第6回山下一郎教授

バイオのつぶやき第6回山下一郎教授「生物の進化と多様性」
山下 一郎 教授

2015年12月22日

諸言

  DNAの二重らせんモデルが1953年に提唱されてから50年後の2003年、ヒトの遺伝情報である染色体DNA(ゲノム)の全塩基配列が発表された。こ れを機に生物学・医学における革命ともいえるゲノム遺伝学が一気に開花した。これまでせいぜい数個の遺伝子を対象にしていた家内・零細的な遺伝学研究から 一度に数万にも及ぶ遺伝子の変異や発現制御を国際プロジェクトチームで解明しようとする研究が推進されるようになり、画期的な成果が次々に発表されてい る。多数の遺伝子が関与するためにこれまで原因の解明が困難であった糖尿病、高血圧、あるいは精神疾患などについて、数万人規模の解析データから疾病の原 因と思われる候補遺伝子の同定が進み、今後の薬の研究開発において強力な指針となっている。
  一方、ヒト以外のあらゆる生物のゲノム解析も同時に進められ、今では、細菌1,000種、カビ類20種、原生生物25種、昆虫類10種、植物10種、脊椎 動物20種ほどについてゲノムプロジェクトが完了あるいは進行中である。これにより、自然選択による進化を論じたダーウィン(1859年)以来はじめて、 生物の恒常的変化をゲノムレベルで議論できるようになった。
今日の生物学が生物の進化と多様性をどのように捉えているのか、また、生物学が現在及び将来において、人類の文化と福祉にどのような形で貢献しようとしているのかについて私の考えをつぶやいてみる。

1.生物の進化はゲノムの変化を伴う

  生物を構成している有機分子には、DNA、RNA、タンパクの他、主に低分子化合物である糖類、脂質類、ビタミン類などがある。生物(細胞)の遺伝情報は ミトコンドリアやクロロプラスなどを除けばすべてゲノムDNAの塩基配列の中にあり、RNAとタンパクはDNA情報を鋳型にして作られる。タンパクの多く は酵素として働き、化学反応を触媒することですべての低分子化合物を合成する。したがって、DNAが生物の本体であり、個々の生物の特徴はすべてDNAの 中に刻印されていることになる。DNAは次の世代に受け継がれる唯一の物質である。故に、色々な生物を比較し進化の道筋を研究するためには、ゲノムDNA の塩基配列を調べることが最も基本的で重要となる。任意の二つの生物種がいつの時代に分岐したかは、現存する生物の塩基(アミノ酸)配列を調べ、その変化 率と化石年代から推定する。
  生物進化の「第一原則」は、ゲノムサイズが約10倍に増 幅して遺伝子の数が約2倍に増えると生物が劇的に進化することである。生物を二つに大別して、原核生物(細菌)と真核生物に分類している。真核生物には酵 母などカビ類から植物、動物などが含まれる。細菌の祖先は約30億年前に誕生し、約20億年前に真核生物の祖先が出現した(図1)。その後、約5億年前か ら魚類、植物、両生類、爬虫類、鳥類の祖先が次々に誕生し、約1億年前にマウスが、約500万年前にチンパンジーが、ヒト系統と分岐した。細菌類のゲノム は1.5~5百万塩基対(Mbp)から成り、そこにコードされている遺伝子数は1,500から5,000程度である(図1)。酵母のゲノムは12 Mbpで約6,000個の遺伝子をもつ。線虫とショウジョウバエは酵母の約10倍のゲノムサイズで、それぞれ19,000個と14,000個の遺伝子を持 つ。ニワトリと哺乳類のゲノムサイズはさらに10倍となり、約20,000~25,000個の遺伝子を持つと推定されている。
  細菌と酵母、酵母と昆虫、昆虫と哺乳類の間で第一原則が成立している。ヒトを遥かに超える生物が誕生するとすれば、おそらく10億年後に私たちの10倍の ゲノムサイズを持つ生き物かもしれない。生物は常にゲノムを増幅・変化させることで連続的に進化し、多様性を拡張してきた。細胞が分裂せずにゲノムが複製 することで容易にゲノムサイズは2倍になる。これを全ゲノム倍加と言い、生物種が爆発的に増えたときに起こっている(5億5千万年前に脊椎動物の先祖で2 回、魚類ではさらに3億年前にもう1回、植物では3億年前と2億年前に起こった)。

