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訪問日
2019年3月22日(金)
センパイ
中佐 昭夫(ナカサ アキオ)氏
1995年 広島大学工学部第四類(建設系)卒業
1997~2000年 山本理顕設計工場
2001年 ナフ・アーキテクトアンドデザイン有限会社共同設立(共同代表は中薗氏)
住宅関係のほか、幼稚園、保育園、事務所ビルなどを手がけている。
2014年には「しぜんの国保育園」でグッドデザイン賞とキッズデザイン賞を受賞。
ナフ・アーキテクト&デザイン有限会社
http://www.naf-aad.com/
訪問記
一級建築士事務所 ナフ・アーキテクト&デザイン有限会社代表 中佐昭夫 氏
(1995年 広島大学工学部第四類(建設系)卒業)
―ご出身はどちらですか。
中佐:広島です。父親が広島大学工学部第一類の教授をやっていて、僕の類とは違いましたけど、同級生の間でそれが話題になることもよくありました。
その後東京の大学院に進んで、結婚後、家を横浜に作っちゃったんです。広島にはもう帰らないと、戻らないという決意をして、現在の二世帯住宅を立てました。
中佐様ご自宅(写真:矢野紀行)
中佐様ご自宅(写真:矢野紀行)
―ところで、建築士って資格だけど、建築家って資格じゃないじゃないですか。建築家ってどうやったらなれるんですか。
中佐:今自分がそうかどうか分からないんですけどね。
―つまり自称ってことですよね?
中佐:自称ですね。自分は名刺には建築家って書いてないんですよね。あまりそこは言葉の意味のこだわりはないですね。
西条に「と屋」を建築。
ビストロ&バー と屋(写真:大竹静市郎)
ビストロ&バー と屋(写真:大竹静市郎)
中佐:僕、大学院から東京に来ていましたから、横浜の建築家のところに勤めていたんですけど、ここで任された仕事が広島で消防署を建てるって内容だったんです。西区役所の前に、全面ガラス張りの消防署があるんですね。広島出身だという理由で、その建築に関わることになった。
工事に1年半かかるんですけど、現場に張り付くために広島に引っ越せと言われたんです。
里帰りみたいになっちゃって、そうすると広大時代の同級生と飲んだりすることも多くなる。そこには、後に共同代表になる中薗もいました。
「と屋」は中薗が学生時代にアルバイトをしていた飲食店の店長が「独立するから内装を設計してほしい」と言っていたのが現実化したものです。僕が広島に引っ越す前に、中薗からその話はなんとなく聞いていて、二人でやる方がいいものになるんじゃないかと中薗が言い始めて、一緒にやることになった。それが社会人2年目の時ですね。
既に横浜の建築家の元で働いていたので、こっそり内職で作って、それをあとから白状することになってしまって、ちょっと悩みましたね(笑)。
―正式な依頼があって、コンペに進んでというわけではなく、想像よりなんか気軽なノリで始まることもあるんですね。
中佐:例えば、ご自身が家を作ろうとしたときに、本当に頼める人にどうしたら出会えるかって悩むと思うんです。だから身近な人に相談する。当時はインターネットがない時代だからこういうことがよくありましたね。
まだ会社を設立する気持ちは湧いていなかった。けど、と屋を見た人が、僕らじゃない他の事務所に「と屋みたいな家がいい」という注文を言ったらしいんです(笑)。その事務所の人から「あなた方が設計した建物のことを言われてちょっと困っているから力貸して」という電話があって、それも内職で作りました。
だから“なんか仕事が来るんじゃないか”という漠然とした感覚があって。今思えば浅はかなんですけど(笑) 。2000年に3年勤めた会社を辞めて、僕も中薗も。それでこの事務所を作ったんですよ。
―浅はかなんですか。よく聞くのが『新建築』(建築デザイン専門月刊誌)に写真が掲載されたらデビューする。どこかでプロデビューした1つのハードルがあると思うんですけど、それを超えられているから仕事が舞い込んできているのかなと想像しているのですが。
中佐:ハードルはたしかにあると思います。ただ最初は全くのゼロスタートなので、なにか実績がないと、次にはいかないじゃないですか。
