延川裕樹(兼松株式会社 内定)

(インターンシップ先:ケニア,ケニヤッタ大学(2011年度))

 

私が内々定を頂いたのは4月13日であった。修論の調査で3月24日までケニアに居たので、3週間ほどで就活を終えた。優秀ですねと声を掛けてくださる方もいるが、自分を優秀だなんて思ったことはない。そもそも、「働く」とはどういうことなのか。稚拙な頭で辿りついた答えが、「途上国の発展に貢献する」という夢の実現であった。もちろん、大学院での経験が大きいのは言うまでもないが、何とも大きく、わかりにくい答えが頭に浮かんだ。
もともと、教育学部に通っていた。実習の関係で在日ブラジル人の学校を訪問する機会があった。母国語ではない日本語での授業、生活は子どもたちには苛酷なため、学力面にも影響があった。日本の教育は機会の平等、結果の平等という両方を追っている国であり、そこで育った私はこの現実を目の当たりにして、愕然としたことを覚えている。この経験がきっかけとなり現在の国際協力研究科に入学することにした。

ケニアに行くチャンスを手にいれたのは入学して間もない頃であった。G.ecboインターンシップに応募し、ケニヤッタ大学行きのチケットを手に入れた。初めてのアフリカということもあり、胸を躍らせながらケニア行の準備をしていた。これをきっかけに調査する国もケニアに決定し、現時点では数えて4回、ケニアを訪れたことになる。

1人の少女に出会った。彼女は学校で遊んでいる時に足に怪我を負った。直ぐにでも病院に連れていかなければならないほど、かなり傷が深い。しかし、校長が下した決断は日本のそれとは大きく違っていた。親に事情を話し、引き取ってもらうというものであった。
その子がどうなったのかはわからない。経済面での困難が未だに蔓延っており、教育上の安全を確保できていない。それが私の見たケニアであった。

肌で感じた現実はその漠然な夢の創造に大きく貢献した。知識と体験が重なり、私にその答えを問いかけるようになっていった。どうすればあの少女のような子どもたちを減らせるのだろうか。この答えを出せる仕事に就くことが目標になっていった。
どのような働き方が自分には合っているのか、楽しめるのか。曖昧な夢を持った私が考えた次のことである。

調査の関係でケニアの方々と話しをすることは楽しかった。ケニアではあらゆる活動をするときに書類での申請が重要な意味を持つ。その資料を基に担当者に説明をすることで、担当者がボスと掛けあってくれる。かなり長い道のりである。私は学校訪問のために提案書作りから趣旨説明に精を注いだ。努力が報われ、学校訪問が実際にできた時は喜びの瞬間であったといえる。
学校に着くと、教員たちはとても気さくであった。握手とハグで迎えられ、家族のように私を気遣う質問攻めにあった。
毎日、1回は「元気か。困ったことはないか。」と電話をくれる先生も居た。その電話代を抑えれば、もっと楽な生活ができるだろう、と内心は思っていたが、その優しさは純粋に嬉しかった。気が付けば、現地の方々とコミュニケーションをして仕事をするのは良いだろう、という感覚が芽生えていた。

日本ではどちらかと言えば人見知りに分類される私だが、海外で英語を使う環境になると、心がオープンになっている。拙い英語だが、コミュニケーションを取っている時間が楽しい。この発見が就活時の会社選びで影響したのだろうと今は思っている。
無数にある企業の中から、縁ある会社に出会うには、優秀である前に「自分」を知り、会社選びの作戦を立てることが何よりも重要なのだろう。心が高揚する環境に巡り合えたことが私の就職活動に有利に働いたのかもしれない。


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