昭和50年~63年(1975-1988)

昭和50年(1975)

4月1日
大学院教育学研究科幼児学専攻(修士課程)を初の独立専攻として設置。

5月13日
学長をはじめ教職員有志、学外者からなる「広島大学外国人留学生を援助する会」を結成。

7月8日
平和科学研究センターを設置(学内措置)。

*この年、広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会が『生死の火-広島大学原爆被災誌-』を刊行する。

昭和51年(1976)

4月1日
工学部を11学科1課程から第一類(機械系)、第二類(電気系)、第三類(化学系)、第四類(建築系)に改組。
歯学部に附属歯科衛生士学校を設置。

4月18日
附属図書館が電算機による業務機械化を開始。

5月10日
工学部の附属内海水環境研究施設を廃止。

5月25日
学校教育法改正(独立大学院制度の創設、後期3年のみの博士課程の設置など)。

10月2日
初の放送利用による公開講座「人間の探求」を開始(12月25日まで)。

12月10日
統合移転の実施計画等を審議するため、統合移転実施計画委員会を設置。

12月-
統合移転・改革に関する基本計画委員会キャンパス用地専門委員会が「広島大学新キャンパス基本計画のための報告書」を策定。

*この年、体育会10周年記念行事の一環として、学生友好訪中団32名が中国を訪れ、友好を深める。

昭和52年(1977)

1月31日
『広島大学二十五年史 包括校史』を刊行。

3月29日
賀茂学園都市における広島大学用地の整備について閣議了解。

3月31日
『広島大学二十五年史 部局史』を刊行。

4月1日
医学部薬学科を総合薬学科に改組。
大学院工学研究科に博士課程を設置。

4月12日
中央廃液処理施設を設置(学内措置)。

4月18日
理学部に附属植物遺伝子保管実験施設を設置。

5月2日
政経学部を分離改組し、法学部、経済学部を設置。

5月7日
教授竹山晴夫が第5代広島大学長に任ぜられる。

8月1日
東千田キャンパスの生協食堂部が営業を開始。

9月24日
附属図書館が学術文献情報検索(HUNDRED)サービス・テストを開始。

昭和53日(1978)

4月1日
大学院地域研究研究科(修士課程)、大学院環境科学研究科(修士課程)を設置。
核融合理論研究センターを設置。

6月16日
中教審が「教員の資質能力の向上について」を答申(大学・大学院での研修拡充などを提言)。

6月17日
教育学部東雲分校を廃止し、教育学部(2学科7課程)を教育学部(3学科)と学校教育学部(5課程)に改組。教育学部に置かれる附属学校は大学に附属して置かれることとなり、附属学校部を設置。

7月11日
評議会が「学部等移転年次計画」(昭和60年度移転完了)を決定、工学部が最初の移転部局に決定。

10月1日
水畜産学部に附属練習船豊潮丸(3代目)を設置。

11月2日
医学部医学資料館が開館。

12月25日
統合移転実施計画委員会専門委員会が「広島大学新キャンパス総合計画1次案(施設配置計画)」を策定。

*この年、広島高師山岳部の「山男の歌」を原曲とする「坊がつる賛歌」が芹洋子の歌で大ヒットする。

昭和54年(1979)

1月13日
初の国公立大学共通一次学力試験実施。

2月19日
西ドイツ国チュービンゲン大学と初の大学間国際交流協定を締結。

3月10日
『広島大学二十五年史 通史』を刊行。

4月1日
水畜産学部を改組し、生物生産学部を設置。

4月2日
ニュージーランド国オークランド大学と大学間国際交流協定を締結。

4月3日
アメリカ合衆国ミシガン大学と大学間国際交流協定を締結。

10月23日
「広島大学大学院整備構想について」を発表。

*この年、経済学部第二部、水畜産学部で初の推薦入試を実施する。

昭和55年(1980)

3月22日
新キャンパスで工学部建物の建設に着工。

4月1日
大学院学校教育研究科(修士課程)を設置。
医学部に附属薬用植物園を設置。
計算機センターを情報処理センターに改称。

9月9日
評議会が昭和53年7月決定の「学部等移転年次計画」のうち、工学部および生物生産学部の移転時期を変更。

11月4日
体育学部創設準備委員会および体育学部創設準備室を設置。

*この年、名誉教授今堀誠二が第70回日本学士院賞を受賞する。

昭和56年(1981)

