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【開催報告】【2023.4.8】定例オンラインセミナー講演会No.136【「文章・対話・学び―オーセンティックな読む行為が成立する条件―」を開催しました

広島大学大学院人間社会科学研究科「教育ヴィジョン研究センター(EVRI)」は、2023年4月8日(土)に,第136回定例オンラインセミナー「文章・対話・学び―オーセンティックな読む行為が成立する条件―」を開催しました。大学院生や学校教員を中心に25名の皆様にご参加いただきました。

はじめに,司会の山元隆春教授(広島大学)より,本セミナーの趣旨が説明されました。紅野謙介『ことばの教育―日本語を読み,書き,考える―』(青土社, 2023年)や澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編『〈読む力をつけるノンフィクション選〉中高生のための文章読本』(筑摩書房, 2022年)に基づいて,読むことで揺さぶられ,もがき,考えて意味をつくり出す時間をもつことの重要性を指摘した後,ニセ読み(fake reading)ではない,文章の言葉に熱中し,ワクワクしながらも,他者を配慮しながら読む行為を,「オーセンティック(ほんものの)読む行為(authentic reading)」と定義することが述べられました。そのうえで,「オーセンティックな読む行為」を成り立たせるために,どのような本や文章が必要か,どのような働きかけや工夫が必要か,そのことを考えたいということがセミナーの参加者全体で確認されました。

続いて,山元教授から基調提案が行われました。
文章の仕組み・仕掛けはとても大切であるものの,それを読者はどのように認識して,自らの読む行為を営むのかということはそれ以上に重要なことであると述べられました。また,米国の読書研究ではそのような読者が行使する理解方略群についての提案がいくつも行われてきており,その最大公約数を示したのが「関連づける「質問する」「推測する」「イメージを描く」「何が大切かを見極める」「解釈する」「修正しながら意味を捉える」というエリン・キーンの七つの理解方略である(キーン『理解するってどういうこと?』新曜社, 2014年)と紹介されました。
こうした理解方略を覚えるのではなく,使えるようにするにはどうすればいいか,文章のどういう位相に気づくことができれば,理解方略を使わざるをえなくなるのか,ということに注目したビアーズとプロストという研究者が,理解方略を使って精読するきっかけとなる「予想外の行動」「アハ体験」「難題」「繰り返し」「回想の場面」といった「道標(signposts)」を提案した(Kyleen Beers & Robert Probst, Notice and Notes, Heinemann, 2013)ことが紹介されました。すなわち,「道標」に気づき,質問を考えることができれば,読みながら考えることができるようになること。考えるために理解方略を使わざるをえなくなること。ビアーズらの提案のポイントはそこにあると指摘されました。
ラングストン・ヒューズ「ありがと,おばさん」(村上春樹・小川高義編訳『超短編70』文春文庫)を用いた,ビアーズらによる「予想外の行動」についての「ミニ・レッスン」の一部を実際に取り上げたうえで,この作品を扱った米国の8年生のグループ討議の一節を取り上げました。そこでは,登場人物がなぜこのように語ったり,行動したりするのかということに多くの言葉が費やされ,情報やストーリーを超えたことが話し合われ,読者として自分の「思考」が語られていました。このように,さまざまなテクストを「道標」を手がかりにして読み,質問し,それについて考えたことを語り合う行為の繰り返しのなかで,少なくとも「思考」がつくり出されることが重要であると述べられました。そのようにして「思考」をつくり出すことを営むなかにフェイクは生まれにくいことも指摘されました。
2023年の状況のなかでは,このような「オーセンティックな読む行為」がテクストと読者,読者と読者との「交流」によって生み出されることの意味を考えることが重要だと思われるとして,AIに質問して出てくる「答え」がどれほど精巧なものであろうとも,現状においてこうした「交流」の再現ができるかどうかはわからないものの,「オーセンティックな読む行為」の代替はできないのではないかと述べられました。その一方で,AIと「対話」しながら,そのことで文章のうちの,読者が気づかない位相が現れて,そのことに引き込まれて文章の意味を再考する行為が成り立つのであれば,それは新しいかたちの「オーセンティックな読む行為」になる可能性はあるのかもしれないとも付言されました。ただし,決定的に重要なのは「大切な質問」をすること自体は,まだAIにできないということであり,「思考」をつくり出す営みを繰り返していくことは,人間にしかできない「質問」を本のなか,頭のなか,心のなか,に生み出していくことではないだろうかと全体に投げかけ,「chatGPT」にはできないことをしっかりと営んでいくことが「オーセンティックな読む行為」を営んでいくことであると述べられました。

