2015年8月3日
筆者がま だマスターコースの学生だった頃の昔話である。学内で国際会議が行われることを通学途中の掲示板で見かけた。その会議の目玉が利根川進先生(1987年 ノーベル賞)だと知り、実験の手を止めて同期と二人で「見に」行った。動くノーベル賞学者を生まれて初めて生で見た瞬間であったが、肝心のトークの内容は 「ノックアウト」という言葉が連呼される以外、さっぱりわからなかった。研究室に戻り、新着のNatureをめくったら更にびっくり。先ほど見たばかりの 講演内容がArticleとして大々的に発表されていた。当時の最先端であったノックアウトマウスの作製技術(2007年ノーベル賞)が日本にまだ輸入さ れていない時のことであり、学生心にも世界との差を歴然と見せつけられた思いがした。この会議には癌や免疫の一流研究者に加えて、お一人だけ線虫をやられ ているヒゲの研究者も招待されていた。その方こそ、10年後に細胞死の研究でノーベル賞をもらうことになるRobert Horvitz先生であった。通学途中に偶然見つけた国際会議であったが、そこで目撃した諸々のできごとは筆者にとってはいずれもインスパイアリングな大 事件であり、その後の筆者の進路や取り組み姿勢にも大きな影響を与えることとなった。
さて、筆者が広島大学に就職して数年たった頃。データも揃ってきたので学生さんを誘ってスウェーデンでの国際学会に出席した。筆者が発表トークを終え、会 場から出たところで外国人研究者に呼び止められた。「私はこういう者なのですが」とネームカードを筆者の眼前に示しながら質問に来て下さったその方は、免 疫分野で利根川先生に次ぎノーベル賞を受賞されたスイスのRolf Zinkernagel先生であった。筆者が大パニックに陥ったのは言うまでもないが、当時はスマホもなく、かろうじて先生のサインだけはゲットできたも のの、ツーショット撮影の決定的チャンスを逃してしまった。興奮がひとしきり過ぎ去った頃、カメラ持参の同行学生さんが現れた。「もうー、どこにいってた のさ、ノーベル賞が、シャッターチャンスが」と話しながら、筆者は「もし、さっき」と思い返していた。当時筆者は、次の年からの海外留学先を米国に決めた ばかりであった。もしあのとき、まだ行き先を決めていなかったら・・その場のどさくさに紛れて筆者はスイスへの留学交渉を始めていたかもしれない。この業 界、学会発表がきっかけで就職や留学先が決まってしまうことも決して珍しい話ではない。
外国での学会参加に限らず「日本から出てみること」は、自分に変革や転機をもたらす良い方法であると思う。ある企業では内定を出した学生さんに一定額の旅 費をポンと渡して「外国に行ってきて下さい」と自己研鑽の機会を与える例もあるそうだが、我々実験科学者の主戦場も海外である。学生の皆さん、おもしろい 実験データを得たら外国でも発表してみよう。筆者のグループでは国際学会に参加を希望する学生さんに「ポスターを貼りに行くより、口頭発表に選ばれること を目指そう!」と持ちかけることにしている。質問を聴き取れず立ち往生するのが恥ずかしい?全く心配ご無用、一旦えいっと舞台に上がってしまえば「あとは 意外と何とかなっちゃう」ものだし、「英語も実験も格段に頑張らなきゃダメだな」と本気で思わせてくれる貴重なチャンスだ。そこに至るまでの努力と失敗の 過程も、現地で遭遇するささやかな事件や武勇伝もすべて、きっと皆さんにキラキラした思い出と自信を残してくれるに違いない。
ブルージュ(ベルギー)の国際会議での夕食。ムール貝の白ワイン蒸し(バケツ山盛り)、付け合わせの二度揚げポテト(マヨをつけて)、そしてベルギービールの三点セット(食べかけを慌てて撮影)。現地での食糧調達も学会発表に次いで重要なタスクである。