中ノ 三弥子 准教授にインタビュー!

多くの可能性を秘めた「糖鎖」を探求する「糖鎖生命化学」という研究分野

未解明の部分の多い「糖鎖」を徹底研究。質量分析計で謎に挑む。

 私の研究は「グライコミクス」と呼ばれるもので、糖鎖構造や糖鎖の全体像を網羅的に解析する学問です。「糖鎖」は一般にはまだあまり知られていませんが、2001年にヒトゲノム計画が完了されて以降、タンパク質の働きに深く関わる「糖鎖」の研究が注目されるようになりました。

 糖鎖はその名の通り、ブドウ糖やグルコサミンなどの単糖が鎖のようにつながった分子で、さまざまな構造を持ち、タンパク質や脂質に結合して、動植物の生体内で重要な役割を果たしています。糖鎖は細胞の表面を産毛のように覆っているのですが、例えば、細胞

同士が認識しあったり、情報をやり取りする際に、糖鎖を介してコミュニケーションが取られているということが知られています。その他にも、受精や病気、代謝、老化など、いろいろな生命現象に糖鎖が関わっていることが分かってきています。
 最も身近な糖鎖の例に「ABO血液型」があります。ABOという分類は、赤血球という細胞の表面に結合している糖鎖の構造の違いによるものなのです。このABO血液型による性格判断を信じているひとも少なくないと思いますが、いまのところ、科学的根拠はありません。ところが、血液型とがんや感染症といった病気との間に関係があることは、次第に実証されてきています。
 糖鎖と病気になぜ関わりがあるのでしょうか。その秘密は、糖鎖の生合成の仕組みにあります。糖鎖は遺伝子情報によって直接つくられるものではなく、細胞内の小胞体とゴルジ体に存在する「糖転移酵素群」と「糖分解酵素群」によって組み立てられます。病気になると、これら酵素群の働きのバランスが崩れてしまって、健康なときとは異なる糖鎖構造を持つようになるのです。そこで、この異なる糖鎖構造が分かれば、病気の罹患,発症や予後状態などが分かるということで、「糖鎖バイオマーカー」を開発しようという研究もおこなわれています。
 このように、糖鎖研究は私たちの生活に役立つ成果につながることが期待されているのですが、その扱いの難しさから、フロンティア領域の研究とされています。合成の方法が確立されておらず、簡便な解析の方法も見つかっていないことがその要因です。私が取り組んでいる糖鎖研究は、困難を多く抱えた、最先端の研究と言えるでしょう。研究の際に大きな武器となっているのが、MS(マス)と呼ばれる質量分析計です。

中ノ先生お手製の糖鎖構造モデル

研究の三本柱は糖鎖の「機能の解明、分析法の確立、バイオマーカーの開発」。

 では、私の研究内容をご紹介しましょう。前述のように、難しいことの多い糖鎖研究ですので、試行錯誤、悪戦苦闘の繰り返しです。
 まずひとつが、MS(Mass Spectrometry=質量分析計)を使って、糖鎖構造を分析し、機能の解明に挑んでいるというもの。糖鎖の構造は非常に複雑、多様であり、構造の変化に伴ってさまざまな機能が出現または消失すると考えられています。私たちの研究グループではこれまでに、糖鎖が複雑化するのを調整する仕組みや、糖転移酵素FUT8 が細胞内で働く新たな仕組みを発見しています。
 ふたつめは、糖鎖の分析法の確立に向けた取り組みです。糖鎖分析には現在、前述の質量分析計のほか、液体クロマトグラフィーを用いますが、これらによって、多様性に富む糖鎖構造を分析・決定するのは至難の業で、時間もかかってしまいます。そこで、組織薄膜切片上で酵素処理をおこない、分子イオンを色分けして、ターゲット分子の局在を可視化する「イメージングMS(マス)」という分析法など、新たな分析法の研究にも取り組んでいます。
 みっつめは、糖鎖のバイオマーカーの開発です。先に紹介したように、糖鎖は病気を知る手がかりになることが分かっていますので、特に予後の悪い病気、つまり、見通しの良くない病気を優先して研究をおこなっています。予後の悪い病気というのは、身体の奥深くに存在する臓器の癌などで、見つけにくいということも特徴です。糖鎖バイオマーカーがあれば、初期診断に役立てられるはずなので、これまでに、膵臓癌・胆道癌・抗がん剤耐性白血病・乳癌などの糖鎖バイオマーカー開発の研究をしてきました。特に多くの乳癌では、エストロゲンなど3種の受容体が細胞表面に出てくるのでこれをバイオマーカーとして利用しているのですが、3種ともまったく出てこない乳癌というのがあるため、いまこの乳癌を診断するためのマーカーの開発に取り組んでいるところです。

  質量分析計

世界でも数少ない糖鎖分析の研究室で、楽しみながら、新しい発見を!!

