第12回 利他心(1)

 法科大学院は、法曹という高度専門職業人を育成するプロセス教育のスタートを任されていますので、当面の課題である司法試験に合格する学力を修得できる能力的素地を鍛えるとともに、法曹という職業人として活躍する心構えを育て固めていくことも必要です。

 そのためには、法科大学院は、リーガル・プロフェッショナルを育てる場として、「その門を一歩くぐった瞬間から法曹となるためのあらゆる資質と能力を鍛えるための空間」でなければならず、師の下に同志が集まり修練を目指す道場に足を踏み入れるときのように「全身の毛穴がピリッと引き締まるような場」を誰もが体感できることを目指すべきであると、私は教えられました。

 武道でも、芸術でも、その道で名を成した方々のいらっしゃる空間で不用意には近づきがたい緊張感に圧倒されることがしばしばありましたので、「確かにそうだな」と納得したのです。「その空間に触れるだけでも何かを得られる、自分自身を奮い立たせ前進することができる。法曹となるにはそう簡単なことではない、それを乗り越えていくだけのエネルギーを与えることが必ず求められるはずだから」。

 ただ同時に、「その『空間』『場』をどのようにすれば作り上げることができるのでしょうか?」との疑問が咄嗟に口を突いて出ました。日々、法曹を目指す学生が勉学に集まってくる、それなりの意識と気迫をもっているはずなので、法科大学院という空間は中途半端なままでは「こんなものか」となめられてしまうのではないか、それは学生が自らの夢を実現する妨げになるのではないかと直感したからです。

 「奉仕の精神に基づく、絶え間ない自己陶冶、自己錬磨による。」との言葉が返ってきました。自己陶冶、自己錬磨は、克己心が強く自らを冷徹に観察し自らの追い求める理想をしっかりと抱き続けなければ、継続しない。これを勉学の道で続けることができている人が人を教え感化し、新たなエネルギーを生み出させられる。それゆえに、教壇という一段高い場にたつことができるのでしょう。

 この道を一心不乱に歩んでいこうと決意をしてその道に入っても、時間がたってくると、慣れが生まれる。慣れに気づいてもなにがしかの理由をつけて覆い隠してしまう。慣れると高をくくってしまい、改善工夫を怠り学ぶことも疎かにする。歩みが止まってしまう。

 茶道において、このお茶は一生に一度きりのもの、一期一会の覚悟でお茶を点てると隙のないお茶が点てられると言われます。授業も同じ覚悟をもって臨み続けることで、その場にいる人が、緊張感のなかで、学び、陶冶し、前へ進むことを体感できる場となるのでしょう。それが意識を高め能力を引き出す契機となるはずです。

 一期一会の覚悟を持ち続けさせるのは、「奉仕の精神」、私には「利他心」であるように思います。他を利する心は、自己満足を超えて自分をさらに向上させる動機づけになり、その向上を支える「徳」を養うでしょう。他人と自分とがお互いに高まれば、一人では高をくくってしまい至らなかったところまで自己を錬磨していけるのではないでしょうか。

 第13回は、利他心(2・終)です。


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