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広島大学大学院人間社会科学研究科「教育ヴィジョン研究センター(EVRI)」は、「デジタル・シティズンシップ・シティ:公共的対話の学校」(DCC)の活動の一環として、2025年7月26日(土)に、第180回定例オンラインセミナー「子どもたちが熟議するとき~民主主義と教育の前提を問い直す~」を開催しました。当日は、大学院生や学校教員を中心に46名の皆様にご参加いただきました。司会は川口広美准教授(広島大学)、田中崚斗氏(広島大学大学院・日本学術振興会特別研究員)が務めました。
セミナー冒頭では、田中氏より、本セミナーの趣旨が説明されました。熟議民主主義への関心の高まりと、教育実践の広がりが紹介される一方で、「熟議を教える大人と教えられる子ども」という構図への疑問や、授業での熟議が特定の子どもに偏ってしまう問題など、課題も多く存在することが共有されました。ここから、熟議民主主義社会の実現に向けた教育のあり方を改めて問い直すことの必要性が共有されました。
趣旨説明の様子(田中氏)
司会進行の様子(川口准教授)
第1部の講演では、西山渓氏(開智国際大学)から「子ども・民主主義・教育」の関係性を問い直す5つの理論的視点を提供していただきました。西山氏は、熟議を「人々の熟議とそれによってもたらされた集合知を民主主義の中心的価値とする民主主義理論」であると定義し、その上で、次のような5つの理論的な論点がしめされました。
【5つの理論的な論点】
1.子どもを「将来の市民」と捉えるのではなく、子どもならではの経験・認識・意見を有する「現在の市民」として捉える必要があること
2.熟議民主主義を多様な民主主義社会のあり方の中でもベターな理論として捉える必要があること
3.熟議に必要な複数の能力を全てできる人は数少ないため、教師や研究者が定めた「熟議」を目標とした教育が達成は困難であること
4.熟議民主主義社会の実現に向けては、その場・コミュニティーのメンバーで「熟議の定義や実現するための方法・環境について熟議(=メタ熟議)」する教育が必要であること
5.熟議民主主義社会の実現に向けた教育は個人の発達だけでなく集団の発達も目標とする必要があること
この話題提供により、大人が「これが熟議だ」と決めつけるのではなく、子ども自身が試行錯誤しながら自分たちのやり方で熟議をつくり上げていく過程を重視すること。大人の理解とずれる「非熟議」や「反熟議」と思われる行動にも、子どもなりの意図や意味が込められている可能性があること。「メタ熟議」を繰り返し行うことが重要性であることなどが共有されました。
講演の様子(西山氏)
講演のテーマ
この講演を受け、参加者はブレイクアウトルームで活発な意見交換を行い、「熟議における「言語的弱者」をどう包摂していけばいいのか?」「人と話すことが苦手な子どもがいる中で「メタ熟議」をいかに実践すればいいか?」といった質問が投げかけられました。この質問に対し西山氏は、「意見を表明できるように言語以外の媒体(例えば、絵など)を用いる方法があること」「熟議のルールや熟議する環境(例えば、席配置)等といった熟議できる集団・システム作りに向けた「メタ熟議」を子どもと教師で行うことから始める方法があること」を説明されました。
続く第2部では、話題提供として西山氏より、「熟議民主主義教育の実践とその困難」について、複数の論点が示されました。調査や実践に基づき「メタ熟議」を行った実践例や、理論と実践がぶつかった時に西山氏がとるスタンスが示されました。その後、①「理論と実践が対立した時に、何を基準にして、どちらにどのような重みづけをするのか?」②「そもそも「大人」である我々教員や研究者が、「子どもの声や経験」を理解することなど可能なのか?」③「西山の民主主義教育は子どもを信頼しすぎている?」といった問いかけがあり、参加者はブレイクアウトルームに分かれて議論を行いました。
ディスカッションの後には参加者と西山氏とのやり取りがありました。意見としては、大人は「子どもを完全に理解することは難しい」という前提のもと、子どもに対して応答的に関わることが重要であることや、子ども自身も自分の内面を完全には理解していないことがあるため、観察を重ねながら共に理解を深めていく姿勢が共有されました。また、「子どもを信頼しすぎる」との批判もありますが、それは大人が子どもへの失敗を恐れる気持ちが背景にあることが多く、過剰な信頼ではなく丁寧に見守るといった関係づくりが大切だという話もありました。
加えて、参加してくださった実践者の先生方からは、熟議に否定的な教員や保護者との関係性、対話に価値を見いだせない児童生徒への対応などが挙げられました。これに対して西山氏は、教員は学校内で「熟議モード」と「学校モード」を切り替えながら活動していることを理解し、保護者や同僚も含めた熟議実践が重要になるかもしれないと述べました。こうした現場の課題を踏まえつつ、対話の価値を共に考え、実践を進めていくことが重要だとまとめられました。
以上の発表を受けて、草原和博教授(広島大学)からは、「子どもは将来の市民ではなく、今を生きる市民である」という視点から、完璧でない対話や熟議を尊重し、民主主義教育を知識の伝達ではなく当事者間の意味づけと集団の変容と捉える重要性が共有されました。また、分断を越えた対話の場づくりの必要性も提案されたとありました。さらに、DCC(デジタル・シティズンシップ・シティ)の事例において、人口減少や地域間格差を越えて子どもたちが公共的課題について対話できる遠隔授業や、AIを活用した意見集約・学習支援システムを開発しています。子どもと大人が協働し、教室を越えて学び合う新たな公共圏の創出を目指していることが示されました。
論点整理の様子(草原教授)
3人でも活発な議論がなされました!
本セミナーを通して、民主主義を「教える」対象としてではなく、子どもたち自身が(メタ)熟議を通して試行錯誤しながら民主主義を乗りこなしていく実践していく営みとして捉え直す視点を学びました。また、「子どもを将来の市民ではなく現在の市民として尊重すること」や、「メタ熟議」などを通じて、教育実践そのものの意味や方法を子どもと共に問い直していく重要性を実感しました。DCCにおいても、今後の授業づくりや教員研修においても、完璧でなくても応答的に関わる姿勢を大切にし、熟議の可能性を広げていきたいと思います。
本セミナーのポスターはこちら
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掲載日 : 2025年08月22日
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