 糖鎖機能を見るというような糖鎖生物学の研究者は結構、世界中にいらっしゃいますが、私のような糖鎖分析を専門とする研究者は非常に少なく、世界でも20研究室ほど、日本では数研究室しかないというのが現状です。そのため、この分野の発展のためには、自分のできることを専門的に集中しておこないながら、他の共同研究者たちと情報共有していくことが大事だと考えています。
 もちろん、自分の分析には自信を持っています。私は自分自身で実験をするタイプなので、実際に手を動かして作業している最中に、「あ!これ何?これ、出たんじゃない?」と思う、その瞬間がなにより楽しいです。世界中の誰ひとりとして知らないことを、いま、自分だけが知っているんだと優越感に浸る瞬間が最高です。そうした発見する喜びがこの研究の醍醐味だと思います。いま取り組んでいる乳癌のバイオマーカーも、ぜひ一番初めに、これだと思えるマーカーを見つけたいと思っています。
 そして、研究者としての大きな夢は―――もちろんノーベル賞です!2002年にノーベル化学賞を受賞された田中耕一先生は、MALDIという質量分析法を開発されたのですが、糖鎖の分野でのノーベル賞はまだ受賞者がいないので、田中先生からもいい刺激をいただきながら、糖鎖研究を頑張って続けていきたいと思っています。

 最後に、工学部と研究室についてご紹介しましょう。
 ここは工学部ですが、第三類には、生物を扱う「生物工学」があるんです。実は私も広島大学に来るまでは、工学部に生物をやるところなんてないと思っていたので、このことを高校生の皆さんに知っていただきたいなと思うのです。工学部というとやはり「ものづくり」ですから、生物工学というのは、生物に何かをつくらせる訳ですね。私の場合は、生物を使ってバイオマーカーを開発して、最終的には検査キットなどもつくる。医工連携という形で、成果を世の中に還元していくことを目指すような研究をおこなっている。こうした研究の場があるということを、まずは知ってもらえたらと思います。
 また、私のところの研究室はと言いますと…。合言葉は、“エンジョイ サイエンス!”。私自身、学生の頃は「研究バカ」ならぬ「研究アホ」と呼べるほど、楽しみながらいろいろなことに挑戦してみたり、常に「なんでやろう?」と思いながら進んで進んで、先生に怒られる…というような過ごし方をしてきましたから、研究室にいる学生さんたちにも、好奇心を持って楽しんで研究を続けて欲しいと思っています。どんな研究室なのか、興味の沸いた方は、どうぞ実際のところを見にきてくださいね。

2017年11月 Phoenix Outstanding Researcher Award,広島大学

中ノ 三弥子 准教授
Miyako Nakano

分子生命化学研究室

1997年3月 近畿大学 薬学部卒業
1999年3月 近畿大学大学院 薬学研究科 博士前期課程修了
2001年9月~2002年9月 ジョンズホプキンス大学 (米国) 共同研究留学
2004年3月 近畿大学大学院 薬学研究科 博士後期課程修了

1997年07月~ 薬剤師
1999年4月~2001年3月 薬品工業株式会社 研究開発部 社員・管理薬剤師・研究員
2004年4月~2008年3月 大阪大学大学院 医学系研究科生化学教室 21COE特任研究員
2008年4月~2010年3月 マッコーリー大学(オーストラリア) リサーチフェロー
2010年4月~2012年5月 広島大学大学院 先端物質科学研究科 助教
2010年7月~ 2011年3月 大阪大学 産業科学研究所 招聘教員
2011年4月~2018年3月 理化学研究所 基幹研究所 客員研究員
2012年6月~2019年3月 広島大学大学院 先端物質科学研究科 准教授
2019年4月~ 広島大学大学院 統合生命科学研究科 准教授
2019年4月~ 熊本大学, 大学院保健学教育部 非常勤講師
2021年7月~ 日本糖質学会 評議員
2021年9月~ 大阪国際がんセンター 糖鎖オンコロジー部 招聘研究員


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