第12回 梅尾和則准教授

ヘリウムの一滴は血の一滴

梅尾 和則 准教授

 筆者は上記のセンターに所属し,物質科学の基礎研究に必要不可欠な寒剤(液体ヘリウムと液体窒素)の製造と学内ユーザーへの供給の業務を担当している。それらの業務のうち最も重要なものは,液体ヘリウムの製造と供給である。それを担うヘリウム液化機は2003年(平成15年)に導入されたものだが,一般的な寿命である10年をはるかに超えて,最近では度々不具合を起こしていた。しかし,関係者のご努力でヘリウム液化機とその周辺機器の更新の予算が2016年度(平成28年度)の政府の第2次補正予算で認められ,2018年(平成30年)3月末にそれらの更新が完了する予定である。これまでの予算申請等にご努力,ご協力頂いた教員と事務職員の皆様にまず感謝を申し上げたい。更新の詳細については,別の機会で報告する。

 今回は,前述に関連して,ヘリウムについて筆者の経験から感じていることを述べたい。まず,ヘリウム(4He) は1気圧での沸点が4.2 K(マイナス269℃)であり,物性物理の基礎研究の分野では,試料の冷却や超伝導磁石を用いて強磁場を作り出すためには必要不可欠な寒剤である。どのくらい不可欠かというと,低温物性研究の実験家の多くは,ヘリウムがなければ,ほとんど実験できず,論文も書けず,研究者としては死んでしまう。つまり,ヘリウムは我々が生きていく上での水や電気と同じように,実験家として生きていく上でなくてはならない貴重なインフラである。貴重といえば,ヘリウムは地球上では数か所の天然ガス田からしか産出されない非常に貴重な地下資源でもある。つまり,将来的に枯渇することが自明な資源である。

 そのような貴重さから,低温物性研究の先人たちは「液体ヘリウムの一滴は血の一滴がごとく」貴重であるとして,大切に液体ヘリウムを扱ってきた。それを現したのが表題である。この言葉の正確な出所を筆者は承知していないが,筆者が液体ヘリウムを使って研究を始めた30年ほど前には,既に言われていたようである。ヘリウム液化の歴史は科学史から見れば比較的最近であり,1908年,オランダ,ライデン大学のヘイケ・カマリング・オネス(Heike Kamerlingh Onnes)によって,人類史上初めてヘリウムが液化された。日本で初めてヘリウム液化機が導入されたのは,1952年(昭和27年)に東北大学金属材料研究所においてであり,広島大学では,1966年(昭和41年)であった。

 筆者が初めて液体ヘリウムを目にしたのは,まだ,広島大学が広島市南区東千田町にあったころ,今は廃墟のようになり保存するかどうかの検討がなされている理学部1号館の南側1階の実験室だった。その頃の液化機があった極低温室と呼ばれた建物はその1号館の南側に通路を挟んで建っていた。当時の液体ヘリウムを使った実験には,ガラス製の2重のデュワー瓶(魔法瓶)を主に使っていた。そのデュワー瓶を予約した日時に液化室に二人がかりで担いで持っていき,液体ヘリウムを汲み出していた。筆者がそこで実験していた当時の液化機は現在の液化機より能力が低く,1時間当たり20リットル程度しかヘリウムを液化できなかった。そのため,予約状況を十分把握したうえで綿密に液化業務の計画を立てていたと思われる。したがって,予約した日時は絶対厳守だった。その当時,極低温室の液化機担当の技官は非常に厳しかったので,万が一,予約をキャンセルするには,研究室の教授がその技官に頭を下げる必要があった(らしい?)。教授に頭を下げさせるようなことを研究室に入りたての4年生ができるはずもないので,皆,何が何でも予約した日に予定の実験ができるよう死に物狂いで準備していた。しかし,しっかり準備したつもりでも,無事に液体ヘリウムをデュワー瓶に汲み出せるかどうかは分からない。デュワー瓶の断熱真空層は真空ポンプで真空引きしていたが,その真空引きが十分でないと液体ヘリウムが瓶に溜まらないか,溜まったとしてもすぐに蒸発してしまう。また,液体ヘリウムが入る部分はあらかじめ液体窒素で予冷するのだが,その液体窒素がわずかでも残っていると液体ヘリウムは溜まらない。予定の時間に極低温室で液体ヘリウムがうまく溜まらないであたふたしていると,担当技官と指導教員にひどく叱られたのを覚えている。表題の言葉を直接その当時の技官や関係者から聞かされてはいなかったが,その極低温室から「液体ヘリウムを無駄にするべからず」というオーラが出ていたように記憶している。

 そのようにして,無事にガラスデュワーに1~2リットルの液体ヘリウムを汲んで実験することになるが,その程度の量で20時間くらいの基礎的な物性(電気抵抗や比熱など)の測定が可能であった。その当時は,パソコンがようやく普及し始めたころで自動測定システムなどなく,実験者がヒーター調節のつまみを回して温度調節し,デジタル測定器の表示を読み取って実験ノートに記録・解析し,グラフに手書きでプロットしていた。また,液体ヘリウムが蒸発してなくなる20時間の間で必要なデータが取れるように,実験計画を十分検討し,無駄のない手順を常に考えながら実験していた。デュワー瓶の中の液体ヘリウム液面の高さを30分から1時間おきに計測し,液面の降下スピードから後何時間ぐらい実験が可能かを常に考えながら作業していた。残り数センチ,数ミリというところでは,「もう少し頼むから液体ヘリウムよ,もってくれ」と祈るような気持ちで液面を見ていたのを思い出す。そのようにすれば,当然,寝る暇などなく,ひどいときは食事やお手洗いも後回しということも度々あった。すべては,この2リットル程度の液体ヘリウムを無駄にせず,できる限りのデータを取る,実験をやりぬくという一念で取り組んでいたように思う。当時はしんどいなと思うこともあったが,今思えば,非常に貴重である意味楽しい夢のような時代だった。

 さて,現在に立ち返ると,来年には当時の5倍以上の能力を持つ最新型のヘリウム液化機が低温実験部に導入され,当時より多量に,また,比較的自由に液体ヘリウムを使うことができる。さらに,市販の自動物性測定システムもセンターに配備され,試料をセットすれば翌日には目的のデータが得られるようになった。それはそれで,研究が大いに進展するので喜ばしいことである。ただ,今でも,実験室で液体ヘリウムが使われていないまま容器の中に残っていると少しそわそわしてしまうのは,昔の記憶が残っているからかもしれない。いろいろなものを大量に消費する時代に入って久しいが,本来,貴重であるはずのいろいろなモノ(液体ヘリウムに限らず,人生という「時間」など,もろもろ)を本当に無駄にせず,有意義に使えているか,今一度,自戒してみたいと思う。さらに,研究や実験を通して,表題の意図するところを現代の学生さんに少しでも伝えることができれば,大学教員の責任の一端を果たせたのかとも思う。

(2017年4月10日掲載)

卒論研究をしていた理学部1号館南側

当時,卒論研究をしていた理学部1号館南側(2012年撮影)


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