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広島大学大学院人間社会科学研究科「教育ヴィジョン研究センター(EVRI)」は、2024年6月22日(土)に、定例オンラインセミナー講演会No.164「齋藤眞宏、大坂遊、渡邉巧、草原和博 編著『セルフスタディを実践する』(学文社、2024年)を読む」を開催しました。大学院生や学校教員を中心に63名の皆様にご参加いただきました。
はじめに、司会の渡辺貴裕氏(東京学芸大学)より、本セミナーの趣旨が説明されました。渡辺氏からは、本セミナーは日本教師教育学会課題研究Ⅰ(実践研究)部会が企画・主催するセミナーシリーズの第一弾であり、部会の目的である「教師教育の実践研究の特質およびあり方を検討し、教師教育の実践研究の質の向上を図ること」に資する活動であることが説明されました。また、本セミナーは日本初の「教師教育におけるセルフスタディ」の解説書・研究事例集である『セルフスタディを実践する:教師教育者による研究と専門性開発のために』(以下、「本書」と記載)の編著者を招いた読み合わせ会であり、セミナーの企画者2名が純粋な読者として感じたことや疑問点を編著者に率直に伝え、編著者から意見を聞くという展開で進めていくことなどが説明されました。
趣旨説明を行う渡辺氏
次に、編著者の一人である大坂遊氏(周南公立大学・EVRI教育研究推進員)より、セルフスタディの考え方と、本書が刊行された経緯とが説明されました。セルフスタディとは教師教育実践とその実践をしている自己を対象にジレンマや葛藤の視点から協働的に探究するもの、つまり専門性開発と実践研究とを両立していく営みです。本書は、日本においてセルフスタディの研究や実践に関する具体的な方略が十分に共有されていない状況で、広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI)を拠点にセルフスタディに関する研究会・実践を展開し蓄積してきた知見をまとめたものである旨が紹介されました。
本書が刊行された経緯を説明する大坂氏
続いて、同じく編著者の草原和博教授(広島大学・EVRI)より、本シンポジウムの主旨と本書の特質が共有されました。本シンポジウムは「教師教育の実践研究」であることが強調され、「教師教育者の育成及び専門性開発のためのセルフスタディ」をどのように「学術研究の方法論としてのセルフスタディ」へ移行させていくかのシリーズであることが確認されました。
シンポジウムの主旨を説明する草原氏
次に、 編著者である草原氏と大坂氏を囲み、 部会メンバーである園部友里恵氏(三重大学)と渡辺氏が聞き手となって、 本書に関する質問やディスカッションが行われました。園部氏はセルフスタディに初めて接する立場から、渡辺氏は本書と並行して編集・刊行された『教師のためのセルフスタディ入門』の翻訳チームとして作業に関わった経験をふまえながら、本書を通読するなかで感じた感想や疑問点を交流しあいました。
ディスカッションを行う園部氏と渡辺氏
論点は多岐にわたりましたが、セミナー全体を通して議論されていた内容をふまえつつ、園部氏を中心として提起された問いを整理すると、①なぜ私自身(セルフ)を研究するのか、②セルフスタディはアクションリサーチやオートエスノグラフィーといった他の研究方法論とどのように異なるのか、③なぜセルフスタディではクリティカルフレンドという「他者」の存在が不可欠とされているのか、④論文化する際に捨象されるクリティカルフレンドのやりとりはあるのか、あるのであればどのようなものなのか、⑤先人の教師教育者が抱える脆弱性からどのように学ぶのか、⑥セルフスタディがセルフスタディたるための必要条件は何か、といった点が主な論点として議論されました。
ディスカッションは、大坂氏や草原氏が議論を通して論点を明確にしていく形で進行しました。たとえば大坂氏からは、セルフスタディで探究するテーマ(教育実践上の葛藤など)の背景には教師教育者自身が所与のものとしている文化や価値規範があり、その省察や改善に向き合うことにも重点が置かれている点にアクションリサーチやオートエスノグラフィーとの差異があるのではないか、その内在化された価値規範を省察する契機をもたらしてくれる有意な(かけがえのない)「他者」としてクリティカルフレンドが存在するのではないかといった考えが語られました。また、論文化の際には、教師教育者自身が置かれた状況・文脈を含めた葛藤をどこまで開示できるか、開示すべきかといったことを考慮せざるを得ないため、クリティカルフレンドとのやりとりの固有性、生々しいやりとりなどについて捨象せざるをえない場合もあるだろうといった回答がなされました。
