第15回 盂蘭盆会

 暑い日々が続きます。8月13日から15日はお盆です。お盆、正式には盂蘭盆会と言い、ウランバーナに漢字を当てたものです。ウランバーナは「倒懸」を意味します。「倒懸」は、三悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生界を指します)に堕ちた亡者の苦しみが、生きた人間が逆さ吊りにされるくらいに辛いものであることを表す言葉です。
 
 お盆は、自らの業に苦しむ亡者に供養の徳を回向し、その苦しみを少しでも和らげ、一刻も早くその業を解消し、三悪趣を逃れることができるように願う3日間です。「地獄の釜の蓋が開いて」というのも、亡者が娑婆世界に戻って有縁の人や場所に向かい、有縁の人が積んだ功徳の回向を受けることの譬えでしょう。亡者はまさに倒懸の苦しみゆえに般若心経などの経典を読誦することも神仏に対して手を合わせることもできませんので、有縁の者がその亡者のために経典を読誦します、その功徳は、本来、読誦した者に返ってきますので、その功徳が返る方向を変えて亡者に回します。これが回向です。娑婆世界で生きる者はその心がけ次第で功徳を積む機会をいくらでも得ることができますから、それができない境界にある亡者に積んだ功徳を回向し、有縁の亡者を救うことに心を向けること、つまり、広く先祖供養を行うことを、生きる者の心に銘じさせる3日間なのでしょう。

 昔から、人生の転換期や正念場を迎えたときには、先祖の墓を参って、墓を綺麗に掃除し、お花や供物を捧げ、経典の一つを読誦するならば、必ず運が良くなって、その機を活かすことができると言われます。

 20年以上前に学部で教えていた頃、この話を授業の雑談で話したところ、期末試験の答案に「この科目の単位を取って卒業できるように帰省して墓掃除をしてきました。久しぶりだったので気持ちよかったです。」というコメントが書かれていたので、苦笑したことがあります。答案は何とか合格点に届くものに仕上がっていました。本人が精一杯努力したのでしょうが、答案の運びに運の良さがあると思いました。先祖のご加護でしょう。最も身近な先祖といえる両親を見ていれば、先祖が子孫の力になれるものならなりたいとの思いがあることは確かです。ただ、それができるかどうかはおそらく徳の問題かと。

 本人の努力を実らせるには運も必要なことは、秀でた才能を持つ人が、あるいは人並み以上の努力をする人が、それを活かしきれずに苦労ばかりしているのを見ると、明らかです。運は徳から生まれると言われます。徳は、苦しむ人たちに心を割いて救いの手を差し伸べることから育まれます。お互いが相手を思って行動する菩薩界はその象徴です。自分の都合ばかりで回りを見ずに、隙あらば他人の足を引っ張ることを常とする境界での行いは、果報として運の良さを生むことはなく、自らに苦しみばかりをもたらすというのも道理かもしれません。

 因みに、お盆は自らの業に苦しむご先祖に心を向ける時ですが、お彼岸は娑婆世界である此岸から三途の川を超えた対岸に広がる悟りの世界に心を向けて、その境界を目指すよう功徳を積む決意をする時と聞きます。
 
 次回は「目で描く芸術と、心で描く芸術」です。


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