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訪問日
2018年10月22日
センパイ
1997年工学研究科修了後、日本電信電話株式会社(NTT)に入社。2015年7月より現職。
訪問記
NTT 研究部門R&D推進担当 担当部長 兵藤 守 氏(1997年工学研究科修了)
兵藤「NTTに入って東京にいると、社内で出身大学の同窓会的な話をよく聞くんですよ。
でも、広大出身はどこに誰がいるのか分からないんですよね…。
だから、北池さんからワイン会のお誘いをもらったときはすごくうれしかったんです。」
千野「広大の卒業生に思うのは、みんな同じ匂いがするんです。
大学卒業して、関東に来た初期段階から1人で生きてきたんですよ。群れない。
ある意味の人間的な強さがある。今おいくつですか?」
兵藤「45歳です。」
千野「45歳で出世頭はどの辺にいるんですか?」
兵藤「えー…担当部長クラスですかね。」
―兵藤さんも担当部長ですよね。
兵藤「おかげさまで(笑)」
広大では船舶海洋工学を学んでいた兵藤さん。『その時は卒業したら潜水艦を作りたくてしょうがなかった』そうですが、なぜNTTに入社されたのでしょうか。
兵藤「なぜ僕がNTTに入ったのかというと、僕の研究室にたまたま、NTTからリクルーターがやってきたことがきっかけなんです。
当時、理系の就職活動は学校推薦でやることが多かったんです。
教室に来た求人情報に対して生徒が希望を出して、重複したら成績とかで調整していたんですね。
そのころは社会人と触れ合う機会がほとんど無かったので、話だけでも聞いてみようかと説明会に行ったんです。
そこからNTTと付かず離れずの関係になって、気に入ってもらったんですが、ある時NTTに行きたいという学生が現れて、就職担当の先生がNTTに連絡したら『そちらからは兵藤くんを取ろうと思っています』といってくれたそうなんです。
でも、自分は潜水艦を作りたくて、とある会社に行きたいといっていて、学校推薦の枠ももらっていたので、先生から『きみは○○(大手造船会社)に行きたいんだろ?何で勝手なことをしているんだ。NTTは断りなさい』と言われ、NTTの採用担当に『あの、先生に怒られたので、ここで失礼させて下さい』と伝えたら、『もし何かあったら、また連絡ください』って言われたんです。
その後、希望してた会社の最終面接まで行ったんですが、翌日、その会社のOBの先生に呼ばれて、『お前昨日何を言った?“謙虚さが無い”と言われてるぞ。だからお前は×だ。』と。
造船会社を落ちた後すぐに、当時携帯電話なんて持ってませんでしたから、公衆電話でNTTに連絡して『落ちました…』と言ったら『明日、松山に来てくれる?面接するから』と言ってくれたんです。
でも、最終面接のときに、志望動機が言えないんです(笑)
昨日まで潜水艦作りたい、と言っていた人間が、NTTに入るモチベーションが無いんですね。
どうしよう…何か言わないと…となった時に、当時マルチメディアという言葉をよく聞くようになっていて、インターネットもこれから、という時代で、海外との通信が増えていることに気づいたんです。
となると、海底線…ケーブル接続…船…あ、繋がるじゃないか!となりまして(笑)
付け焼刃ですが、そういう話をさせてもらってたら採用になったんです。
そんな調子だったので、いざ入社してみても、やりたいことが全く沸かなかったんですね。
本配属で研究所に入ったはいいんですが、そこで研究開発やれって言われた時に、ふと周りをみると、専門の学部学科で、バリバリ論文書いて卒業した同期ばっかりだったんです。僕との差は歴然ですよね。
それから現場で使う試験機みたいなものを開発していたんですが、新入社員が作ったものなんて、現場の厳しい、鬼軍曹のようなおじさん達には使ってもらえなくて、『全然だめだよ、分かってねぇな~』という感じでした。
当時お世話になった先輩がいて、その方は現場たたき上げで頑張っていらした方なんですが、その先輩に『兵藤君、今日空いてる?3時過ぎたら千葉の現場行こうか。夜も空けといてね』って言われて、で、現場で大先輩方に怒られながらも、17時過ぎたら飲みながら懇切丁寧に教えて頂いたってことが何回もあったんです。
その時に初めて、モノを作る側の視点ではなくて、使う側の視点に立って考えて作ることで、初めて使われるようになる、ということを勉強したんです。
