第45回 意味を探る

 法曹を養成する法科大学院では、その理念を具体化する教育を実現するために様々な工夫がなされています。本研究科でも、紛争解決の場における共通語として意思疎通を図るためのツールを正しく使えるように鍛えることはもちろんですが、同時に、その学修から得た自分なりのメソッドを新たな学びの場に転用・活用して、よりスムーズに学修成果を獲得できる能力をよりハイレベルに鍛えたいと教育内容・方法や教育プログラムを改善しています。

 最近、本研究科の附属施設であるリーガルサービスセンターの協力を得て実施している取組の成果を分析しました。それは模擬法律相談です。模擬法律相談を定期的に実施する機会を設け、在学生に継続的に参加するように促していますが、ようやく3年間あるいは2年間継続し修了を目前にする学生が出てきました。授業のなかで質疑応答を重ねると回答が深まっていかなくなったり、質問の意味を理解しきれていないと感じるときがしばしばあります。そこで、弁護士の立場で模擬相談者の持ち込むトラブルを聞き、的確に整理したうえで一般の人にわかるように説明する、さらに相談者が真に求めているのは何かを捉えることを意識づけることがベクトルの異なる刺激になるのではないか、少なくともこんなもので何とかなるからそれでいいという自己満足を打ち破れるのではないかと思いました。その目的はそこそこ達成できているように思われますが、それと同時に、学業成績と模擬相談の評価との間にかなりの相関が見られることに驚きました。相談にはセンスの良さもあるのですが、それとは別にペーパー試験で評価される学修到達レベルとの相互影響が見られ、模擬相談を通じて現状の学修状況をかなり正確に把握できますので、適宜に適切なアドバイスを送ることができそうです。穴に落ちてから救い出すのはかなりの労力を要するのですが、落ちる前であれば避けさせることで足ります。

 もちろん落ちた方がよい穴もあります。自力ではい上がることで今後の飛躍を生む場合があるからです。しかし、自力ではい上がることができない学生を見ることが多くなりました。はい上がるために行うであろうと期待することがなされていない、あるいはなした形跡すら見られないのです。穴に落ちたときにどうすれば穴から抜け出せるのか、その術がわかっていない、あるいは穴に落ちたという自分自身の状況をそもそも把握できていないのでは、と危惧します。学修状況を観察すると、つねに誰かから歩むべき道を指示してもらい、その道を歩きさえすれば先人と同じ結果が得られると思い込んでいて、顕著な例では表層的な理解で何とかなるドリルと記憶でペーパー試験を乗りきってそれを成功体験として押し通そうとするから、自らに欠けている力に気づいていないようです。その力が身につけば世界が変わるのにもったいないと思います。それは本人だけの問題ではなく、教える側が学ー生の飛躍の契機を失わせ、その持つ力を引き出しきれていないことに気づかなければならないでしょう。同じ穴に教える側も学ぶ者も落ちているのかもしれません。
 
 ただこれでは、学修の転用・活用は絵に描いた餅になってしまいます。何らかの結果を生んだ学修プロセスがどうであったのかを振り返ってその分析を行うこともままならず、そもそもそこに自らの工夫がなくこれまでの繰り返しにすぎなければ、転用の余地はなく、今後、大きな壁にぶち当たってしまうだけでは、と心配します。そこは教える側の創意工夫の場ですね、きっと。

 次回は「妙なスキル」です。


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