幸運なことに、と屋の依頼が次につながったので、“よし独立するしかないだろう!”という若気の至りで独立したんです。蓋を開けたら、スタート時は全く仕事が無い状態。
独立後最初の仕事は、携帯電話のお店を開きたいという知人の相談。
中佐: 内装工事費200万円の10%で、20万円が最初の設計費としての業務報酬。2か月間で2人で20万円を山分けしました。
事務所なんか借りていなくて、中薗と僕の家のどちらかを事務所にしようということに。結果、中薗の家を事務所にしたんですが、朝起きて中薗は自分の家の布団をいそいそと片づけて、僕は友だちの家に遊びに行くような感覚で。でもやることないから、こたつにはまって話をして。
―友だちの家がたまり場になっているのと似ていますね。
中佐:はい(笑)。そういうスタートラインでしたね。なんとかするしかない状態でみんなやっていました。
―建築の世界は、独立してこそ初めてスタートみたいな想像をしたのですが。
中佐:そういう考え方があるのも事実ですが、世の中の建物のほとんどはこういった建築家のものではないです。多くは建築士を組織した企業やメーカーが関わっている建物です。
知人の大学の教授が言うには、建築家として独立したいという学生が減っていて、優秀な子ほどスーパーゼネコンに就職する傾向があるらしいです。
―建築家を目指して結果を残す人、残さない人、この生存確率はどのくらいでしょうか。
中佐:うーん。数値化はしにくいが少ないと思いますね。
こたつからのスタート。
―こたつからオフィスにランクアップするには、何かの成功とかヒットとか、きっかけがあると思うのですが。
中佐:18からの知り合いの中薗とこたつにいると、代わり映えがしなさすぎて、それだと仕事の紹介もできないと知人に言われたこともあって、一応、上幟町にワンルームの事務所を借りたんです。ただ結局、僕は自分の家を引き払っていたのでそこに寝泊まりすることになり、中薗の家でやっていたことと大差なかったですね。
全く将来像に広がりがなかったので、東京事務所を出そうとなったんです。二人とも広島にいても埒が明かないとなった。まぁ当時付き合っていた彼女もいたし・・・。
全員:それが一番の理由じゃないですか!
中佐:まぁ、そうです!(笑)。今の奥さんなので。
全員:よかった~。
中佐:当時、品川区にカビが生えそうなアパートを借りました。
仕事がなくて悶々としていたら、ある時、僕らの設計した建物が掲載されていた『男の隠れ家』という雑誌を見た男性から、設計の相談がしたいという電話があったんです。ここにお招きしたら断られるに違いないと思って(笑)、パークハイアットのラウンジで打ち合わせをしました。
そしたら、その場ですぐに仕事を正式に依頼されたんです。これが東京に事務所を構えて初めての仕事になりました。
お客様に提案するには自分の人生経験、提案力が必要
―口コミやメディアに出ることが極めて大きいツールなんですよね。
中佐:歩いている人が偶然に飛び込みで来るなんてあり得ないですね。僕らの知らないところで情報が回っていることもありますよ。
―雑誌に載せてほしいと中佐さんの方から売り込みに行くことはあるんですか。
中佐:ありますね。僕から編集者にとか、他には、建物を撮影した写真家から紹介を受けることもあるので、様々です。
―お客さんのお話を聞いて、生活動線とか、こういう暮らし方どうですかって提案をされますよね。それって自分の生活体験とか、豊さがないと提案ができないですよね。そこは、特に若い頃なんかはどのようにカバーされていたのですか。どこから発想を学んでいくんですか。
中佐:僕の場合は、建物をなんのために作るのか、それによってどういうことが可能になるのかというコンセプトを大事にしています。それがしっかりしていれば、その方の生活は自然と豊かになるだろうと思っています。
つまり、「ここに豊かなテーブルがあるのでこの価値を享受してください」、という提案方法よりも、空間の使い方や考え方を建築の仕組みとして提案することで、結果的に生活が豊かになるのを目指すという、触媒みたいなやり方かもしれないですね。
―最初のたたき台から、お互いに話合いを進める中で修正を加えて、提案をしていくということですか。
中佐:結構先に、案をバーンと出しちゃいますね。それで是非を問います。
