支援を受けた学生のご紹介

Vol.10 「リトアニアで過ごした日々から見えてきたこと」

名前: 江口 綾

所属: 総合科学部国際共創学科 3年

大谷 美奈子様 冠事業基金によるご支援により、広島大学短期交換留学(HUSA)プログラムへ参加。
ヴィータウタス・マグヌス大学(リトアニア)へ2022年1月~2022年6月まで留学。

派遣先の大学はどんな大学ですか。

ヴィータウタス・マグヌス大学は、リトアニア第二の都市カウナスの中心部に位置する大学です。人文学部や経済学部、農学部から芸術系の学部に至るまで、広範な分野の学習を提供しています。
この国の公用語はリトアニア語で、1990年の独立までソ連の支配下であったために英語を話せる年配の方は少ないように思いました。そんなリトアニアにあるこの大学ですが、留学生専用の寮があるほど数多くの留学生を受け入れており、英語での授業が豊富であるといった国際性が特徴です。

留学先にリトアニアを選んだ理由を教えてください。

大学で観光について学ぶ中で、ヨーロッパの街で一度暮らしてみたいと思っていたこと、リトアニアが自然豊かで穏やかな国であると聞き、魅力的に感じたことからリトアニアへの留学を決めました。

実際に現地の街を歩いてみると、赤煉瓦でできた歴史的建造物はもちろん、街の人々が住むマンションも絵本に出てくるような形のままで残っており、その景色に圧倒されました。私は日本の古民家や昔ながらの文化が好きなので、日本がどんどんと都市化を進め、それに伴って伝統的な家々が減ってしまっている状況を勿体ないと感じていました。
しかし、現地で煉瓦造りの建物の建設現場を目にした時、伝統的な日本家屋は自然に還る木や土で造られる反面、手入れがないと朽ちやすく取り壊しも容易であり、一方で、ヨーロッパは石や煉瓦が基礎にあるため耐久性が高く、小さい修繕の繰り返しで使い続けられる構造なのかもしれないと思いました。どの国もそれぞれの気候や歴史を持ち、その地に適した建造物の素材も違い、また国が街の姿を変える速度ももちろん違います。そのため、伝統的な建物をどう継承していくかについては善し悪しで語ることはできないし、その差異も含めて国柄なのだと留学を通して思えるようになりました。

カウナス市内の森林公園

ヴィリニュスの街

クライペダの家並み

留学先ではどのようなことを学びましたか。

留学中は、広島大学ではなかなか学べない、興味のある科目を多く受講しました。具体的には、リトアニア語の集中講義、リトアニアの伝統と民俗文化の授業、先史を学ぶ授業、近代史の授業、文学とメディアの授業を受講し、単位を取得しました。

リトアニアの街は、日本と同じようにほとんどの場所で自国語表記しかありません。ショッピングセンターの商品ラベルも輸入物以外リトアニア語表記で、英語は公共交通機関や大学施設で見られるのみです。
そんな中で、少しでもリトアニア語を学ぼうと思い受講した集中講義は、とても実践的で、アルファベットのリトアニア式発音や数字の数え方、身近なものの名前や簡単な文法などを学びました。

左:パック入りの寿司 右:冷凍食品(ひき肉をジャガイモや小麦の生地で包んだ伝統料理)

1週間という短い期間で詰め込むように勉強しましたが、この授業のお陰でリトアニア語の発音に慣れたり語の変化の法則性を学べ、街で聞くリトアニア語のリスニング力や単語の意味を推測する力が増したと感じました。

私の学科はフィールドワークよりも座学が圧倒的に多くありましたが、日本と違いどの授業でも度々自主的な発言が求められました。
しかし、自分の意見に自信がなく、訛りの強い学生の発言は聞き取れなかったこともあり、私はあまり積極的に発言できませんでした。対して、同じ科目を取る他の学生たちは、正解を言おうとするというよりも自分の考えを伝える姿勢で臨んでいたことがとても印象的でした。日本でもこのような雰囲気の授業だったらもっと議論が広がりそうだと感じました。

留学し、英語でしかコミュニケーションがとれない環境に身を置くことで、聞く力も話す力も、どうやったら伝わるか工夫する力も向上したと思っています。受講したどの科目もそれぞれ面白く、日本にいたら学べなかったであろう興味深いことが学べたので、毎日がとても充実していました。