次に,守田庸一氏(三重大学)から「言葉と言葉/対象と言葉」と題して話題提供が行われました。現行学習指導要領(国語)を中心にして「読むこと」の学びを通して育てる「資質・能力」として「言葉による見方・考え方」という「方法知」であること,それが「対象と言葉,言葉と言葉との関係」を焦点化するものであることを確認しました。そのうえで,小学校国語教科書の文学的文章教材「スイミー」(レオ・レオーニ作・絵,谷川俊太郎訳)説明的文章教材「一つの花」(今西祐行)「すがたをかえる大豆」(国分牧衛),中学校高等学校国語教科書の説明的文章教材「モアイは語る-地球の未来」(安田喜憲)「イースター島になぜ森がないのか」(鷲谷いづみ)を取り上げて,それぞれの文章における「対象と言葉,言葉と言葉との関係」を分析しました。
「スイミー」では「みんな」という言葉に,「一つの花」では「一つ」という言葉に,学習者の注目を引きつけることで,登場人物の言動の変化に目を向けることが可能になり,それらの言葉が繰り返させる意味を考えることができるようになります。また,「モアイは語る」と「イースター島になぜ森がないのか」とでは同じ「イースター島」のことを扱っていてもそこに言葉で示される情報が異なることを見取ることができます。こうした「対象と言葉,言葉と言葉との関係」に学習者を注目させ,その意味を掘り下げることが「オーセンティックな読み」を導くと述べられました。
そして,中学校国語教科書の説明的文章教材「平和を築く-カンボジア難民の取材から」(荒巻裕)を考察しながら,その12段落にある「ところが,逃げ惑う難民の中に,看護師になるための教科書だけを抱えている女性がいたのです。」という一文に注目して「本当に教科書だけを持って逃げようとしていたのか?」という問いを投げかけ,考えたことについて「対話」することを提案しました。これは筆者がこのように語ったことの意味は何かと考える営みであり,読者が筆者と共通の認識を抱くように誘う働きかけです。文章の筆者が読者の既知のことをどのように知るのか,ということを,読者自身が考えるという,読む行為のなかで内的な対話を行うことが,読者を「オーセンティックな読む行為」に向かわせます。そうした「思考」を誘うことは,差異があることを尊重し,他者との対話を通じて内なる豊かさを求めることであり,そうしたかたちで文章の書き手の語りに向き合うことのできるリテラシーを育てることが重要であると述べられました。

