第73回 アプローチ②-学びを学ぶことで生き抜く力を-

新年あけましておめでとうございます。
2022年が皆さまにとって健やかで麗しい1年となりますことを祈念いたします。

学びを追求することは、多難な時代と混とんとした社会を生き抜く力を貯めることに直結していると思います。それゆえ、学びを獲得する学修が「勉強」として「勉めて強いられる」のももっともです。

勉強が学びの獲得とは異なる目的の達成を目指すようになると、「勉めて強いられる」のはまさに苦痛になりかねません。勉強が「楽しくない」ので必要最低限にとどめられ、その過程では効率性を最優先とすることになってしまうかもしれません。しかし、効率よく生きていけるほど世の中は甘くないでしょう。

そもそも学びとは何か、学ぶとはどういうことかを分析することからスタートです。この分析は、さまざまな専門領域での知見をベースに、自らの教育実践を踏まえてなされます。他方、法科大学院は法曹養成プロセス教育の一端を担っていますので、どのような法曹を育てるのか、法曹としての学びに何が期待されているのかを検討し、それを修得できる学びの基礎を獲得するうえでどのような手伝いが望ましいのかを模索します。この2つのアプローチが重なるところを原点として、法科大学院における学び修得の教育プログラムを展開することとなります。

本法科大学院では、学修力育成プロセスとして積上げ・重ね塗りのカリキュラムを礎に、統合型教育プログラムと思考法のトレーニングを教育内容の両輪とし、学修コーチングによる個別指導で後押しする教育システムの完成を目指しています。法曹となった修了生の皆さんがそれぞれ精一杯努力し活躍していると好評を得ていますが、それでもなお法科大学院での鍛錬が足りていない点があるとの厳しい指摘(お叱り)も受けます。システムの完成にはもうしばらく時間がかかりそうです。

学びは、わからないことを認識し、そこに疑問を見つけ出して、その解決を探り求めることから始まります。これが解決であると思われるところに到達して「わかった」と思っても、すぐさまそれが崩壊し再び暗中模索しなければならなかったり、もう一歩踏み出せばわからないことばかりであることを突き付けられたりと、安住・安息のない苦難の道のりです。踏む出す勇気と不撓不屈の精神が必要です。

しかし、最近は、この苦難を回避する勉強方法が広がっているようです。苦難の道を強いられるのは感覚的に嫌だというのはわからないでもないのですが、そもそも、わからないということが「格好が悪い」あるいはあたかも「敗北」であるかのように捉えられ、弱みを見せたくないと考えているようです。ペーパー試験で丸をもらって点数を競う勉強ではそうなるのかもしれません。丸をもらえばそれで一区切りと考えがちです。その狎れが更なる追求を要する場面でも足を止めさせ、そこに安住させようとします。

学習の中で「わかった」と思うことがあれば、その「わかった」という感触を大事にし、それを失うことがないように抱え込んで守ろうとしてむずとも動かなくなります。迅速性と効率性を求めるがゆえの思考結果なのでしょうが、その2つを追求することで失い犠牲にしていることも多いことにそろそろ気づいてもよいのではないかとも思います。

日々、安住の地で何事もなく生活し勉学できるというのは極めて幸運であって、その安住の地そのものを覆すようなことも実際に起こっているのです。

本年は五黄土星壬寅年です。十干十二支では壬寅で、冬の厳しさを耐えて、春の芽吹きを得て陽気に充つる年です。九星では、本年は破壊の星である五黄土星が中宮に座します。天災地変や地域紛争等に要注意とされています。

冬が厳しければ厳しいほど、陽気は活気に満ちたものとなるといわれます。破壊を経て創世にいたる時であると読むべきかと思います。破壊により人心が崩れることなく耐えるなかで学び得れば、多くの方々の学びが集まることで新たな世を創り出せることを、九星も十干十二支もあらかじめ伝えようとしているのではないでしょうか。

破壊は、これまでのさまざまな営みを消し去り、絶望という暗闇の淵に追いつめます。

破壊の闇を光で照らし、そこに希望を見出すのは、人間を人間たらしめる何かを探し求める姿勢にあるのではないか、人間を人間たらしめるのは何であるのかは智を愛する哲学の永遠のテーマですが、それは日々における学び考えることのなかで見つかるのではないか、などと淡い期待を抱きつつ散策しています。

次回は、「アプローチ➂―区別の技法と転移の技法」です。


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