第9回 高根美武教授

理論屋としての幼年時

高根 美武 教授

 D1の春、師匠である海老澤丕道先生から与えられた研究主題は「超伝導体を含むメゾスコピック系における電気伝導」でした。単純なメゾスコピック系における電気伝導の理論はほぼ確立されていたので、超伝導体によって新しさを引き出そうという狙いです。最初に取り組んだのは超伝導体を含む金属細線のコンダクタンス揺らぎでした。超伝導秩序の影響を摂動的に取り込むと揺らぎが増大することを見出し物理学会(1990年秋)で発表しましたが、師匠の兄弟子にあたる福山秀敏先生から「常伝導-超伝導界面ではアンドレーフ反射が生じるから、その影響をきっちり取り込みなさい」と駄目出しされてしまいました。つまり摂動展開では不十分という意味の助言ですが、そもそもアンドレーフ反射を知らなかった当時の私には猫に小判でしかありません。結局、当時福山研の院生だった吉岡英生さん(現奈良女子大学)に教えてもらい、その大要を理解することができました。学会に出掛けても知人が皆無であった私にとって、吉岡さんに親切にして頂いたことは忘れられません。帰るや否や、アンドレーフ反射の取り扱い方を即席学習し、計算をやり直しました。その結果をまとめたものが私の最初の論文です。

日本物理学会1990年秋の分科会(奈良女子大学)のプログラムから抜粋。

 その後、師匠から研究に関して具体的な指示を頂くことはなく、私は完全な放し飼い状態で研究を進めることになりました。師匠からすれば、私の破滅的に非従順な性格を勘案した指導方針だったのでしょう。師匠の掌上とはいえ完全放牧教育はなかなかの試練でしたが、長い目で見れば大変よい職業訓練だったと実感します。当時、「私の上に降る雪はひどい吹雪」だと自己陶酔的に考えていましたが、今では「真綿のようで」あったと思えてきます。

 当時、メゾスコピック系の分野では、ランダウアー公式に基づいたコンダクタンスの数値シミュレーションが流行っていました。そこで、揺らぎの問題をこの手法で検証しようと企てましたが、困ったことに超伝導体を含む系に使えるコンダクタンスの公式が見当たりません。無いなら作ってしまおうという訳で、線形応答理論に基づいて見様見真似で計算したら、もっともらしく綺麗な表式に辿り着くことができました。その結果を論文にまとめて勇んで投稿したところ、レフェリー曰く「BTK公式というものが既に知られている」とのこと。そのBTK公式が自分の導いたものと本質的に等しいことを認識した瞬間、絶望的に落胆したことを鮮明に憶えています。とはいえ、線形応答理論から微視的に導出した点に新味があり、また部分的にBTK公式の拡張になっていたことから、この論文はかなり好意的な評価を得ました。もしBTK公式の存在を知っていたら、この論文を書くことはなかったでしょう。致命的なまでの無知が偶然の幸運をもたらしたと言えます。小規模なシミュレーションを実行し論文にまとめましたが、研究例が少なかったせいかこれも意外と好意的な評価を頂きました。どの論文も全体的に雑で今となっては恥ずかしい限りですが、当時の自分としてはそれが精一杯でした。

 D3の秋、二件の助手公募に参戦したところ、一方に引っかかり奇跡的に理論屋として就職できてしまいました。面接で「あなたの仕事は、本当にあなた自身でやったものか」と問われたとき、「全部自分でやりました」と即答したことが採用の決め手になったと後で知らされました。資本主義社会を生き抜くためには、適度な「はったり」も必要なのでしょう。着任先では中村勝弘先生(現ウズベキスタン国立大学)のもとで病的に面白おかしく不条理にして魅惑的な研究生活を送ることになりますが、これについてはまたの機会に。

(2016年10月25日掲載)


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