―信頼関係があるからできることなんですね。相手がどんなことを考えているかを知るためのキーワードはあるんですか。
中佐:最初にお会いしたときに、話を注意深く聞いていると、どんなことを考えているかは、自然と出ていますね。最初2.3時間の中で、どんなことを考えているのかの把握に成功すれば、あとは大丈夫。
好きなものを散文的に言う人が多いですね。
これまでのお客さんで、ユニークだったのが、好きなものや気になることを、選んだフォントで箇条書きにして、写真もレイアウトして余白を綺麗に整えて、プレゼンテーションのような資料をA3で作って来られた方がいました。カレーライスの写真の下に、ルーとライスの関係、というようなコメントが添えてあって、これはどう受け取ればいいんだと(笑)。
中佐:ちなみにその方の家の壁には、自動販売機のお金を入れる部分の金物が埋め込んであって、家に貯金ができるんです。こちらから「ビルトイン貯金箱を作りませんか?」といって提案したんですけど、「面白い、面白い」と言ってくださって。
実際にどう使っているかをお聞きしたら、来客にお金を入れてもらっているんだそうです。で、いつ貯金を確認するかというと、家を解体する時なんですよ。
ビルトイン貯金箱! 斬新です
House Snapped(写真:矢野紀行)
― (一同爆笑)それはどれぐらい貯金できるんですか。
中佐:全然わかりません(笑)。
向こう側にはブリキのバケツが置いてあって、お金を入れたら「チャリーン」と音がするんです。
ご夫婦二人が建主なのですが、いつも会話の背景に、独自の人生観とか時間に対する価値観のようなものがあるんですね。だから貯金箱を提案したというのはあります。で、この貯金箱の中身を確認するのは、家を解体する時で、その時は自分たちもどうなっているかわからないけどね、と、家を作る時から、家の寿命を前提にして物事を考えたりしておられましたね。
―相手が言わんとすることをキャッチするセンサーがとても重要な気がしますね。
中佐:提案するからには自信が必要なので、それを一生懸命やっています。ABCの中でどれか選んでくださいというやり方ではなくて、僕の場合は、これしかないでしょというものを一つ出す。
―打率はどのくらいなんですか。
中佐:感覚的には7.8割です。ダメだったら、2回目は丸っきり違うプランを提案します。これまでに3回目の提出は幸いにもしたことがないですね。
事務所のカラー
―これまでの作品は曲線をよく使っている、あとは内でも外でもないスペースを大事にしているというカラーを感じるのですが、ご自身の中で決められているんですか。
中佐:これまでの経験から、事務所のカラーを意識している点もありますね。ただ、カラーを決めているわけではないです。それに縛られる感じがするので。でも、コンセプトを大事にするとか、考え方や使い方を建築の仕組みとして提案するという方法は変えていないですね。
―中薗さんと一緒にされていてストレスは感じないんですか?
中佐:それよく聞かれるんですけど、今、従兄弟か都合の良い遠距離恋愛のような感覚です(笑)。本当に困った時に相談できる相手がいることは大きいですね。
―設計のコンセプトでぶつかることもあると思いますが。
中佐:ツートップが両方とも関わることはしないです。どちらかが責任を取ると着手段階で決めています。
(左から)千野信浩氏(1985年総合科学部卒業)、中佐昭夫氏(1995年工学部卒業)、
三好(東京オフィス研修生)
研修生 三好の感想
お会いした時からお人柄の良さが伝わってくるような、素敵な方でした。雑誌のクライアントへのインタビューを拝読しても、中佐さまは目の前のお客さまに真摯に向き合い、本当にいい空間を提供されてきた建築士ということが伝わってきます。
私自身、これまでも、「仕事は相手との信頼関係が大事だ」と教わってきましたが、それを再確認した取材となりました。相手はどんなモノを求めているのか、何を提供すれば価値が生まれるのか、に応えることは容易ではないと思います。
だからこそ、目の前の一つ一つの課題に対して、手を抜かず、丁寧に向き合っていこうと思いました。
将来、中佐さまに設計を依頼しようかな(笑)
中佐さま、楽しいひと時をありがとうございました!