好きなことを、知りたい

中坪 敬子 助教

基本情報

  • 所属又は配属:大学院理学研究科
  • 職名:助教

 

研究者になるまでの軌跡

 生物学の研究者になった理由は、一言でいえば、もの心ついた時から生き物が好きだったこと、そしてそれを励ましてくれた人々との出会いがあって、私の生き物好きのアンテナを今日まで出し続けていられたことだと思います。
 生き物に関する最初の思い出は、3歳の頃、親戚から送られてきた絵本でした。物語の絵本の中に1冊、身の回りの風景の中に生き物が描かれた本が入っていて、本のページをめくっては、お散歩気分に浸っていました。特にギフチョウやキタテハといった玄人好みの蝶のページが好きで、しまいには、本がぼろぼろになり、父が何度か製本しなおしてくれました。実際に生き物に触れるようになったのは、幼稚園の時でした。引っ越した家の前の県立公園に隣接する森に、本の中でしか知らなかった生き物の世界がありました。
 小学校に入学して、最初の出会いがありました。担任のM先生です。M先生は、本当は天文学が専門でしたが、1年生に星の話をする機会はなかったのでしょう、生物を熱心に教えてくださいました。教室には、池のような大きな水槽の中に生き物があふれていて、花壇には、多くの季節の花が植えられていました。何よりもありがたかったのは、私が発する生き物に関する質問に面倒くさがらずによく答えてくださったことです。私もそれがうれしくて、押し花標本を作ったり、観察日記をもって行ったりしました。M先生は、私が3年生になる時に転勤されましたが、「生物を好きな気持ちを大切に。将来、生物の研究ができるといいですね。」という一言が、その後の励みになりました。
 私の生物好きは、中学高校を経ても変わらず、早稲田大学で生物学を学ぶことになりました。大学2年生の夏休みに、館山のお茶の水女子大学の臨海実験所で臨海実習に参加したことが、私が発生生物学を専攻する契機となりました。実習は、菊山榮教授による磯の生物の系統分類と安増郁夫教授によるウニを中心とした棘皮動物の発生でした。多くの分類門に属する海産生物にふれて、私達学生は、生物の進化と多様性について実感させられました。とりわけ、私を魅了したのが、ウニの発生実習でした。卵と精子を顕微鏡下で混ぜると、精子の侵入点から受精膜があがり、それまで眠っていた卵が約1時間ごとに卵割を繰り返すようになります。半日後には、中空のボール状の胞胚が、受精膜を溶かして泳ぎだし、実習室のあちこちから、喚声があがりました。その後、胚は原腸が陥入し、プルテウス幼生へと劇的に形態を変えていきました。その間、たったの2日間でした。実験所のすぐ前には、太平洋の波が打ち寄せる砂浜が広がっていましたが、私は目の前で刻一刻形を変えていくウニの発生の美しいドラマに夢中になって、顕微鏡を夜半まで覗いていました。そして、発生過程における細胞の運命や分化を決定する仕組みや細胞の移動や形態の変化を司る形態形成運動の機構を知りたいと思うようになりました。実験所では、また、海産生物の研究者の方から、館山の臨海実験所がアメリカ人の発生生物学者である団ジーン先生のご尽力で設立されたこと、発生学の分野では女性の研究者が多いことを伺ったことも心に残りました。
 卒業研究では、迷わず安増先生の研究室の門をたたきました。当時、安増先生は日本動物学会学会賞を受賞され、ウニの受精とエネルギー代謝の研究に力を注がれていました。ウニの発生の形態形成機構を知りたい私は、動植物軸に沿った胚の領域化を Li+ や代謝阻害剤で胚を処理して解析しました。幸い先輩達の研究蓄積があり、内中胚葉の領域化には、16~64細胞期と孵化後の胞胚期が重要であることがわかり、2編の論文を修士課程の修了までにまとめることができました。しかし、実際何の因子が関与しているのかは解らずじまいで、ウニの形態形成機構を知りたいという思いとはほど遠い状況でした。
 さて、生物学の研究者として生きていくためには、車でいえば、運転免許に相当する博士の学位が必要になります。ポスドク制度が今日ほど整備されていなかった当時、アルバイトで生計をたてながら研究を続けている先輩が多かった上に、博士号を取得した女性は早稲田大学の生物学教室にはいませんでした。将来の見通しもなく、体力も自信もないが、研究を続けたい私は、ある日思い切って博士課程への進学について安増先生に尋ねました。研究方向に関するディスカッション後、先生は学位を出す条件を二つ出しました。一つ目は「できれば平均的男性の2倍論文を書くこと」で、ああやっぱりという気持ちでしたが、二つ目が驚きでした。「結婚すること」目が点になりました。安増先生は、個人的見解との前置きをされて、一度しかない人生、研究だけではもったいない、本当に研究が好きならば、子育てをしながらでも続けようとするし、続けられる。そういう人生を送っている人のほうが、研究だけの人よりも素晴らしいと思うとおっしゃり、実例をあげられました。実際、ウニの研究者には、子育てをしながら研究を続けている人が多くいました。この時の会話は、研究者の人生を特別に考えていた私の肩の力を抜いてくれたように思います。私は、博士課程入学直前に、ウニの骨片形成機構の解析により中胚葉の分化マーカーを探す方向に研究テーマを変えて、学位を取得しました。安増先生と話した二つ目の条件をクリアしたのは学位を取得した後のことでした。
 「生き物のこと、知りたいこと、いーっぱいあるんだ!」、小学生だった息子(現在大学生)が毎日発する質問に答えながら、今日まで、研究者の原点は、好きなことを知りたいと思う気持ちだと思っています。
 

(2018年8月掲載)
*所属・職名等は掲載時点のものです。


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