第24回  オープンマインド

 本年最後のコラムの更新です。本年も法務研究科の教育改革にご支援・ご協力を賜りました皆様に心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

 最近、「天才の閃きを科学的に起こす」というサブタイトルのついた本を読む機会がありました。「閃き」がいかに起こるのかを最新の脳科学に基づき解明し、閃きを得るプロセスを起こりやすくするための方法論が展開されています。閃きが天啓と言われることがあるとすれば、その科学的分析には興味がありました。ソクラテスもその友人が「ソクラテスより賢い者はいない」との神託を得たことから、「いかに」の説明にとどまる研究から、「なぜ」の問いに答えを求める道を歩み、その神託の意味が「無知の知」にあることを認識したと言われていたことも頭をよぎりました。

 この本によれば、閃きを生む4つのプロセスの1つである「突然のひらめき」は、まだ十分に科学的には解明されていないようですが、「歴史の先例とオープンマインドとがクリエイティブな火花を散らしながら組み合わさる瞬間」であると言われます。オープンマインドが重要な要素の1つですが、その状態を得るのに「フリー・ユア・マインド」という手法が用いられます。これには東洋哲学=カルマとダルマの仏教思想が方法論として活かされていることに驚きました。
 
 仏教は「教え」ですが、仏法は方法論でありシステムです。仏法を少しかじったのは大学時代でしたが、方法論がすべてであるという意識を強く植えつけられました。仏法は他の宗教とは違って、人間が仏陀になる方法を示すマニュアルです(例えば、キリスト教では人間が神なることを目指すのではなく、神は信仰の対象であると思います)。凡夫が仏陀になる方法を修錬して仏智を得ることを目的とします(ですので、東洋「哲学」と表現されることには違和感があります)。仏智がいかに得られるのかは私にはわかりませんが、縁起の法の理解は知識であって、智慧とは異なると言われます。智慧は、人生を成立させる真理・原則(おそらく縁起の法)を体得し自らの行動をコントロールできるものと説かれます。

 仏陀となられた釈迦の逸話です。盲目の弟子が針に糸を通すことができないので「誰か、糸を通してほしい」と声をかけたところ、誰かがスッと針と糸を取って通してくれた、その弟子がお礼を述べるとその人は釈迦であった、釈迦は「仏陀は徳を積むことがいかに大事であるかをよく知っている。徳を積むことにもっとも熱心である。」と語ったとのことです。

 仏法を学んだときに、虚心坦懐に1つ考えたことがあります。それは、凡夫が修練して仏智を得られるのであれば、どんな人でも知的能力を飛躍的に高めることができるのではないかということでした。知識を授けることにより知的能力を高めるという方法は合理的ですが、急速に変化する現代社会に対応できる人材が社会のさまざまなところに存在することが求められるとすれば、この教育法では不十分であると思います。この教育法の対象は知識が蓄積できる人ですので、それが苦手な人の知的能力を高めることは難しいでしょう。現在はこの教育法の弱点を克服する方法論が求められていると思います。

 最後になりましたが、来る年が、皆様、ご家族様にとって幸多きことを祈念いたしております。

 次回は「2018年 新年の抱負」です。


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