ゲノムサイズと遺伝子数

2.動物の進化:保存性と多様性

  動物は、単細胞の原生動物(アメーバ類など)と多細胞生物である後生動物に大別できる。後生動物はさらに、器官分化のない(程度が極めて低い)海綿動物や 平板動物と、真正後生動物に分類されている。真正後生動物はボディプランによって放射対称性の刺胞動物(クラゲやイソギンチャク)と左右相称動物に大別さ れる(図2)。後者はさらに、脊索動物(魚類やヒト)と棘皮動物(ウニやヒトデ)など原腸陥入口が肛門になる新口動物と、冠輪動物(ミミズ)と脱皮動物 (昆虫)からなる旧口動物に分類されている。刺胞動物は少なくとも6億5千年前に左右相称動物と分岐したと見積もられている。刺胞動物は二胚葉動物で、外 胚葉と内胚葉しかなく中胚葉を持たないが、左右相称動物は三胚葉から成る。
  生物進化の「第二原則」は、進化の過程で一度獲得した工 具(遺伝子)一式(tool kit)はその後も無駄なく利用することである。真正後生動物の先祖は単純なボディプランで出来ており、唯一、前後軸(頭部-尾部、A-P)を持つ。その 後、さらに背腹軸(D-V)を獲得して初めて左右軸(L-R)を持つ左右相称動物(Bilateria)が誕生する(図2)。クラゲからヒトに至るまで、 前後軸の形成を支配している遺伝子は保存されていることが近年明らかになった。前後軸の形成にはWnt遺伝子が後部で、Wnt阻害遺伝子が前部で発現する ことで、前後軸に沿ってWntの勾配ができることが必要である。左右相称動物の背腹軸の形成にはBmp遺伝子とBmp阻害遺伝子が重要であり、背腹軸に 沿ってBmpの勾配が形成される。ただし、新口動物と旧口動物では発現部位が逆転しており、前者ではBmpが腹側にBmp阻害因子が背側に発現するのに対 して、後者ではBmpが背側にBmp阻害因子が腹側に発現する。これは生物進化の面白い側面であり、スイッチをオン・オフする目的を達成するためには使え る道具をわりと自由に選択しているように思える。
  生物進化の「第三原則」は、遺伝子の喪失は迅速な進化を 可能にすることである。最近まで脊索動物はWntやBmpを阻害する新しい遺伝子を進化させたと信じられていた。これは、線虫とショウジョウバエがWnt 阻害遺伝子やBmp阻害遺伝子を持たないからである。しかし、別の旧口動物である軟体動物(カサガイ)のゲノムを相同検索すると、幾つも阻害遺伝子を持つ ことが分かった。従って、これらの遺伝子は左右相称動物の共通先祖ゲノムには存在したが、線虫とショウジョウバエで二次的に失われたと結論できる。共通先 祖は、動物の発生に今日使われている広範囲なタイプの全ての遺伝子を持っていたと思われる。また、幾つかの動物では、そこから坂を転がるように遺伝子を失 い、遺伝子を失ったことで迅速な進化的変化が強力に起こったと言える。このような比較ゲノム学的発見は、遺伝子喪失がボデイプランの進化において基本的な 役割を果たしたかもしれないことを示唆している。
 

後生動物の進化

3.サル・ヒトの進化と多様性:病気の解明と薬の開発

  最後に、ヒトとチンパンジーのゲノムを比較すると「人らしさ」を決めている遺伝子が見えてくることと、ヒトのゲノムはあたかもパッチワークのように継接ぎ でヒト同士でかなりの相違があり多くの疾患の原因となっていることについてお話したい。ヒトとチンパンジーのゲノムサイズは30億塩基対であるが、塩基置 換(3,500万ヵ所)、挿入/欠失(500万ヵ所)、及び多数の染色体再編成など約3%が異なる。ここでも進化の第三原則の例が見つかっている。特に、 組織特異的エンハンサーの欠失は、ヒト系統の形質の喪失(アンドロゲン依存的な感覚毛および陰茎棘の喪失)あるいは獲得(特定脳領域の拡張)を伴う場合が あり、ヒトの進化的分岐で重要な役割を担っていると思われる。
  ヒト同士の差はほとんどないが、ヒトとサルで大きく違うゲノム領域が6か所あり、ヒトの進化に重要と考えられている。この領域中に、一例を挙げると、ヒト の言語発達能に直接関連するFOXP2遺伝子がある。FOXP2タンパクのアミノ酸配列はマウスとサル(1億3千万年)でたった1個しか違わないが、サル とヒト(500万年)では2個も異なる。最近、ヒト型FOXP2遺伝子を持つマウスが作製され、このマウスでは発語不全のヒトにおいて影響がみられる脳部 位にある神経細胞が通常より長い樹状突起を持ちシナプス可塑性も増加していることが報告された。この遺伝子がヒトの進化に際して選択の標的となったことを 強く示唆するものだ。
  ヒト間の相違では、 300万塩基対に及ぶ塩基置換の他に、多くの欠失や重複が見つかっている。近年、これらの変異の中から、病気(例えば、ガン、糖尿病、脂質異常症など)、 薬剤感受性、人種などに強く関連している遺伝子が次々に発見されている。平均すると、各個人につき、注釈付き遺伝子におよそ250~300個の機能喪失型 異型と、これまでに遺伝性疾患への関与が示されている50~100個の異型が存在することがわかった。また、生殖細胞系列の塩基置換変異率は、1世代当た り1塩基対につきおよそ10 −8 であることが算定されている(ヒトのゲノムサイズは30億塩基対であるから、1世代あたり、30個の変異が蓄積することになる)。ガンや糖尿病など多因子 で起こる病気の克服は今日の医学に残された大きな課題であるが、原因遺伝子の解明は着実に進められており、その成果が薬の開発や治療に結実する日はそう遠 くないはずである。


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