第11回 省察

 「地元のヒーロー」君の続きです。彼が自らを省みて、自分には原理原則や法的な切り口の的確さに弱点があることを素直に認め、一人その克服に取り組み努力した頃から、彼は変わったのだと思います。冷徹に自分自身を観察し分析して弱点をえぐり出すことができる反省の技法をゼミの中で一人遅れていく自分と格闘して手に入れ、それを克服するだけの強さを自らの陶冶により鍛えたのでしょう。彼はこの時まさにプロフェッショナルへの第一歩を踏み出したのだと思います。

 法曹になるのに基本が理解できていないのであれば、それを何とかするのは当たり前だという意見もあるでしょう。誰でもそれが良いと知っていることでも実践できないことは山というほどあるのではないでしょうか。私自身も含めて、それができていないことを認められず、基本を欠くがゆえの過ちを押し通したり、何だかんだと理由をつけて、もう一度やり直すことを避けているのではないでしょうか?

 スピードと効率性に基づき成果を求められることに慣れると、程ほどの結果に甘んじて、次を追いかけるようになりがちです。立ち止まって現状を冷静に見ることも、歩んできた過去を振り返ることも、次の結果を出す上では時間の無駄に感じられ、また振り返っても何もそこから自分で生み出せないので、まさに無駄だという経験をし、そのマイナスイメージから抜け出せないのかもしれません。

 しかし、そのままではこれまで以上の成果を生み出すことはできません。ここは一念発起、反省の技法を身につけて飛躍的な伸長を生み出すことができるように自己変革を起こしませんか?自分の力が足りないとか、限界なのだとか、考えなくて良いのです。反省の技法なんて、教えてもらうことも、言葉を聞くこともなかったでしょうからね。日々に流されずに、日に三度、これまで学んだことの思考の論理を追う癖を付ける、論理が繋がらない、正確さに欠けているのにもかかわらずこんなもんだろと済ませるところに気づく、なぜそうしてしまうのだろうと考える、これがスタートです。このくりかえしが、自分に合った反省の方法を生み出しさらに技法にまで高めて、これまでとは違う結果をもたらしてくれるはずです。わかったような気になる時に必ずその論理を口に出して周りの評価を受け、その修正を行うことができるのも、得難い結果の1つだと思います。

 このプロセスで問われるのは、「地元のヒーロー」君のように、何としても法曹になるんだという強いしっかりとした覚悟があるかどうかだと思います。

 昨年出版された学習の科学的分析に関する本では、省察につき、次の一文があります。
 「授業や実践で学んだことを振り返って自問する数分間の練習。何がうまくできたか、さらに向上させるにはどうすればよかったのか、今の学習に関連して、役立ちそうなほかの知識や経験はあるか、習熟度を高めるには、さらにどんなことを学べばいいのか、次回にどんな手法を試せばもっとうまくやれるのか」

 次回は「利他心」です。


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