だから、入社3年目の頃には『研究開発よりモノを使ってもらうためにどうするか、ということについて取り組みたいんです』という話を面接でしていたんです。
その後はモノを作る側の仕事から離れて、知的財産センタでライセンスに関する業務を行ったり、直近では内閣府の総合科学技術・イノベーション会議に出向して、国の科学技術政策に携わってました。
現在はそういうキャリアを踏まえて、NTTの研究開発の対外的な窓口業務を行っています。」
兵藤「NTTはちょっと前まで、自分たちで仕様を作って、パートナーさんにモノを作って納めてもらうという、悪く言えば殿様のような状態だったんですが、今は○○ by ICTという風に、『皆さんの課題解決をNTTがお手伝いしますので、一緒に新しい価値を作っていきましょう』という考え方に大きく変わってるんです。
相手がどこでどれだけ困っているかを聞き出して、どういう価値を作っていくのか、というお話をしていくのです。
それをNTTはB2B2Xと言っていて、左側の『B』がNTTグループ、真ん中の『B』がパートナーさん、『X』がパートナーさんのお客さんなど、外部の人たちで、NTTグループが技術やICTサービスを提供しながら、一緒に新たな価値を作っていくんです。
そうなると、外とのコネクションを作って話をしながら新しいビジネスモデルを作る、という仕事、『プロデュース担当』が必要になるんです。
私と同じ研究企画部門には60人くらいのプロデュース担当がいて、狙っている分野ごとに分かれてがんばっています。
やっぱり自分の技術を誇りに思っている研究者はたくさんいるんですが、世の人に使ってもらうにはどうすればいいのか、やっている内容を見直したり、別のところに注力したり、これまでの研究に固執せず考え方も改めないといけないこともあると思うです。
その発想の転換を、誰かが導いてあげないといけませんよね。」
千野「その誰かを、兵藤さんがやっているんですか?」
兵藤「そういうことも業務の一つとしてやっています。
これが入社3年目のころから持っている生き方、考え方で、現在まで20年、ブレてないですね。」
千野「なるほど、エラい(笑)
それが、現在の役職にいる理由になるんですか?」
兵藤「そうですね。ただ、今の役職にいる理由としては、前職の内閣府への出向が大きいです。
出向当時は、ちょうど、民主党政権から自民党政権になったばかりで、アベノミクスという言葉がさかんに謳われていた時期だったんですね。
これからの日本経済は、科学技術が無いと発展しない、という方針で、科学政策の立て直しを大きな柱として、総合科学技術・イノベーション会議の事務局に民間からいろんな人が集められたんですね。
NTTにも声がかかって誰かを選ぶということになって、気がついたら自分の上にUFOキャッチャーが現れてました。
行ってみるとそこにはエネルギー・機械・製薬・農業等の異分野の方々がいて、そこの繋がりが今でも続いているんです。」
千野「内閣府にいた時に、びっくりしたこと、苦労したことはありますか?」
兵藤「出向した時は『2位じゃダメなんですか?』はダメで、科学技術を推し進める方針になった時で、政府が新しい目標を立てる時には戦略モノをよく作るのですが、ちょうどそれに着手し始めていた時期でした。
正直、時間の感覚がおかしくなるほど忙しい場所で、ゴールデンウィークも2日しか休みがなかったくらいだったんですが、これからの科学技術政策を自分たちが頑張って作って支えていくんだ、という風に思ったら全く苦じゃなかったんです。」
千野「それは、政府の役人の方々の仕事、一生懸命働くことの面白さに気づいて、マインドセットが変わる瞬間なんだろうなと、想像します。」
兵藤「そこにいる役人の方々も真摯で、熱意のある人がたくさんいたので、とても共感が持てたんです。」
千野「その時、役人や、政府に持っていたイメージは変わったんですか?」
兵藤「変わりましたね。それまで役所と絡む仕事をしてこなかったので、接点がなかったということもあると思いますが、テレビやネットで語られるような世間一般の方々が持つ役人のイメージを、僕も持ってましたからね。」
千野「充実した日々だったんでしょうね。」
―その会議の中で、政府・役人の方々と、民間企業の方々との違いは感じましたか?
