第32回中島田豊教授

第32回中島田教授「生物科学と生物工学の境界線(1)− 生物科学の憂鬱」
中島田豊教授
中島田 豊 教授

代謝変換制御学研究室

(2018年4月2日)

 生物系の研究といっても様々です。皆さんがイメージされるのは、生物の仕組みを知りたいという探求心からの研究(生物科学)、病気を治したい、世の中をもっと便利にしたいなど、実利的な目的をもった研究(生物工学)かと思います。しかし、実際には生命科学と生命工学は車の両輪で、どちらも必要なものです。今回は、生物科学の分野がいかに労力と時間がかかりそうなのか説明してみたいと思います。

 生物の仕組みを明らかにすることは、生命科学研究の最終的なゴールでしょう。生物の仕組みが完全に明らかになれば、生物はもはやロボットと同じ、人間が完全にコントロールできるし、壊れれば直せるものになります。設計図があればロボットの修理方法がわからないわけありませんよね。

 ただ、生物は現在の技術をもってしてもあまりに複雑です。人間の遺伝子の数は約23,000と言われています。これらの遺伝子から適切な器官、時間にタンパク質が作られて細胞の中で働きます。タンパク質は皮膚や髪の毛などの生物の骨格を形成するだけでなく、化学反応を触媒して様々な化合物(代謝産物)の合成・分解を助けます。これまでに報告されている生体内で作られる化合物の総数は、糖、脂質、アミノ酸、核酸などの細胞の構成成分を除いて、ヒトで3,000種、全生物では200,000種と言われています。

 生物の中では遺伝子から作られるタンパク質と、そのタンパク質により合成される化合物がごった煮のような状況でひしめき合いながら、粛々と生命活動を維持しています。しかも、その成分構成は、生物単位、細胞単位、組織単位、臓器単位、または時間単位、ヒトであれば食事状況、精神状態で変化します。生物系の研究者は、このような様々な単位、状況での生命現象を明らかにするために日々研究を進めています。

 では、いつごろ、生物の仕組みが完全に明らかになるのでしょうか?

 正直わかりません。

 まず、生物のもつ全情報に対して現在までに明らかにされた情報がまだまだ少なすぎるということです。生体内での遺伝子発現や代謝産物合成の制御方法について知らないことがあまりに多い。コンデンサーや抵抗を知っていても、アンプを作りたい場合は増幅回路、コンピュータを作りたい場合はロジック回路を知らないと電気回路は組めない。同じように、生体内の物質がわかっていても制御がわからないと、生物システムを知ったことにはなりません。生物とは、ブラックボックスが沢山あるコンピューターのようなものです。そこに装置(生物)はありますが、設計図と部品の機能は隠されていてわかりません。最近、一部の回路や部品の機能が明らかにされ、全体の部品リストも整備されてきました。しかし、まだまだブラックボックスはたくさんあります。

 そこで、ヒトであれば、約23,000の遺伝子、化合物で3000種、合計26,000の部品リストを見ながら、ある一つのブラックボックス内にどのような部品があるのかを探し、部品の機能が分からなければ調べ、部品の機能からどの部品とどの部品がつながるのかを推定する。そして実際につなげてみて、あるいは部品を一つ取り外して、推定したことが正しいかどうか確認する。この作業を部品全ての相互作用が明らかになるまで延々繰り返すことで、ブラックボックスのメカニズムを解明する方法論が、生命科学研究の主流として行われています。これを、いまだ未知の全てのブラックボックスに適用し、生命現象の制御メカニズム全てを知るためには、まだまだ膨大な実験が必要とされます。さらに、生物はヒトだけではなく微生物、植物いろいろです。それぞれが個別の機能をもっているので、生物ごとの研究が必要であり、これを今、一つ一つクリアしている訳です。

 やるべきことの多さに気が遠くなりますか?

 やるべきことがまだまだ沢山あるとわくわくしますか?

 もっとうまく研究する方法があるだろうと思いますか?

 生物・生命系の研究は、大学では理学部、農学部、工学部、そして医学部で行われています。生物科学系の学部が、物理系、化学系、電気系、建築系などと比較して圧倒的にたくさんあることには理由があるのです。

次回、このようにまだまだ未成熟で、だから面白い生物科学研究分野で、いかにして生物を活用・制御する技術を開発するのか、生物科学と生物工学の境界線(2)­− 生物工学の憂鬱としてお話したいと思います。

 


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