広島大学大学院人間社会科学研究科 人間総合科学プログラム
上廣応用倫理学講座
担当:兼内伸之介(特任学術研究員)
Tel:082-424-6594 FAX:082-424-6990
E-mail:shinnkan*hiroshima-u.ac.jp
(*は半角@に置き換えてください)
本研究イメージ図
(Credit: Kyoto University/ASHBi)
本研究成果のポイント
- 近年、脳オルガノイド(幹細胞から体外で作られる立体的な脳組織)研究が急速に進展しており、さまざまな分野への応用が期待されています。
- こうした中で、本論文では、ヒト脳オルガノイドの研究とその応用に関する法整備に向け、潜在的な法的問題を5つのテーマに分類し、多様な問題を検討するための優先順位を明らかにしました。5つのテーマには、「脳オルガノイドが意識を持つ可能性」、「脳オルガノイドの法的な地位」、「研究・応用における同意取得のあり方」、「脳オルガノイドの所有権」、「脳オルガノイドの移植に伴うリスク」が含まれます。
- 今後は、動物実験やAIなど関連分野との整合性も考慮しつつ、ヒト脳オルガノイドの研究と応用に関する法的議論を重ねていく必要があります。
概要
広島大学大学院人間社会科学研究科上廣応用倫理学講座の片岡雅知 寄附講座准教授、ならびに同研究科の澤井努 特定教授(寄附講座教授兼務、京都大学 高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi) 連携研究者)は、法学者とともにヒト脳オルガノイドの研究とその応用に関する法的問題を分類・整理し、その検討すべき問題を世界で初めて体系的に整理しました。さらには検討すべき問題に適切な優先順位を与えることで、差し迫った問題に取り組み、具体的な提案を行うことが可能になることを示しました。将来的に、ヒト脳オルガノイドの研究とその応用における法整備は、隣接分野との整合性、また国際的な規制との調和も考慮しながら進めていくことが求められます。
本研究成果は、2024年7月5日に学術誌「Journal of Bioethical Inquiry」でオンライン公開されました。
論文情報
- 題目: Human Brain Organoid Research and Applications: Where and How to Meet Legal Challenges?
- 著者: Masanori Kataoka1, Tsung-Ling Lee2, Tsutomu Sawai1,3,4,*
1: 広島大学大学院人間社会科学研究科
2: Graduate Institute of Health and Biotechnology Law, Taipei Medical University, Taipei, Taiwan
3: Centre for Biomedical Ethics, Yong Loo Lin School of Medicine, National University of Singapore
4: 京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)
*: 責任著者 - 雑誌: Journal of Bioethical Inquiry
- URL: https://link.springer.com/article/10.1007/s11673-024-10349-9
- DOI: https://doi.org/10.1007/s11673-024-10349-9
背景
近年、ヒト脳オルガノイド(多能性幹細胞*1等から生体外で作られる立体的な脳組織)を用いた研究が急速に進展しています。脳オルガノイドは、脳の発達に対する理解促進や、脳関連疾患の原因解明のために利用ができると期待されています。その一方で、各国の関連組織や国際組織はヒト脳オルガノイドに関する倫理問題に取り組んできましたが、法的問題の検討についてはほとんど未着手の状態でした。脳オルガノイドの研究とその応用に関する規制を行うためには、個別に行われている法的な議論全体を見渡し、各議論の間で矛盾が生じないような一貫した対応が求められます。本論文は、検討・対処すべき法的問題の優先順位を明確にするため、脳オルガノイド研究に関する法的問題を体系的に整理しました。
研究成果の内容
本論文では、まずヒト脳オルガノイド研究とその応用が引き起こす問題を差し迫ったものと将来的に生じうるものに分類し、発生しうる問題を指摘しました。
① 脳オルガノイドが意識を持つ可能性
脳オルガノイドが意識を持つ可能性は、倫理学者によって最も議論されてきたトピックの1つです。本論文では、意識のレベルを3つの段階に整理し、脳オルガノイドがそれぞれの段階の意識を獲得した場合に生じうる法的問題を整理しました。
② 脳オルガノイドの法的な地位
