第7回 岡本宏己教授

第7回 「偶然がつくった今」

岡本 宏己 教授

 ひとりの人間が一生の間に知り合って親しく付き合うことになる他人の数はさほど多くはありません。誰と知り合うかはほとんど偶然ですが、その偶然が後の人生に強い影響を残すことはよくあります。私の研究屋としての人生も、ごく少数の先生方との偶然の出会いによって、その方向性が完全に決まってしまったと言っても過言ではありません。

 私は学生時代、遊び呆けてばかりの問題児でしたが、大学院で竹腰秀邦先生に拾って頂き指導を受けることになりました。研究室では自由奔放に過ごさせてもらった記憶があります。先生にはしばしば河原町界隈に飲みに連れて行ってもらっては只酒をごちそうになったものです。先生の友人のひとりにロスアラモス国立研究所のお偉いさんがおり、親日家の彼はサバティカルで竹腰研究室に長期滞在することになりました。私が博士論文のためのテーマを模索していた頃のことです。そのお偉いさん、Bob Jamesonはその後の私の人脈形成に極めて大きな影響を及ぼすことになります。

 Bobから米国に誘われた私は、学位を取得した後、ロスアラモスで研究を続けようと決心します。竹腰研は実験系のグループでしたが、当時私は理論的な仕事にも興味があり、Bobに「優秀な理論家の知り合いがメリーランド大学の物理教室にいる。ロスアラモスへ来る前に、彼のところで半年ほど修行するとよい。」とアドバイスされました。その“優秀な理論家”がBob Gluckstern教授でした。教授とはもちろん面識がありませんでしたが、私の分野では著名な大先生で、論文やテキストを通じて名前はよく知っていました。私はJamesonの紹介で、労せずしてGlucksternのグループに入れたわけです。彼との共同研究は非常に刺激的で、その数学的能力の高さにはよく驚かされました。人間的にも素晴らしい紳士でした。彼はかつてメリーランド大学の総長を務めていましたが、職を辞すまで周囲の人種・思想差別的動きに抵抗し続けたと聞いています。私がメリーランドを離れる際、「是非また戻ってこい」と声をかけて頂き、実際それから2年後、私は再び彼の研究室に(今度は1年強の間)籍を置くことになります。ところで、当初は半年の東海岸滞在後ロスアラモスへ向かう計画だったわけですが、結局、帰国することになってしまいました。母校の助手ポストが空き、急遽そこへ納まることが決まったためです。もしあの時、助手の空きポストが生じていなかったら、私はいま恐らく日本にはいなかっただろうと思います。

Gluckstern教授と奥さんのLiz

Gluckstern教授と奥さんのLiz

 1992年の夏、Gluckstern教授からの誘いを受け、メリーランドを再訪することになりました。その後、日本の上司から「レベルの高い研究機関からオファーがあるのなら、米国滞在を1年延長しても構わない」との寛大なお言葉を頂きました。最終的にローレンスバークレー国立研究所のAndy Sessler博士からのオファーに応じ、車で大陸を横断して、カリフォルニア州のベイエリアへと引っ越しました。1年の滞在予定だったのですが、かのJamesonから「CERNもいい所だぞ」と勧められ、バークレーとスイスのジュネーブでそれぞれ半年ほど仕事をすることに決めました....滞在期間が半減して、Andyは不服だったようですが。このように私は非常に幸運で、自分からあくせくポスト探しをした経験がありません。有力な友人達と偶然お近づきになれた結果、随分と楽をさせてもらいました。欧米を渡り歩いた2年ちょっとの間は研究屋として最高の時間を過ごすことができました。現在は雑用に忙殺されることが多く、閉口しています。日本に戻ってきたのは間違いだったかもしれません。

フェルミ賞授賞式後のSessler博士(右)

フェルミ賞授賞式後のSessler博士(右)

 Bob GlucksternとAndy Sesslerはいずれもポスドクの頃Hans Betheと仕事をしており、その経験は後の研究スタイルや後進の指導に活かされている気がします。ふたりともユダヤ系、Betheもそうです。ユダヤ人って凄いですね。いずれにしても、BobとAndyは私にとって単なる共同研究者以上の存在となり、帰国後も連絡を取り合ったり、出張先で旧交を温めたりしていました。とくにAndyとは(国内外のどの研究仲間と比べても)圧倒的に多くのメールのやりとりがありました。研究関連の議論や情報交換だけでなく、何か面白いことがあるとお互いにすぐメールを飛ばしたものです。彼は結構な頻度で私の研究室を訪れ、何人かの広大生の研究指導にも手を貸してくれました。現在私のグループで進めている中心的な研究テーマは、突き詰めれば、20年前にAndyと始めた仕事が発端になっています。

 以上のような個人的経験に鑑み、若い人たちにはもっと積極的に視野を広める努力をして欲しいと願っています。際立った才能との接触は自分の隠れた能力を開花させてくれるかもしれませんし、その後の人生にとって必ずプラスに作用するはずです。できることなら若い内に一度は日本を離れ、外の世界を見てみることを強くお勧めします。

(2016年8月24日掲載)


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