コロナ禍ではありますが、留学生同士で交流を深められましたか。

留学生専用の大学寮

多様な国々から来た学生たちと交流ができ、様々な気づきを得ました。特に、留学生寮での生活からの学びは大きいものでした。

私のルームメイトはアフリカのナイジェリア出身でした。彼女は見識が広く、異文化や宗教の違いにも寛容でした。彼女も私と同じ学期の留学生だったため、雑談をする中で現地の友人はできたか問うと、「彼らは白人で、どうしても黒人との間に壁を作っているように感じてしまうから近づけない」という答えが返ってきました。

私は彼女の成熟した考え方を大いに尊敬していますが、その成熟の根底には差別への達観があると思うと寂しく思いましたし、人との関係を築く中で、肌の色などの特徴の違いから距離が生まれることがこんなに明らかに存在することに衝撃を受けました。日本にいると、画面の向こうにしか感じることのない人種差別ですが、それがとても身近に、身に迫って感じられた瞬間でした。同時に、人を内面で判断することの大切さと、一方で人を深く知るためには外見でその人を敬遠せず、一歩踏み出せるアクションが必要だという難しさを実感しました。

寮での共同生活を通して、異文化を身近に感じることができました。ルームメイトは料理が得意だったので、共用のキッチンを使って度々一緒にアフリカ料理を作りました。スパイスを使い油で煮込んだシチューをアフリカの米と一緒に食べたり、丸のままの鶏を切ったり、カタツムリを食べたりと、日本ではできなかったような体験を通して、想像したこともなかったナイジェリアでの生活に触れることができました。私も日本の生姜焼きを作って白米と一緒に振舞ったり、箸の使い方を教えたりと互いの文化に歩み寄る体験ができました。また、インドや中東から来た隣人と集まって中東のお菓子をいただき、その味が舌に合うか合わないかという議論をしたときは、その国独特の味は好き嫌いが大きく分かれることなどを目の当たりにできて面白かったです。名前しか知らない国出身の人もいて、その人たちと会話して互いを知ることでその国について想像できることが増え、自分の世界が広がるのを感じました。

リトアニアと日本では生活面でどんな違いがありましたか。

リトアニアにいる間に、環境や人の暮らしについても大いに考えさせられました。リトアニアは自然が豊かで、オーガニック食品やエコフレンドリーな製品が一般的に販売されています。どのお店でも果物やナッツは欲しいだけ買える量り売りが基本で、パッケージのごみやフードロスが発生しにくい販売形式です。歯ブラシなどの消耗品には自然に還る素材やリサイクルされた素材からできているものがあり、そのような環境に配慮したもののみを扱うチェーン店もあります。量り売りは海外の文化かもしれませんが、環境保全への意識の違いが商品に現れていることを改めて実感しました。ヨーロッパ諸国の環境への意識が想像以上に高いことと比べて、日本での取り組みの遅れはどこに理由があるのか、そもそも人々の環境保護への危機意識がかなり違うのかなど、様々な問いが生まれました。

また、自然が豊かで穏やかな空気が流れるリトアニアで過ごす中で、日本の生活の余裕の少なさも感じました。リトアニアには公園がたくさんあり、いつ公園を訪れてもかならず人が散歩していましたし、仕事終わりと思しき人が芝生でくつろいでいたりもしました。道沿いで花を売っている人がいたり、農産物などを売る市場が頻繁に開かれたりと、人との繋がりを感じられる商売の形式が残っているところにも日本との違いを感じました。この違いにきっと優劣はありませんが、そのような環境に囲まれたリトアニアでの生活では時間の流れをゆっくりに感じ、日本でももう少しゆるやかな生き方ができたら、気持ちが楽になる人は増えるのではないかと思いました。

違う文化圏にあるリトアニアで半年間生活してみて、リトアニアのことを知ることができただけではなく、日本をまた別の視点から見ることもできました。今まで当然のように生活の一部だったもの・ことが当たり前ではなく、逆に海外では当たり前で日本には馴染みのないものなど、自国にいては気づけなかったことを知ることができたのは、私にとってとても良い経験でした。

左:植物由来の素材でできた歯ブラシ 
右:カウナスのマーケット

トラカイ城

将来の目標について教えてください。

半年間の海外での生活で、日本の歴史と伝統の面白さや日本を好きな気持ちや、日本がよりよくなるために取り組めることが多くあることに気づきました。そうして、人々がより安心して、充実した暮らしを送ることができる社会をつくる仕事に携わりたいと思うようになり、現在は公務員になるべく学内講座を受講しています。また、現地で鍛えた英語のリスニング・スピーキング力を活かして異文化間のコミュニケーションを円滑にし、海外の方にも快適に日本に滞在していただけるような仕組みづくりに協力したいとも考えています。

 

(2022年10月取材/基金室)


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