次に,住田勝氏(大阪教育大学)から「読者が現前するテクストの「語り」に参加するいくつかのメソッド」と題して話題提供が行われました。
文学テクスト・説明的テクストの読みのメカニズムとその発達を研究する立場から,「オーセンティックな読む行為」が成り立つためには,読者が目の前のテクストの「語り」にどう参加していくのかが大切であることが述べられました。
文学テクストの「語り」に参加させるための働きかけを,小学校国語教科書の文学的文章教材「サラダでげんき」(角野栄子),「名前を見てちょうだい」(あまんきみこ),「サーカスのライオン」(川村たかし)それぞれに即して提案しました。「サラダでげんき」を「連続反復型プロット」をそなえたテクストとして分析したうえで,このテクストの授業で,登場人物「りっちゃん」からの「サラダに入れるものをもう一品提案してもらいたい」という手紙が来たと児童たちに働きかけると児童たちが積極的に「のる」ことが紹介されました。これは「サラダでげんき」の物語展開の流れに乗り,児童が読者としてこのテクストの「語り」に参加することができたためです。また,「名前をみてちょうだい」の場合も,作中人物以外に「あと一人登場させてみよ」と提案すると児童は一生懸命考えながら自分の考えた人物を登場させようとすることも併せて述べられました。
「サーカスのライオン」ではテクスト末尾の「ライオンのじんざがどうして帰ってこなかったかを,みんな知っていたので」に着目させ,「帰ってこないのをなんで知っているのか? 誰が語ったのか?」と問いかけ,どこにも書かれていないはずなのにこのことを「みんな知っていた」ことに注目させます。そのうえで「サーカスのオープニングスピーチを考える」活動を提案することで,「じんざ」の人生はこのようなものだったということを,語り手の「ライオンつかいのおじさん」の口を通して語ることができるようになります。このような働きかけがこの物語に対する「オーセンティックな」出会いを促す,テクストの「空所」に読者を参加させる営みとなることが指摘されました。
小学校国語教科書の「馬のおもちゃの作り方」は説明書き(マニュアル)であるものの,書かれた通りに「馬のおもちゃ」を作ろうとしても,国語教科書に提示されている写真のように立つ「馬のおもちゃ」を作ることができない,いわば「不完全マニュアル」です。そこで「どうやって立たせようか」と児童に問いかけ,この教材文を「馬のおもちゃ」が立つように書き加えをさせました。これは教材文の「語り」に「オーセンティックに」参加させる営みとなり,子どもたちは,うまく「馬のおもちゃ」が立つようにするための言葉を探す困難さに立ち向かうことになりました。
同様に説明的文章教材「ありの行列」を扱った授業で,本文を読解した後に,「ウィルソンさん」の実験に関する部分などを省略し,「なぜ,ありの行列ができるのでしょうか。」という教材文冒頭段落の問いに答える部分の答えにあたる部分だけで構成した要約文を児童たちに提示したところ,児童たちからは強い反論がありました。すなわち,「ウィルソンさん」ががんばったところがおもしろいのだから,そこを省略した要約文は認められないと言うのです。このことから,児童たちがけっして問いに対する答えだけを求めているのではなく,語りと対話しながら自分の言葉を反芻するような読む行為を営むことが可能であることを証していると述べられました。
このように,説明的文章を一種の「下書き」として捉えることで,児童を文章の筆者が生み出す「語り」に参加させることが可能になります。また,そのようなかたちで営まれる思考過程の面白さを味わわせることが「オーセンティックな読む行為」を生み出すことにつながると述べられました。

話題提供を行う守田氏

話題提供を行う住田氏

以上の発表を受けて,ディスカッションが行われました。 住田氏の「メソッド」がどのように生み出されるのかという守田氏の質問を皮切りに,進行役の山元教授を交えた3名でディスカッションが行われました。説明的文章や評論文を読む際にも,物語的に読まないと読んだことにならないという実感はあり,そのことがないと表面的な読みに終始してしまいかねないこと,クエスチョン&アンサー形式で情報を取得するような読み方をしていても読む行為そのものが面白くはならないこと,説明的文章でも読みのプロセスを語ることが必要であると述べられました。またそうでないと,文章の言葉に熱中し,ワクワクしながらも,他者を配慮しながら読む行為(オーセンティックな読む行為)はうまれないこと,住田氏のメソッドは当然,守田氏が取り上げた中学校の説明的文章にも,高等学校の評論・論説文にも応用可能であり,文章教材の特徴に応じて工夫していくことが何より重要であること(この最後の点は,セミナー当日に出された福島浩介氏の質問に答えるものである),などが話し合われました。最後に,住田氏からは「オーセンティックな読む行為」を生み出すために,『鼻行類』(ハラルト・シュティンプケ, 日高敏隆訳, 平凡社, 1999年)のような存在しない物たちを言葉で存在させる言語行為があることを心に留める必要があることが述べられました。また,守田氏からは教科間の連携が必要な時代だが,そのためにも「読解力」は基盤となることであり,「語り」の世界の味わい方をしっかりと探究していく必要性が指摘されました。まとめとして,「なぜこのような言い回しが大切なのか?」という問いを考えることは言語力を育てるために重要なことであり,そのことを意識しながら,教室でわくわくしながら読むことの追究を行っていきたいことが述べられました。

最後に山元教授より,いささか抽象的な課題設定と基調提案であったものの,守田氏・住田氏の豊富な事例に基づく提案とひろやかな考察,そして的確な質問のおかげで「オーセンティックな読む行為が成立する条件」が見えてきたとして,充実した時間であったとの振り返りがなされました。登壇者・参加者の皆さまに深く感謝したいと閉会の辞を述べられ,本セミナーは終了しました。

司会の山元教授

ディスカッションの様子

今後もEVRIでは「オーセンティックな読む行為」が成立する条件について引き続き検討してまいります。
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【問い合わせ先】

広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI) 事務室

E-Mail:evri-info(AT)hiroshima-u.ac.jp
​※(AT)は@に置き換えてください


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