、ほぼ6年間の学生生活を送りました。この間、明治末年の東京を題材とする中国古典詩を作り、当時の日本で刊行されていた雑誌に投稿しました。後に「東京雑事詩(Dongjing Zashishi)」という題でまとめられ、73首が今に伝わっています。「東京雑事詩」は、多くの日本人が中国語文献の特殊な翻訳方法(訓読)を使いながら、中国語を理解できるという文化的な背景で作られたものです。一中国人留学生による日本漢詩であり、近代化が進み日々変貌を遂げる東京の姿と、次第に失われていく古き良き江戸情緒とが市井に暮らす人々の目線で描かれています。作品の三分の一以上にわたって、東京に暮らす女性の姿が描かれている点は、特に注目されます。

雷門仲見世(出典:『東京風景』、小川一真出版部、1911年)
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

 そのルーツともいえるのが、竹枝詞(Zhuzhici)です。竹枝詞は、中国の六朝(222年~589年)から唐(618年~907年)の時代にかけて、長江流域で流行した民間歌謡です。822年頃に詩人の劉禹錫(Liu Yuxi)がこの曲のメロディに合わせて歌詞を作って以来、多くの詩人たちが彼に学んで地方の風俗や習慣を竹枝詞によって描くようになりました。さらに清王朝時代(1616年~1912年)の初めになると、対象が外国にまで拡張されました。1877年に来日した詩人で外交官の黄遵憲(Huang Zunxian)が日本を題材に作った「日本雑事詩(Riben Zashishi)」200首は、その流れのなかにあります。郁曼陀の「東京雑事詩」は、題名でも明らかなように、「日本雑事詩」を継承しようとしたものだったのです。

『日本竹枝詞集. 上巻』伊藤信著、華陽堂書店、1939年
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

 一方で、江戸の漢詩人たちの中には、中国の竹枝詞を模倣して色街を舞台に男女の細やかな情愛を描き、詩人の個性に基づく写実的な漢詩を作ろうとする者が現れました。明治に入ると、そのような漢詩革新運動の意味合いは薄れてしまい、日本各地のそれぞれの風俗、習慣、ローカルニュースなどを描写するだけの竹枝詞が作られるようになりました。郁曼陀の「東京雑事詩」にしばしば女性の姿が描かれるのは、江戸時代の漢詩の伝統を受け継いだためなのです。

 

この記事は、学術・社会連携室と広報グループが作成し、2017年に公開したものです。


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