第54回 ひと休み

 本年もあと10日余りです。街に輝くクリスマスツリーや電飾の路面電車を見、そのイリュミネーションに溶け込みながら、平穏な日々に感謝しています。

 現在、法務研究科在学生に個別面談を行いつつ、2020年度入試合格者で学修指導を希望される方に来年4月からの法科大学院教育にスムーズに対応でき、特に統合型教育プログラムを活かせるための学修のベースを修得していただけるように個別指導も実施しています。なかなか忙しく、師走です。

 在学生面談では、現状での学習上の課題をどう把握しており、いかにそれを解消しようとしているのかを聞きながら、その学生にとってのより効果的な学習指針や方法を相談し、どのような教育支援が可能であるのかを検討しています。当該年次の最終段階に至るこの時期に、在学生の学修意識とその実践が、法曹というプロフェッショナルに研ぎ澄まされていくベクトルに向いているのか、どこに位置づけられるのかを相互認識し、教える側で設定する到達目標とプロセスに照らしてその到達レベルを確認するうえでも重要な取り組みです。

 こうした面談でのやり取りから、若手弁護士等による学修フォローゼミでの担当者の所感などまで貴重な情報はもちろん、様々なささいに見える情報も拾って、在学生一人一人の学修状況を分析しさらなる進展につながる助言等を行います。あくまで助言するだけでどうするかの判断は当該学生に委ねます。また先回りして道を切り開いておくことなどもいたしません。学びの本質は自らの判断と経験から考えて構築し凝縮させていくものと思います。

 学生が助言を尊重する場合はもちろん、それと異なる手法を選択するとしても、それに付き合いながら気づきの機会を待ちます。時間を無駄にしているように思われるかもしれませんが、法科大学院のように2,3年の学修で司法試験の合否という明らかな結果と向き合わなければならない状況では、むしろ速やかに気づきを得る機会に恵まれることが多いようです(その時期は学生の意識付けの強弱にもっとも影響されますが・・・)。気づくまでの学習も知識(情報)の集積というレベルでは十分に役立つものです。次のステップに進めるのであれば、それまでの努力が無駄になることはないでしょう。

 この経験は、自らの学びの手法として、あるいはそれを獲得するための準備として、一生の宝物となるでしょう。

 最近、気になることがあります。司法試験が法曹の資質を見る試験であるのにもかかわらず、試験と聞くと、大学受験等と同じく唯一無二の正解があると(無意識的にでしょうが)思いこんで、それを必死に求めます(正解をわかりやすく答案にかけるように教えるのが法科大学院の教育だという強者もたまに見かけます)。それが手に入るともう成すべきことはないと緊張感を緩め、その正解を後生大事に抱き抱えている者があるのです。確かに、正しい、誤りと単純に回答できる問いもあるのですが、それは法学を学ぶ前提である知識の確認と共有のための問いにすぎません。共有された知識をもっていかに論理的に法解釈・適用を行い、そこから導かれる結論を他に説得するかが評価されるのだろうと思います。常に質の向上を図るというプロフェッショナル性が問われるといっても良いでしょう。目指すところが違えばおのずと結果も違ってきます。自らも留意すべき点ですし、学生の学修を見守るうえでも気を緩めてはならない点です。

 次回は、「謹賀新年」です。


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