ヒトの脳オルガノイドには現在、モノという法的な地位が与えられていますが、近年の研究の進展はこの認識に再考を求めています。たとえば今後、ヒト脳オルガノイドはコンピューターの一部に組み込まれる可能性があります。コンピューターの一部として情報処理できる脳オルガノイドが、文章や画像、楽曲を出力した場合、人工知能分野で議論されているのと同様に、知的財産権を保護する目的で、法人格を与えるべきかが争点になるかもしれません。さらに、社会の信念や価値観を反映する形で河川などの自然物に法人格が与えられたり、胎児手術・人工子宮などの医療技術の進展で法的な意味での人という概念に再考が迫られたりする可能性も考えられます。
③ 研究・応用における同意取得のあり方
ヒト脳オルガノイドの作製には市民の方からの細胞提供が必要となります。市民の方からどのように細胞提供に対する同意を取得すべきかについては、現在進行中の重要な法的問題です。これに対して、細胞提供者の方が、自身の細胞からヒト脳オルガノイドを作ることやその目的について十分に納得したうえで提供に同意できるよう、個別のプロジェクトごとの同意方式も提案されています。
④ 脳オルガノイドの所有権
脳オルガノイドの所有権はさまざまな法的問題を引き起こす可能性があります。現在、脳オルガノイドの所有権は研究者や研究機関にある一方で、細胞提供者の方も脳オルガノイドを「自分のもの、自分の一部」と考えやすいことを示す研究があります。法的紛争を未然に防ぐためには、所有権の所在について再検討と明確化が求められます。これに関連して、脳オルガノイド研究のさまざまな応用から得られる金銭的利益の問題があります。現在、細胞提供者の方はこうした利益を得る権利を持ちませんが、この状況は不公平だという指摘があります。ただし金銭的利益の分配は人体の商品化につながる側面もあり、このジレンマについて早急な解決が必要です。また、そもそもヒト脳オルガノイドを商業利用してよいかについては、法規制上、国や地域の間でずれがあります。こうしたずれにより、規制が緩やかな地域と厳しい地域で利益の不公平な分配につながる恐れがあるため、規制の国際的な調和が課題となります。
⑤ 脳オルガノイドの移植に伴うリスク
医療応用への期待から、ヒト脳オルガノイドを動物へ移植する実験が行われています。ここで生じる喫緊の問題に、移植を受ける動物の福祉があります。動物にとってヒト脳オルガノイドの移植は、身体や精神に負の影響を与えるもので、回復にも時間を要します。そのため、適切な管理体制のもとで動物移植が実施されるよう、動物への移植に伴う影響の適切な評価や、移植された動物の研究利用に関する厳格な規制が必要となります。また、遠い将来、ヒト脳オルガノイドが人に移植される可能性があることを踏まえ、移植に伴うリスクの低減や、適切な同意取得方法の整備が必要となります。
本論文では、上記のような多様な法的問題を整理するとともに、検討・対処すべき問題に適切な優先順位を与えることによって、差し迫った問題に具体的な提案を行うことが可能になることを示しました。
今後の展開
現代社会では、最先端の研究や技術の影響は特定の国や地域に限定されなくなっています。このため、研究・技術開発の結果として生じうる問題に対処するためには、国際的に調和した法的枠組みを設けることが重要です。片岡雅知 寄附講座准教授、澤井努 特定教授らは、国内外の脳オルガノイド研究やその応用に関する倫理的・法的議論の一助になるよう、今後もこの分野が提起するさまざまな問題に取り組んでいきます。
謝辞
本研究は、以下の支援により実施しました。
- 日本医療研究開発機構(AMED)令和3年度「脳とこころの研究推進プログラム(精神・神経疾患メカニズム解明プロジェクト)「ヒト脳オルガノイド研究に伴う倫理的・法的・社会的課題に関する研究」[JP21wm0425021](代表者:澤井努)
- 科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題への包括的実践研究開発プログラム(RInCA)「ヒト脳改変の未来に向けた実験倫理学的ELSI研究方法論の開発」[JPMJRS22J4](代表者:太田紘史、分担者:澤井努)
- 日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業若手研究「経験的生命倫理学における方法論の構築とその応用」[21K12908](代表者:澤井努)
- 上廣倫理財団論文投稿助成[UEHIRO2023-0112]
なお、本研究の実施に伴い、申告すべき利益相反はありません。
用語解説
*1: 多能性幹細胞
自己増殖能(無限に増殖する能力)と多分化能(体を構成する全ての細胞に分化できる能力)を持つ細胞。ES細胞(精子と卵子の受精後5〜7日が経過した胚盤胞から内部細胞塊を取り出して人工的に作られる)やiPS細胞(皮膚や血液の細胞に複数の遺伝子を導入して人工的に作られる)がある。
- 報道発表資料(423.46 KB)
- 学術誌: Journal of Bioethical Inquiry
- 広島大学研究者ガイドブック (片岡 雅知 寄附講座准教授)
- 広島大学研究者ガイドブック (澤井 努 特定教授)