渡辺氏からは、セルフスタディにおいてクリティカルフレンドは「書くこと」にどのように関与しているのかについても、問いが投げかけられました。大坂氏は、本書に掲載されている自身が行ったセルフスタディの手続きを事例に挙げながら、複数のクリティカルフレンドが関わるセルフスタディの場合、共同で同じテーマを探究し、その葛藤や成果も含めて論文を共同執筆するクリティカルフレンドもいれば、セルフスタディの過程でのみ登場する(研究協力者として名を連ねる)クリティカルフレンドもいたという経験を共有する形で応答しました。草原氏は、まず上述した園部氏とのやりとりのなかで提示された「なぜセルフスタディに他者が必要なのか」という問いにも言及しながら、「セルフスタディの実践・研究の中で語られたこと」と「論文等で表現されていること」の間には齟齬があり、区別して議論しなければならないという点を確認しました。その点をふまえながら、セルフスタディにクリティカルフレンドの関与が必須条件とされる意義(およびクリティカルフレンドとともに”書く”ことの意義)として、①自己開示性(研究プロセスの透明性や実証性の担保という側面と、公開できない内容があるという制約や限界を自覚するという側面)、②他者との関係性を介した自己の対象化、③間主観性の担保(論文執筆時の”独りよがり”を防ぐ)、④教師教育者共同体の構築(クリティカルフレンドを探し、つながり、ともに探究する過程でコミュニティが生まれる)、といったものが存在するのではないかという考えを説明しました。
あわせて、渡辺氏からはクリティカルフレンドとの関係性についても質疑がなされました。クリティカルフレンドは個別的・固有的であり、クリティカルフレンドが誰になるかによって教師教育者の省察が左右される可能性があること、それにもかかわらず研究の過程で結果の一般化を志向しているセルフスタディが、研究方法論として妥当性を担保できるのかが問われました。この問いに対して、齋藤眞宏氏(旭川市立大学)は、なぜそのクリティカルフレンドを選んだのか、その背景や文脈はどのようなものだったのかを明記していくことが、学術研究の方法論としてのセルフスタディの妥当性を担保していくのではないかと答えました。加えて草原氏は、「結果の一般化」について、個々の実践が有している特徴をより普遍的で学術的な議論へ昇華させることを意味する場合もあれば、個々の実践でみられた課題をもとに問題提起をしていくことを意味する場合もあると補足し、「一般化」の内実をより精緻に議論していく必要があると結論付けました。
クリティカルフレンドに関する質問に答える齋藤氏
このような議論を経て、最後に大坂氏により本セミナーを通した学びや気づきが共有されました。大坂氏は、本書の編集を通して原稿を収集したり執筆したりする過程においても、「これはセルフスタディといえるのか」「これを本書に掲載すべきなのか、すべきでないのか」を常に問うてきたこと、つまり、厳密に「セルフスタディとは何か」を規定することが難しく、悩みながら編集を進めたことが説明されました。これを踏まえ、本書の意義は、セルフスタディの考え方が広まっていない日本で、セルフスタディを研究方法論として提示し、その具体的なイメージを持ってもらうための「習作」として実践を展開してきた点にあると強調しました。そして本セミナーでの指摘を受け、セルフスタディ自体の問題点、もしくは、編著者らによるセルフスタディ理解の課題が明らかになったため、本セミナーを今後のセルフスタディ研究の発展の礎にしたいということが述べられました。
セミナーの意義を共有する登壇者の皆さん
今後もEVRIでは、セルフスタディをはじめとする教師や教師教育者の専門性開発の方法論とそれを普及・発展させる方策を検討してまいります。
広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI) 事務室