兵藤「いや、それはもちろんそれぞれの企業によってモチベーションは異なるとは思いますけど、あの場にいると、企業や政府、あと大学の先生もいましたけど、皆で頑張ろう、という一体感がありましたね。」
千野「同じ志を持つ集団になっていくんですね。」
―不思議ですけどね。違うところから来た寄せ集めの集団が、チームとして一体になるっていうのは。
千野「やりたいことが明確になれば、前に進める、ということですかね。」
兵藤「そうだと思いますね。それは今でも感じるところですね。」
兵藤さんが感じることとして、「『問題』と『課題』の違いについて理解していない人が多い」ということをおっしゃっていました。
兵藤「問題は『今、困っていること。出来ていないこと』、課題は『ありたい姿になるために、なすべきこと』なんです。
それをどうやって設定していくのかが問われるんです。
そうすると今度は戦略とか戦術、という話になってくるんです。
『戦略』は、目的を達成するためにいくつかの『課題』があって、どれをどの順番でいつまでにどのレベルまでやっていくのか、そのためにどういう手段、『戦術』を使っていくのかを、組み立てなければいけないんです。でないと、目標達成のPDCAなどまわせないですよね。」
―兵藤さんはこの組み立て方を、どこで学んだんですか?
兵藤「そうですね…先輩との話、現場での経験、いろんな人と接する中で学んできました。あとは、社内研修の中で、そういうやり方を学んでいったと思います。
しかし、やり方を教わっても自分のものにするためには何かしらの実例が無いと出来ないんです。落とし込めないんです。」
千野「例えば、それで大きな課題をクリアできた経験はあったんですか?」
兵藤「それこそ、総合科学技術・イノベーション会議で科学技術政策を作る時に役に立ちましたね。大きな戦略において科学技術政策をどうすすめるか、ロードマップを作るんです。その時に、これまでの経験のおかげで、自分の担当した部分に大きな手直しがかかることはなかったですね。」
千野「今のお仕事の中では、『尖った』研究者の方々の『翻訳者』の立場になることが重要だと思うのですが、どういうところが難しいんですか?」
兵藤「分かりやすい言葉に置き換えてもらう、ということが大事ですね。
専門用語を一般の人が聞いてわかるかどうかです。
それはプレゼンの仕方、デモの仕方も含めてですね。一方的に自分の思いをワーッと言ってもらうのはいいんですけど、それは聞いていても分からないことが多いんですよね。」
千野「兵藤さんの学術的なバックグラウンドや、キャリアをもってしてもまだ分からないことがあるんですか?」
兵藤「NTTの研究所には2,300名の研究者いて基礎から実用に近いところまで幅広いところまでやってるんです。量子とか基礎研究の大半は何度聞いてもわからないものもあります。」
千野「そういったジャンルを、一般の人に分からせたり、もしくは自分が寄り添ったりするために、どうやっているんですか?」
兵藤「研究者は、自分の研究を外に出したい、民間企業にいる以上はお金にしたい、という気持ちは持っていると思います。
そこで前に出よう、という思いがあったら、どうやって手助けしてあげられるかを考えて、ちょっとしたお手伝いで解決できることは多いと思います。」
千野「その落としどころが分かるのは、経験がなせる業なんですか?」
兵藤「そうですね…お客様の理解度や関心事を理解した上で、プレゼンの仕方についてアドバイスしていきますね。」
千野「兵藤さんの立場から率直に、大学についてどう思われていますか?」
