第5回 血の通う方法論

 空港、駅でお土産ショップや書店を覗くのが楽しみなのですが、非常に多くの方法論をテーマにした書籍が並んでいます。おいしいケーキの作り方、外国等での旅の仕方やゲームの必勝法等、分野は様々です。最近は、暗記力、集中力や継続力から、勉強法、研究法、さらに思考法まであります。よりクォリティーの高い実践的能力を修得するための方法論に関する書物の数と量には驚かされます。

 何事も方法論は重要です。結果を生み成果を導くためのプロセスは、それを細かに追跡し分析するなかで何らかの共通項を発見し、方法論としてまとめ上げられるように思われます。一昔前であれば、成功談(苦労話等と合わせて)にすぎず、羨望の思いを抱くにとどまりましたし、そこに教訓や心構えが示されていても、それを実践するのは極めて難しいために、その成功ははるかに遠い世界の出来事だったように思います。

 しかし、最近の書籍では、私にもトライできそうな方法が懇切丁寧に論じられています。人を鍛えることが現代社会における共存共栄に不可欠であるとの確信と寛容さから、方法論を展開するための方法論が確立されたというところでしょうか。そのために、誰でもその方法を実践しようと考え、実際にそれを試み、何らかの能力の開発・強化の機会を得ているのではないでしょうか。私は「折角、縁あってその本を手に取り読んだのだから」と、そこに書かれた方法を試してみます。少なくとも私にとっては自分に足りないものを補い錬磨する多種多様な方法を学び実行できること、自分の体験を通じた血の通う方法として得られることは、大変ありがたいことです。方法は智慧となる素材であす。ソクラテスも言う通り、荷物のように人から人へと受け渡しのできるものではなく、自分で体得するものだと思います。

 方法論を血の通うものとして入手するためには、その方法論を示す書物をしっかりと分析し採用するに値するものであることを確信したうえで、その書物の指示に従って継続することが必要です。自分に備わっていないものであればあるほど継続を要するのですが、どうも一定の成果が短期間で見られないとすぐにあきらめて、別のもっと良い方法があるのではいないかとの衝動に負けてしまうようです。そこから放浪の旅になることも多いでしょう。これまでの自分を超えてその潜在的能力をも花開かせて、自分のレベルを1ランク上げようとするのです。自分の計らいで行動するのは、これまでの自分を後生大事に抱えているのと変わらないのですから、自分を超えることはできないでしょう。自分の経験と知識でがんじがらめのままでは新たな自分発見の途は歩めない。一度、自分というものを捨てる。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるというものです。

 法科大学院での学修法にも言えることです。これまでの学習経験からパターン学修でこなすことを考える傾向がありますが、それで他人を超える結果を残しているのであればそれを押し続ければよいでしょう。そうでなければ新たな学修法を獲得しなければなりません。これまでとは違う勉学態度や姿勢に挑戦することがその第一歩だと思います。

 次回のテーマは「鏡」です。

 


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