第4回 日東電工株式会社 表 利彦氏

企業と大学における“研究”―研究者として大切なこと―

取材日:2017年5月10日

 今回は、長年日東電工株式会社で活躍されてきた表利彦氏から、ご自身の経歴や学生時代のこと、企業と大学における研究、研究者として大切なことなどについてお話しを伺いました。

日東電工(株) 専務執行役員CIO 経営インフラ統括部門長 表 利彦 氏

【職歴】
1983年4月 千葉大学工学部 卒業
1983年4月 日東電工株式会社 入社
1990年3月 千葉大学自然科学研究科 博士課程終了
2003年4月 回路材事業部長
2007年6月 執行役員全社技術部門基幹技術センター長
2009年4月 全社技術部門長 副CTO
2010年4月 技術情報(技術企画・知的財産)担当
2011年6月 取締役上席執行役員 / CTO
2013年4月 取締役常務執行役員 / CTO 基盤機能材料事業・情報機能材料事業管掌
2015年6月 専務執行役員 経営インフラ統括部門長 / CIO

現在取り組んでいること

私は1983年研究職として日東電工株式会社(以下日東電工)へ入社しました。長らく研究開発、事業開発など、ビジネスを創る業務に取り組んでいましたが、2年半ほど前からコーポレートで経営基盤構築に関わる仕事をするようになりました。現在は物資の調達・IT情報関係・物流・人事に関する戦略方針決定や業務改革推進、運営、管理に携わっております。

上記の様に、自らの業務ミッションが大きく変化したので、最初は全く違う分野の仕事に戸惑うこともありましたが、2年もたつと大分慣れてきました。この年になっても、未だ新しい経験を積ませてくれる環境提供には大変感謝をしていると同時に、経営の仕組みに幅広く関与させてもらえる事で、いつまでも知的好奇心旺盛にモチベーションを高める事が出来ています。

講演する表氏

日東電工との出会い―大学に再び戻ることを決めるまで

 私は、大学時代、画像応用工学科という写真や印刷に関する学問を学ぶ学部に所属していました。そこでの主たる研究テーマは光機能性素材(光で反応する材料)に関するもので、具体的には、光物理化学といって光を粒子でとらえて、光がものにあたって反応するときの速度論や反応した後の物性変化の評価や、その新しい応用分野を見つけることなどに取り組みました。例を挙げると、印刷技術の一つである、樹脂凸版や水無平版の感光材料などもこの分野から出てきた技術応用分野と言えますし、半導体の回路を形成するときに用いるフォトレジストや、3Dのホログラム画像形成や光メモリーといった素材も研究対象分野でした。

 私が大学生の時は就職活動をした経験がありません。というのも、私の所属していた研究室では、15ほどの研究テーマが殆ど企業との共同研究テーマだったため、企業からの求人枠は研究室指定で決まっており、教授推薦があればほぼ確実に就職が決まった時代でした。私の場合は、先生に紹介してもらった企業の2社目がたまたま日東電工でした。このような経緯のため、就職後にどこの所属でいかなる研究を行うかも、就職前から分かっていました。しかし、実際に自信満々で入社してみると、自分の研究に関する知識や経験があまりにも足らず、「このままでは、将来何も作ることができず貢献できない」と強く感じる様になりました。そこで、「もう一度大学に戻って研究をしたい。」と当時の上司にお願いし、当時の国内留学制度というものを利用して3年間の博士課程後期進学を許してもらうことになりました。もちろん入試試験は仕事の傍ら行いました。結果、幸運にも無事入学許可されましたが、もしこれに落ちていたらいくら理解のあった上司でもさすがに2年目の挑戦は許さなかったと思います。この時、大学院での授業料も通学交通費、そして給与もこの制度の一環として会社から支給して頂きました。ただ逆の言い方をすると、制度で拘束されることは無かったものの、個人的な感情としては、この事で会社に大きな借金を背負ったと感じました。よって、会社に復帰後は新事業創出で早くこの借金を返さないといけないとの強い責任感を持つようにもなりました。

会社の国内留学制度を利用し大学院へ―ひたすら研究に打ち込んだ社会人院生時代

 上司からは、大学院では会社の実務は忘れて、大学院での研究に没頭する事、そして研究の進捗報告も月に1度会社に来て報告すれば良い、と事前に言われていました。さらに、学会発表、論文投稿においても、決して会社の名前を出すことはしないようにとも言われました。よって大学院では一人の大学院生として研究に没頭し、成果発表も論文投稿も精力的に行うことができました。お蔭さまで、3年間で高分子分野ではメジャーの欧米雑誌にフルペーパーで5報、コミュニケーションの速報論文で3報を受理いただくことができました。

 博士課程の研究では、学部時代とは違う新しいテーマに取り組みました。大学院での設定テーマでは、耐熱性と感光性を併せ持った商業的には未だ課題の多い材料分野でのテーマを選定しました。3年間、本当に没頭できる環境で、このテーマの事ばかり考える事が出来ました。先に記載したように会社への借金を返済せねばならないとの気持ちがあったため、大学院を修了した後には会社に戻り、大学院で研究した知見を用いより実用的な材料系を設計し、その実用化に取り組みました。結果、世の中で初めての感光性発現メカニズムの提唱と活用をした実用に耐えうる材料を開発することが出来たとともに、それを用いた部品ビジネス(記憶デバイスであるハードディスクドライブに使われたある部品生産)への展開もできました。今では全世界の8割近くのハードディスクドライブを分解すると、必ずその部品が中から出てくる状況を実現することが出来たのも技術者冥利に尽きると感じます。

 振り返ってみると、大学院博士課程では、ある目的に対してどういう道筋で行けば最短距離で近づくことができるかを考える方法を学んだように思います。個人的な師である当時の指導教授、並びに、私の我儘をきいてくれた当時の上司と日東電工には今も本当に感謝しています。

企業と大学の研究の違いとは?

