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研究者への軌跡

ロマネスクに魅せられて

氏名:圓山 裕

専攻:物理科学専攻

職階:教授

専門分野:X線磁気円二色性、磁性物理学

略歴:1952年兵庫県生まれ。立命館大学理工学部卒、岡山大学大学院理学研究科修了。フランス科学研究センター高磁場研究所客員研究員、岡山大学理学部助教授を経て、現在に至る。理学博士(広島大学)。 1984年放射光実験を始める、1989年X線磁気円二色性の実験を開始する。1992年SPring-8磁気散乱・吸収サブグループ活動に参画し、1997年10月SPring-8 BL39XUを立ち上げる

 

人生は旅に喩えられる。物語は、旅の始まりと故郷への帰還で終わる。若者は何を目指し、何処に帰るのであろうか。私も歩んだ旅路を振り返ってみようと思う。
 

1998年4月のある週末、私はSUZUKI-Escudeを運転してグルノーブルから国道85号線(ナポレオン街道)を南に向かって走っていた。目的地はプロバンス・アルプスの山中にあるシストロン市近郊のガナゴビー修道院であった。雪が残るアルプスの峰を時々眺めながら、プロバンス地方に抜ける山道をひたすら走った。緩やかな起伏の道沿いの畑には、ラベンダーの切り株が畝毎に波打っていた。一面が青紫に染まる花の季節にはまだ早い。
 

今回は、グルノーブル大学の客員助教授として2ヶ月間の滞在であった。ヨーロッパ連合の放射光施設ESRFでの共同利用実験と研究所でのセミナー以 外には特別な予定も無く、週末には友人の車を借りてアルプスの峠越えを楽しむことができた。滞在中の読書にと「薔薇の名前」(ウンベルト・エーコ著、河島 英昭訳、創元社)を持参していた。この小説では、キリスト教の教義と異端審問が長々と語られる陰鬱なものだが、次々と起こる殺人事件とその謎解き、真犯人とその動機が解明され、そして大団円に至る。舞台設定と物語の展開の面白さに一機に読んでしまった。ショーン・コネリー主演の同名の映画をご覧になった方もいると思う。この小説に触発されてガナゴビー修道院に行ってみることにした。
 

ガナゴビーの麓の村に車を止めて山道を 2kmほど登った。冷たい風が松の枝を鳴らす。絶壁を迂回して頂上に至ると、広々とした台地の奥にオリーブの古木に囲まれた教会と僧院があった。往事を想像できる物は教会と草むらにある墓石の列くらいである。写真はロマネスク様式の教会の入口である。レースの襞のような美しい装飾のアーチが、二人の天使と キリスト像が彫られたタンパンを飾っている。教会の外観は質素だが、内陣祭室の床面に施されたモザイクは華麗であった。青と赤を基調とした幾何学模様や騎士がドラゴンと戦う場面などが描かれている。台地の縁に立って、眼下に広がるドュランスの谷と牧草地を、さらにその向こうに連なるアルプスの峰を眺める。 僧院での精神生活と隠遁には格好の場所だろう。
 

私にとって、グルノーブルは第二の故郷の様な懐かしい土地だ。1981年 12月から約2年の留学期間に学んだ多くの事柄が、その後の私の生き方を変えた。修士課程を終えて研究生をしている時に、フランス科学研究センター (CNRS)高磁場研究所の客員研究員として留学のチャンスを得た。指導教授となるP先生とは既に面識があったが、言葉と生活習慣の相異に不安を持ったまま、慣れない環境に飛び込んで行った。到着した最初の2週間はP教授のお宅に寄宿した。寝室として使わせて頂いた2階の部屋から、東の方向にアルプス(ベ ルドンヌ山脈)が間近に見えた。夕日で朱に染まったアルプスの峰々を見て、厳粛な気持ちと共に郷愁が込み上げて来た。これが私の原点かも知れない。
 

研究テーマを「金属強磁性と磁気体積効果」に決めて、高磁場磁化率の測定やド-ハース・ファン-アルフェン効果の測定システムの構築などを行った。大型の電 磁石を使用する実験は徹夜や週末になることがしばしばあったが、実験の機会が得られたことを喜んで引き受けた。この2年間の経験は私にとって大変貴重なものとなった。それは研究分野以外にもヨーロッパの歴史や美術、風土や物事の考え方などを学ぶことができたからである。
 

プロバンス地方を旅行したとき、ローマの遺跡の上に在るような町アルルの聖トロフィーム教会を訪問した。教会のファサードに彫られた聖人像の迫力とタンパンに刻まれたキリスト像の厳粛、それと対照的な静寂が漂う回廊の柱頭飾り(シャピトーと呼ばれる)の写実的な彫刻群に強烈な印象を受けた。それ以来、ロマネスク様式の建築と彫刻に興味を持つようになった。高校の世界史では中世は暗黒の時代と習ったが、ロマネスクの教会には素朴で禁欲的かつ省察の心休まる空間がある。ゴシック様式の高さと空間の荘厳さは無いが、アーチ以外には直線的な明快さが心地良い。フランスに来るたびにロマネスクの教会を訪ねるのが楽しみになった。
 

留学を終えて帰国後、大学に職を得て、やっと落ち着いて研究できる環境になった。それも束の間、87年4月9日に 教授が、19日にP教授が相次いで急逝された。私は、所謂、研究者として孤児になった。これからは自分自身の判断と裁量とで生きて行くしかないと覚悟を決 めるには少々時間が掛かった。自分で歩むための試練であったが、様々な幸運にも恵まれた。誰に遠慮をすることも無く、面白いと思う研究テーマを選ぶことが出来た。この頃、子供の誕生と祖母と母の死もあった。
 

その後、放射光を用いた磁性研究を推進する機会を得て、それまでの有形無形の経験が役立った。ESRFでの共同利用実験に大学院生を伴って参加することも始めた。実験を終えてから院生と小旅行した思い出は忘れられない。私が学んだことを次の世代に伝えたい、また若い人達がフランス人の生活と研究姿勢から学ぶことも多いと思う。
 

ガナゴビーからグルノーブルへの帰途は季節外れの雪になった。国道85号線沿いのナポレオン騎馬像は暗闇の中だった。


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