第14回 囲碁

 囲碁の世界は、昨年3月に世界トップ棋士がグーグルのアルファ碁に敗れたことで雷撃を受けたようなショッキングな状況となっているそうです。5局対戦して、トップ棋士はわずか1勝を挙げたのみでした。囲碁は盤面の広さから局面の創造域が多様多彩で、手の選択の幅が広く、人工知能がいかに発達したとしても、トップ棋士に勝つにはまだまだ時間が掛かると言われていました。囲碁を少しばかり勉強し、少しはまっとうな手が打てるようになりたいと思うにすぎない私にとっても衝撃的でしたし、その打ち回しを見るかぎり、自由な構想と思える手の選択に人工知能の進化が感じられ、そのスピードには驚嘆せざるを得ません。

 将棋界でも、今年、棋戦において、名人が人工知能に連敗しています(この棋戦はなくなったとか)。名人が序盤から押されて敗れ、終盤まで有利な局面を維持しながら逆転を許して敗れたと聞きます。人工知能が序盤に指す自由な手に対応することが難しく、少々の駒損をしてもより効率的に駒組みをなし次の戦況を有利に変えていくことにも、煌きがあるようです。プロ棋士と対戦するよりも、人工知能との対戦で学ぶことが多いとして鍛錬の場を従前とは違った方向に求めるプロ棋士もあるそうです。

 囲碁はすべての戦いが手順を同じくすることがないほど、二人の棋士による対局は創造性が豊かです。囲碁も勝負をかける以上、幾多の戦いの中から勝利を呼び込むためのデータ分析が必要です。ただ同時に、どんな手を打ってでも勝てばよいというわけでもなく、石の形という美的な感覚も尊重されています。それは、盤上に展開される芸術でありつつ、勝つための人間の智慧の凝縮であると思います。人間の智慧は洗練されたものでしょうが、愚形を嫌うなどの制約を受けていることも確かです。それゆえ、自由な発想の手が思いつかないこともあるように思います。それが人工知能では別の勝利法則に従うゆえに、人間の智慧では構想から外れる手も打たれ、新鮮さを感じるのかもしれません。人間の智慧と人工知能との対決は、人間の智慧に自由と創造を与える切磋琢磨として興味深いものです。

 囲碁を始めたころ、私にとって最も不思議なことは、300手を超えるような1局でさえ、その対局を振り返るために並べ直すことができることでした。しかし、それは囲碁にのめり込むうちに当然のことと感じられました。当初の構想から序盤を組み立て、中盤から終盤にかけては局面ごとに自らが最善手と思われる手を何度も読みを重ねて選択し、その検証を繰り返して1局の碁が完成するのです。対戦相手との合理的な対話の積み重ねとして、最初から1つ1つ刻まれた言葉(打ち手)はリフレーズできるものだったのです。プロ棋士に「強くなると自然に並べ直せるし、他人の棋譜でも同じことができる。それは棋力のバロメーターである。」と言われた通りでした。どの世界でも、プロフェッショナルは自らの力量を上げるための反省の技法を持っているものなのです。

 最近は、自分の授業が合理性の連鎖により綺麗に再現できるものかどうかが気になっています。これも鍛錬が必要ですね。

 次回は盂蘭盆会です。


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