 研究に関する、企業と大学の取り組む方向性は全く違います。大学では前例のない新しい素材やその合成方法の提案や、その材料がユニークな機能発現をするメカニズムの解明といった新規性が重視されています。一方で、それらが実用に本当に供するのかという視点はあまり気にしていません。対して企業の研究では、新規性そのものよりもその製品や技術の品質や実用応用展開の幅が広い資質を持っているのかを問い続ける事が重要になってきます。例えば、日東電工では先ほど述べたハードディスクの部品を月間約1億5000万個から2億個近く製造していますが、お客様にお届けするする製品はその全てが良品でないといけません。企業が目指しているのは、その技術が新しいかどうか以上に、お客様の要求、お客様の価値提供にどこまで応えていけるかどうかが問われています。

 企業は大学で行われているような「サイエンス」をやっているのでは無く、「テクノロジー」を開発しています。しかし、その「テクノロジー」を開発する時には「サイエンス」に深い興味がないと良い開発はできません。よって、日東電工の研究員には、常に「サイエンス」に興味は持たなくてはいけないが、会社内部ではサイエンスを行うことはしないと言っています。ただ、例えばライフサイエンス分野の様に、サイエンスとテクノロジーを同時進行的に扱わなくてはいけない分野も確かに存在します。そのような時には、大学研究機関に会社から研究員を派遣させてもらい、大学と協力して研究活動を行うようにしています。

 このように大学と企業では、研究に向かう考え方と価値観が全く違います。私は幸運にもどちらも経験し、その結果、産業界の価値観も大学の価値観も両方素晴らしいと今でも考えています。よって、大学院博士課程を修了した際に大学に残りたいなと思ったこともありますが、会社に借金を背負ったとの感覚がそれを許さなかったと同時に、大きなチャレンジの機会をもらえる環境が好きで、産業界に身を置いたと思っています。

 企業の良いところは、研究の規模が大きいことや、製品化、事業化においては多機能部署の人との関わり合いが大学の研究活動に比べると圧倒的に多いと思います。大学は研究に対してフェアで、いい仕事、いい成果を発表すれば評価され、世界中から反響があります。企業の場合はいくら研究が良くても実用化されないと中々評価されることは難しいです。このことを理解すると、大学での研究を通してアカデミアに身をおく魅力がより理解できるのではないでしょうか。この二つは良い悪いではなくて、個々人の価値観との整合性の問題ですから、学生の皆さんには「自分が何をやりたいのか、どちらに向いているのか」を自分の事としてよく考えていただきたいと思います。

研究に取り組む上で大切なこと―365日24時間考え続ける

 研究者として過ごす中でとても大事だと考えていることは、常に考え続けることです。私は職場でも365日24時間考え続けなさいと言っています。これは、何もずっと研究や仕事をし続けろとブラックな事を言っているわけではありません。時間を惜しまず考え続ける事が出来るほど没入して研究を面白がってほしいとの思いからこのような言い方をしています。

 何か新しいものを作るということはそう簡単なものではありません。それこそ没頭し続けるほど面白がらないと続かないと思います。実験というのは頭の中で考えた通りには大抵上手くいかないものです。色々考えてやってみるが上手くいかず、そのほとんどが失敗に終わります。そのような状況の中で、真面目に考え、真剣に注意深く実験プロセス、現象を観察し続けていると、ある日突然考えてもいなかった普通ではない事に気付くということが良くあります。これをセレンディプティーと言うこともありますが、別の表現ではこれこそが「運」ではないかと思っています。私は、みんな平等にその運を持っていると思っています。ただ、どうして運のある人、無い人と言うことを言うのかと考えると、ちゃんと運をつかめる人は、ずっと目の前の課題について考え続けている人なのだと思っています。運をつかめる人はずっとその問題について考えていますから、みんなが気付かず通り過ぎてしまう僅かな異変にも気付く感度を持っているのだと思っています。ただボーっとしている人には運はつかめません。常に自分の周りにアンテナを張って、運を見逃さないように物事に没頭して取り組んでもらえたらと思っています。

学生のみなさんへ―なんでも挑戦してみる

 大切なことは、深い知的好奇心をもって、一度決めたら一人称で考え実行することだと思います。最近では、終身雇用制はほとんどなくなり、一生一つの会社で務めるということも少なくなってきていると思います。そのような時代の中で、自分自身のキャリアを考えて色んなことに取り組んでスキルを伸ばしていき、自らの将来の設計図を描き実行していってほしいと思います。今から思えば、若いときの数年なんて大した時間ではなかったし、私が大学院に戻った3年間もあっという間だったので、若い人にはどんどんやりたいことに挑戦していって欲しいと思っています。

 例えば、私のように一旦企業に就職しても自分の考え方次第でいつでもドクターとして大学に戻ることもできますし、海外の大学院に挑戦してみてもいいと思います。博士課程やその後のポスドクなどで経験を積むことも大切かもしれません。また、この逆で、大学教員として一旦アカデミアに席を置かれたのちに、企業に転職される方も最近では増えてきました。この様なたくさんの経験から、何が自分に向いているのかを見極め、ここだけは誰にも負けないという自分の強みを持てるようになってほしいと思います。

 例えば私の経験では、自分の一番脂ののった良い仕事ができたのは40~50代くらいでした。日東電工の研究所にも多種多様な経歴を持った社員の方々がいます。よって、若いうちは恐れず挑戦することで、多くの経験を積まれたら良いのではないでしょうか。

 日東電工そして私個人も、いつでもチャレンジする人を応援しています。

取材担当:総合科学研究科 博士課程後期1年 谷綺音


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