第8回登田隆特任教授

バイオのつぶやき第8回登田隆教授「偶然と必然」
登田 隆 特任教授

2016年2月1日

  タイトルを見て、この拙文がJacques Monodの高名な著作と関連する、あるいは何か高尚な哲学を含むと想像されたなら、そのご期待には添うことはできないと最初にお断りしておく。今回”バ イオのつぶやき”への執筆依頼を受け、何について書こうかと考えた時に、頭に過ぎったのが本タイトルである: ”周りで決まることと自分で決めること”と言い換えてもいいかと思う。私とバイオの関わり、研究者になった経緯、発端について思い起こしてみたい。
  もう40年前になるが、当時大学3年生であった私は自分の将来の見通し—職業•就職—に関する確固たる考えがないまま、というよりもそれがないからこそ、 何かを見つけに4年生になる春休み、それまで貯めてきたお金を元にアメリカへ一人旅に出かけた。バジェット旅行で都市間の移動はグレーハウンドバス、確か 1ヶ月半の旅行中、計一週間、車中泊をした。
  友人と過ごす愉快な時間は別として、日本での大学生活に楽しみ、希望を見出せないまま、ではアメリカの大学はどうなんだろうと関心をもって、UCLA, UC Berkeley, University of Coloradoを訪ねて回った。ところがそこで日本の大学と全く違う別世界を目撃した。とにかく雰囲気が明るい、元気が出る、また大学にボーリング場ま である。事務室に行き拙い英語ながら日本からの留学は可能かと訊くと、TOEFLさえクリアすれば入学できるとのこと。
  帰国してから学部留学の策を練ったが、種々の理由から断念。というよりも、何も知識もないまま4年生になってたまたまぶらっと入った研究室で、私の恩師と なる柳田充弘先生からいただいた—『登田君、それならまず日本で博士号を取って、それからアメリカに行きなさい。研究者はいいよ、タイムカードもないし、 世界どこでも行けるから』—という助言に従い、大学院に入学することにした(とはいうものの、それまでの勉強不足のため一年間留年したが、写真)。
  院生生活の間は酵母遺伝学をベースに細胞周期変異体の分離、解析に従事した。その中途、前期(修士)から後期(博士)課程に進む頃、アメリカから遺伝子ク ローニングという燎原の火が日本にも押し寄せてきた。また酵母遺伝集談会(現酵母フォーラム)で、アメリカから帰国したばかりの東江昭夫先生(当時、広島 大工学部発酵工学科助教授)による最先端酵母分子生物学に関する講演を、心が震える深い感銘に浸りながら拝聴した。この瞬間に酵母を使った分子生物学バイ オ研究に従事したいと強く思った。
その後1984年3月に無事博士号を取得し、同4月16日にニューヨークに向けて羽田空港を旅立ったのが、私の研究者としての第一歩である。

研究室ピクニック

柳田充弘先生(左端)の研究室ピクニック。 1979年撮影(筆者は中央、大学院入学のため留年中)


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