第10回 口癖

 旧司法試験を受験していたころ、ゼミ仲間に、なかなか豪胆で人間的に非常に魅力のある男がいました。当初は、議論をしていても、概念定義が定まらず、原理原則論もざっくりとした説明を繰り返し、論理が深まらないこともしばしば。過去問を解いて皆で答案を読み合わせると、あらぬ方向で問題提起がなされ、あとは誰もついていくことのできないオリジナルな世界が広がることもありました。受験仲間でありながら、「司法試験合格が目標でなければ、とても面白い人物なので、彼にしかできない、何か社会に大いなる貢献をするだろうな。」と無責任なことを考えていました。にもかかわらず、彼は、私の顔を見ると「自分は絶対に合格しますからね。地元のヒーローになるんです。」などと元気よく言うので、「そうだね。一緒に受かろうね。」「その意気で勉強も詰めて頑張ろうね。」と返します。私はすぐに顔に出てしまうので、苦笑いを浮かべていたのでしょう。彼は私の不安を豪快に笑い飛ばしていました。

 そのうち、彼が急にゼミに顔を出さなくなったので、「諦めたのか?」と一抹の不安を抱いていました。2か月ほど経って、ゼミにようやく彼の笑い声が戻ってきました。「どうしていたの?」と尋ねると、「いや、前は基礎がよくわかってなかったから、議論を聴いていてもチンプンカンプンで、力がつかないと思った。この2ケ月で全教科の基礎をもう一度徹底的に勉強しなおしました。すごいでしょう!」との回答です。どれほどのものかとゼミでいろいろと質問してみると、原理原則や基本概念はすらすらと述べるのです。

 ただ、その基礎部分から問題解決のために論理を展開する段階になると、それまでの元気がどこへやら、黙り込んでしまいます。論理展開についてこれないのかと思い、ゼミのメンバーは丁寧に論理の積み重ねを検討するようにし、ゼミの最後に論理の流れを彼にまとめさせます。彼は、検討のなかで示された論理展開を鸚鵡返しに言うので、あえてそのキーとなる部分につき「それどういう意味?」「なぜそうつながるの?」などの質問を浴びせます。彼は、これらの質問への回答を笑いで誤魔化していたのですが、そのうちとことんメンバーの論理を自分で追いかけることで論理の展開を押さえ、ついにはメンバーが説明するのを途中で遮って、そこから結論までの論理を自分で組み立てて発言し、その是非を問うようになりました。そのときの口癖が「みなまで言うな。」でした。

 すべての説明をさせずに自分がそれをやってみる、その論理の組み立てを評価してもらうことで、彼は確実にその実力を伸ばしていったと思います。彼が意識して行ったかどうかはわかりませんが、「みなまで言うな」は、彼がメンバーの論理を追ってわかったような気になったときに口を突いて出るのです。この口癖は、自分が本当に理解しているのかどうかを自らが確認する実験のスタートであり、自分の理解のレベルを自分の感触でつかむためのリトマス試験紙を入手しようとしていたのでしょう。これを獲得してからは、彼は、ゼミで学ぶよりも、ゼミの予習(自学自習)段階で十分な論理的思考力を養っていたと思われます。彼は検察官に任官し、現在も地元のヒーローとして活躍しているでしょう。

 次回は、「省察」です。

 


up