第23回  閃き

 年末を迎え、この1年を振り返ることが多くなりました。

 この1年、これという結果も出せず、修了生や在学生のみならず、ご尽力いただきました皆さんにご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます。私の不徳の致すところです。

 ただ、決して強弁ではなく、散々な結果がなければ、抜本的な教育改革が進むことは難しかったように思われます。神戸大学との教育連携が既にスタートしており、様々なアンケートや意見交換を通じて本研究科の改善すべき問題が明らかとなって、新たなカリキュラムの編成にかかっていました。そこに司法試験の結果が知らされ、より一層その再編に熱い想いが集まったため、カリキュラムそのものの完成度は極めて高いと思います。

 また、カリキュラムを始めとする教育システムの改革は、教育学の様々な知見を参照し学生の状況を把握して、それに対応した修正を加えることで、説得力あるデバイスを用意できます。綺麗な器を作っても、それに盛る料理が大事です。教える者の教育技量がやはり問われます。そこの見直しをいかに一人一人の教員が真摯に誠意をもって行うかがポイントです。結果への反省は、他者に押し付け自らの責任から目を背けることがなければ、技量の向上に最も有効な力になります。現在はこの作業が進行中です。

 組織やシステムが機能するためには、それを支える人の力が必要です。しかし、組織が機能しないとき、改革がその成果を出せないときに、責任者が「力及ばず」というのは間違いである、その組織やシステムが社会にとって確かに有益であるとすれば「力が足りないのではない、徳がないのだ」と厳しく言われたことを思い出します。「徳は力である。徳から生じた力は、自分を高め、他人を高め、社会を高める。徳から生じたのではない力は権の力であって、究極的に自分をほろぼし、他人を傷つけ、社会を毒する。」、と。

 徳は、辞書によれば、「修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力」を意味します。徳から生じる力は、有徳の人の努力に良い機(時宜)と良縁を結びつけ、良い結果を生じさせる。その結果が次の原因となってさらに高める方向に進んでいく。

 不徳の者は、その努力に機と縁を結びつける力がないために、なにをやっても中途半端となる。巡りあわせの悪さを変える力もないから、失敗してしまう。それを「不運」という一言ですませてしまうために次に向かう策が生まれてこない。運が悪いのは福が足りない。福は徳から生まれる。いずれにせよ、徳不足ということなのか、と理解しました。

 これは縁起の法に基づきます。良い縁は自らに存する良い因が集めてきます。良い因と良い縁が結びつくことで良い結果を生みます。悪い因は逆の事象を展開させて終わります。徳は良い因であってそれを結果に結びつける力であるとすれば、他人を高め社会を高める行動が徳を生み、逆に、自己本位で自分の利益を追っていれば、自分の抱えるところに縛られてそれを超えることはない、むしろ、そこに他人まで巻きこんでより大きな悲劇を生むことにならないかと危惧します。自らが他人にとって良い縁となるために、利他の心を起こしその行動をとる修練が必要なのです。

 徳を積むことは力を備えることであり、自分の周囲を高め、喜びをもたらすでしょう。徳が積み重なれば社会をも変える機と縁に恵まれることともなるでしょう。

 次回は「オープンマインド」です。


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