兵藤「大学…一言で言うと、『広島大学何やりたいんですか?』ということにつきます。今、運営費交付金が減っていて、その補填のために民間企業と共同研究をしていて、経産省や文科省、経団連もそれを推進していると思います。
その時に、大学から企業に対して『こういう技術があります』とか『この技術を使えませんか?』という問いかけをされると思うのですが、それって企業側に答えを求めてると思うんですね。
そうじゃなくて『広島大学はこういう世界を作りたい、だからこういう研究をやっている。それを一緒にやりませんか?』という提案、というか営業を企業にかければ、のってくる企業も増えるんじゃないでしょうか。
技術の羅列だけじゃなくて、どういう世界が描こうとしているのか、ロードマップなんかを使いながら見せる部分が必要なのかな、と思います。
あと、広島大学は国立大学の3つの位置づけのうち、『世界と伍して戦う、最先端の大学をめざす』と謳っていますが、ホントにこれでいいのかな?というのは正直思っています。
ある省庁の地方局長からお話を聞いたことがあるんです。
その局長よると、
『今、大学は皆が皆、東大を目指そうとしていて、中小企業を相手にしてないんだ。
かたや地方には農業や、水産や、町工場等、日々の困りごとについて悩んでいる人がいて、そういう人たちは高専に話をしに行っている。
高専の先生は現場まで行って、汗水たらして困りごとの解決に尽力をしている。
本来大学というのは、そういう機能を持ってしかるべきだったのではないか。』
ということでした。
地方大学は、地域の産業を高めるために発展してきた大学だと思っているんです。
例えば広島大学の船舶もそうですし、九州大学の土木・農業、秋田の鉱山など、それぞれの地域の特色を生かした学部がありますよね。
それはその地域の産業を強めるために地場と一緒にやってきたんですが、今のその特色は消えかけているんじゃないかな…と感じますね。」
千野「なるほど。逆に、一度北海道大学の学長の方にお話を伺ったことがあったのですが、『北海道大学は、北海道の発展のためにがんばっています。』っておっしゃったんです。それは素晴らしいな、と思いましたね。」
兵藤「広島大学も、中国地方の発展のためにやります!って言えばいいのに、と思うんです。その中で、世界と戦える技術はあるかもしれないですけど、軸足を置くのは中国地方の困りごとを解決するんだ!ということで良いと思うんです。
でも、矛盾している言い方になってしまうかもしれませんが、基礎研究はしっかりやってほしいです。
今は何に使えるかわからないけど、もしかしたらそれが将来の成長の源泉になるということもありますし、そういうのは大学から出てくるものという気持ちは強く持ってます。」
(左から)千野信浩氏(1985年総合科学部卒業)、兵藤守氏(1997年工学研究科修了)、川村(東京オフィス研修生)
研修生の感想
千野さんの広大卒業生を評した「人間的な強さがある」「群れない」という言葉は、私も取材を重ねてきて感じるところでした。
兵藤様はまさにその通りで、入社当初は人とのつながりが無い、ましてや専門外の業務を行わなければいけない、という逆境の中で、自分の力でノウハウを学び、関係性を築いていきました。
過去に取材した卒業生の皆さま方から「出会いに恵まれた」との言葉を幾度となく耳にしてきました。
そして、出会いに恵まれながらも、その出会いをモノにして自身の成長に繋げる逞しさに感銘を受けてきましたが、
兵藤様のお話からも、出会いを大事にする姿勢を感じました。
また、物事に取り組む時の用意周到さと、熱意。兵藤様の仕事に対する真摯さを感じました。
社会人として、とても学びの多い、有意義な時間になりました。