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【開催報告】【2023.10.10】定例セミナー講演会No.150「フィンランドの音楽教育における”Artistic Research”の展開−シベリウス音楽院の事例を中心に−」を開催しました。

広島大学大学院人間社会科学研究科「教育ヴィジョン研究センター(EVRI)」は、2023年10月10日(火)に、第150回定例セミナー「フィンランドの音楽教育における“Artistic Research” の展開−シベリウス音楽院の事例を中心に−」を開催しました。大学院生や学校教員を中心に47名の皆様にご参加いただきました。 

はじめに、司会の徳永崇准教授(広島大学)より、本セミナーの趣旨が説明されました。登壇者についての簡単な紹介の後、フィンランドの幼少期から高等教育までの教育事情を概観した後、”Artistic Research”とは何か、その研究手法がどのように研究で活用されるのかについて考えることが本セミナーの目的であり、講演終了後に、参加者と共にコンサートを鑑賞することがセミナーの参加者全体で確認されました。 

講演の趣旨を説明する徳永准教授

次に、アヌ・ランペラ氏(シベリウス音楽院講師)、レーッタ・ナータネン氏(タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団クラリネット奏者)、双方からレクチャーが行われました。レクチャーの前半部では、ナータネン氏がフィンランドの学校制度、および音楽教育制度について概観する形で進められました。フィンランドはPISA学力の高さで世界的に注目されました。その理由としては、社会において1.男女が平等であること、2.年齢による上下関係がないこと、3.収入による教育格差がなく平等であることが挙げられました。特に、3つ目の理由については、貧しい人々が住むコミュニティにおいても同様の学習環境を得ることができるように、教員が出向いて教科を教える「巡回学校」の試みが紹介されました。 
続いて、音楽教育の事情について説明がなされました。フィンランドでは、全土で20ものオーケストラが組織されており、子どもにとって身近なものになっています。音楽学校では、オーケストラと関わりながら、伝統的なクラシック音楽のみならず、現代音楽も学ぶことができます。ほぼ全ての地域にこの音楽学校が存在しており、手ごろな額でレッスンを受けることができます。レッスンは、個人レッスンが基本で、幼少期の子どもも受講することができます。既成の学校ではない、夏に集中的に実施されるサマー・ミュージック・キャンプに参加することが通例であり、幼い子どもたちは、新たな音楽にチャレンジすることが日常だといいます。
続いて、ランペラ氏からは、自身が所属するシベリウス音楽院の博士課程について紹介がありました。課程は大きく、クラシック音楽を主に学修するドク・ムス、ジャズ、民族音楽を主に学修するムートゥリに分かれます。芸術と研究が相互作用し、伝統的な科学的手法も用いられつつ、新たな研究方法が開発されることで、課程での研究が発展している状況にあるとのことでした。 
後半部では、”Artistic Research”とは何か、この方法に基づく研究とは何かについて議論がなされました。”Artistic Research”とは何かについては、伝統的な研究手法との比較の下に明らかにされました。”Artistic Research”におけるデータは、伝統的な科学と同様の客観的な結果を示すものではなく、それを補完する情報という扱いがなされます。研究テーマは外的に存在するのではなく、研究者自身が研究テーマそのものとなるという前提が”Artistic Research”にはあります。それ故、研究者自身による独自の研究方法を開発することが特徴となると考えられているということです。 
ナータネン氏は、自らが進めている研究を引き合いに出して、”Artistic Research”の具体事例を提示します。氏の研究のバックグラウンドには、日本研究があると話します。西洋音楽は当然のように日本で広く受け入れられている現状があり、そのことに違和感を持つことはないと考えられます。一方で、西洋とは異なる国や地域の文脈(氏の研究では日本、そしてアジア)を、西洋音楽はどのように吸収しているのか?この問いに応答するために、氏は作曲家ユハ・コスキネン氏の作曲した作品をケーススタディとし、その曲に抱く感情を日々記しながら、西洋と日本での文化的知識の違いが作品の理解にどのような影響を及ぼすのかについて、現在に至るまで定性的に調査しているとのことでした。 
ランペラ氏は、「オートエスノグラフィー」という研究手法の重要性を主張します。音楽の領域では、作品の評価に重きを置くことが一般的であるといいます。作曲家が作った作品を演奏家が様々に解釈します。このことから音楽教育の領域を見てみると、音楽を表現する学習者は、ある音楽家に師事し、作品にできるだけ忠実であるように、演奏技術、音楽性を師弟関係の中で学んでいきます。氏は、学習者のエージェンシー(学習,演奏に向かう主体性)の問題から、この関係性を批判します。学習者は自らの演奏を振り返ったり、反省したりする機会はあるのか、そして、本当に作品自体に関心を示しているのか、もし作品自体に学習者が入り込むことがなければ、苦痛を経験するのみではないかと、氏は警鐘を鳴らしていました。「オートエスノグラフィー」は、ある特定の状況での私たち個人の経験・体験を書き留めてデータ化する研究です。そして、その個人的なデータがどのように社会全体を表す事柄や概念と結びつくのかを明らかにするものです。氏は、「アーティストが主体的に演奏に取り組むために必要か」を研究課題とし、「オートエスノグラフィー」研究に取り組んでいると述べられました。 
ナータネン氏は、人間学、あるいは社会学的なアプローチから、ランペラ氏は、哲学や現象学の領域から、”Artistic Research”に取り組んでいることが確認されました。 