4月1日
情報処理センターを改組して総合情報処理センターを設置。

5月7日
学長竹山晴夫が任期満了により退職し、教授式部久が学長事務取扱を命ぜられる(5月21日まで)。

5月21日
教授頼實正弘が第6代広島大学長に任ぜられる。

*この年、工学部移転を控えた東広島で下宿不足が問題化。大学が入居者を斡旋する「指定下宿」に限り、市街化調整区域での下宿建設を認める。

昭和57年(1982)

3月31日
工学部が東広島市に移転を完了。

4月1日
大学院医学研究科を医学系研究科に改め、同研究科に分子薬学系専攻および生命薬学系専攻を増設。

5月22日
東広島地区開校記念式典を開催。

6月4日
インドネシア共和国北スマトラ大学と大学間国際交流協定を締結。

8月21日
国立又は公立大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法成立。

9月10日
附属図書館工学部分館の新館が開館。

*この年、広島大学新キャンパスを結ぶバス3路線の運行スタート。

昭和58年(1983)

1月18日
評議会が「学部等移転年次計画」を昭和64年度移転完了に変更。

3月26日
大学院薬学研究科を廃止。

5月24日
臨時評議会が「学部等移転年次計画」のうち教育学部福山分校の移転時期を変更。

6月7日
連合王国オックスフォード大学ウォーダムカレッジと大学間国際交流協定を締結。

10月30日
中華人民共和国華中工学院(現華中理工大学)と大学間国際交流協定を締結。

*この年、東広島市民有志から桜の苗木100本の寄贈を受ける。

昭和59年(1984)

4月1日
理学部附属両生類研究施設に進化生化学研究部門を時限付き施設として設置。

6月6日
大学設置審議会が「昭61年度以降の高等教育の計画的整備について」を報告。

8月8日
臨時教育審議会設置法公布。

*この年、初の広島大学名誉博士の称号を中華人民共和国華中工学院長朱九思に授与する。

昭和60年(1985)

4月1日
大学院環境科学研究科(修士課程)および農学研究科(修士課程)を改組し、大学院生物圏科学研究科(博士課程)を設置。

5月21日
教授沖原豊が第7代広島大学長に任ぜられる。

7月9日
教育学部に外国人日本語研修コースを設置。

昭和61年(1986)

3月26日
水畜産学部を廃止。

4月1日
教育学部に日本語教育学科を設置。
大学院地域研究研究科(修士課程)、大学院法学研究科(修士課程)、大学院経済学研究科(修士課程)を改組し、大学院社会科学研究科(博士課程)を設置。
総合地誌研究資料センターを設置(学内措置)。
文学部の内海文化研究室、瀬戸内海言語資料室、帝釈峡遺跡群発掘調査室を組織的に統合して、内海文化研究施設を設置。

4月5日
集積化システム研究センターを設置。

4月15日
評議会が「学部等移転年次計画」を昭和68年度移転完了に変更。

6月18日
国公立大学入試の受験機会複数化を決定(昭和62年度より実施)。

7月31日
生物生産学部附属農場が東広島市に移転を完了。

10月6日
中華人民共和国復旦大学と大学間国際交流協定を締結。

10月31日
大学院農学研究科を廃止。

*この年、学生の臨時増募が始まる(142名、翌年度から348名となり、平成8年度から同12年度にかけて解消)。また、東広島キャンパスに松くい虫被害が広がり、薬剤を散布する(翌年停止)。

昭和62年(1987)

3月24日
大学院環境科学研究科を廃止。

4月1日
東千田キャンパスにおける学生への自動車通行証の発行を停止。

4月9日
タイ王国タマサート大学と大学間国際交流協定を締結。

5月21日
遺伝子実験施設を設置。

9月10日
文部省に大学審議会を設置。

9月29日
アメリカ合衆国ハワイ大学と大学間国際交流協定を締結。

10月26日
国際交流会館(単身棟および夫婦・家族棟)が完成。

*この年、岡本哲彦総合科学部長刺殺事件。山陽自動車道広島東~志和間が開通する。

昭和63年(1988)

2月18日
大学入試に分離分割制度導入を決定(平成元年度より実施)。

3月24日
政経学部を廃止。

3月31日
生物生産学部が東広島市に移転を完了。

4月8日
学校教育学部に附属教育実践研究指導センターを設置。
医学部に附属動物実験施設を設置。
低温センターを設置。

11月12日
工学部生、生物生産学部生により初の西条祭を行う(13日まで)。

11月21日
生物生産学部附属練習船基地を呉市に設置。

*この年、山陽新幹線東広島駅が開業する。


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