フィンランドの音楽教育について語るナータネン氏 

オートエスノグラフィーについて語るランペラ氏 

また、質疑応答では、「オートエスノグラフィーでは,データの信ぴょう性は保たれないといけないものなのか?」、「作曲家が自作を解説・評論、演奏に対するエッセイを書くことは、Artistic Researchと呼んでよいか?」、「ケーススタディを示す時にどれほど研究者自身の感情を含めてよいか?」といった問いが参加者から投げかけられました。1点目の問いには、「読者が読んだとき、そのデータを自分のものとして感じ取ることができれば、保たれるといえる。そのためには、自己開示、トラウマを始めとした内面を深く掘り下げることが必要だ。」2点目の問いには、「もちろん,含まれる。体験や経験と結びつくものであれば、研究方法として取り入れ得る。作曲過程そのものをアクション・リサーチとして研究することもできる。」3点目の問いには、「自分の研究日誌を作り、今感じていることを解き放つのがよい。これは、公表する文章ではない。誰もそれを見ないので,自らの今の状況を反響させて,研究でのアイデア・データに活用すればよい。」との応答がありました。 
質疑応答を終えると、ランペラ氏,ナータネン氏から、参加者に対するメッセージが述べられました。ランペラ氏は、一言、「自分を解放してください、と言いたい。」ナータネン氏は、「自分自身が何を成し遂げることができるのか、そのことを考えながらアクションすることが重要だ。」とお話されていました。

最後に、ミニ・コンサートが行われました。ランペラ氏がピアノ、ナータネン氏がクラリネットを演奏する形で進められました。曲目は、1.イリッカ・クーシスト《キッサラのアーベリの楽器》より「ユッシのポルスカ」、「トゥオマス」、「ラウリのマーチ」、「エーロのポルカ」、2.スルホ・ランタ《夕暮れ》「間奏曲」、「牧歌的小品」、《青の間》、《その他》、3.ミッコ・ケルヴィネン《ピアノのための4つの前奏曲》「ポコ・ソステヌート」、「アレグロ」、「ポコ・レント」、「レント・ソステヌート」、4.ユハ・T・コスキネン《ドリーム・トランスミッション》「鏡」、「平等」、「お地蔵様」、「活眼」、「振舞」でした。オリエンタリズムの考え方を取り入れたもの、短い時間で表現できるものを楽曲としたもの、ナータネン氏の研究の一環として作曲されたものなどが演奏され、参加者は、食い入るように聴いていました。
自己の内面や感情が表現されたミニ・コンサートとなっており、本セミナーの目的に応える形で、演奏がなされていました。
 

演奏を行うナータネン氏

演奏を行うランペラ氏

今後もEVRIでは、様々な教科の教育研究の知見を活かして,社会からの期待・要請に応える教育の在り方を検討・提案してまいります。 
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【問い合わせ先】

広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI) 事務室

E-Mail:evri-info(AT)hiroshima-u.ac.jp
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