<お問い合わせ先>
広島大学東京オフィス
TEL:03-6206-7390
E-Mail:tokyo(AT)office.hiroshima-u.ac.jp ※(AT)は半角@に変換して送信してください。
2024年6月27日
センパイ
-弁護士になってすぐ独立されています。そういう場合、仕事が得られずに収入に苦労する方も少なくないと聞きます。
藤元:すぐに仕事があるわけではないので、最初はできるだけ色んな人に会うよう心がけました。一方で、難民支援のNGOでインターンをしており、すぐにそちらが忙しくなりましたし、外国人関係の事件や国選弁護人、法テラス(※)の案件などもやっていました。
(※)法テラス:国によって設立された法的トラブル解決のための「総合案内所」
司法修習の同期が東京にも結構いて、同期からの紹介など、最初はなんでもやっていました。2年目ぐらいからは十分な売り上げができるようになって、仕事がなくて苦労したことはありませんでした。
ただし、仕事の進め方については、試行錯誤しました。たとえば、警察署、拘置所、裁判所などにも、最初から一人で行っていたので、緊張しましたし、事件の進め方についても、いつも悩んでいました。本や文献をひととおり調べて、それでも分からなかったら友達に聞いたりしますが、一人の事務所なので、悩んだ時にすぐに相談できる人がいないのが苦労します。
-大手の弁護士事務所に入ることは考えなかったのですか。
藤元:弁護士としては東京で仕事をしたいと思っていました。伝手はありませんでしたが、なんとかなるかなと。
というのも、音楽活動など、いろんなことをやりたい気持ちがあったんです。どこかの事務所に入ると、事務所の仕事をこなすために拘束されますので、もし事務所に入った場合でも早めに独立しようと思っていました。広島や、司法修習をやっていた長野だと事務所に就職はできたのですが、できるだけ早く東京に出てきたかったですね。
-東京で何をしようと思っていたのでしょうか。
藤元:⾳楽のほかにも、難⺠⽀援の仕事などもやりたいと思っていました。ヒューマン・ライツ・ウォッチという、アメリカの人権NGOの日本支部があり、司法修習中に3週間ぐらい研修させてもらいました。そこでの経験から、難民人権関係の仕事に興味を持っていました。
-そのこだわっていた音楽はいつから活動されているのですか。
藤元:大学の時からです。友達とカラオケに行った時、最初は恥ずかしくてあまり歌いたくなかったのですが、自分でも歌えるようになりたいなと、いろんな音楽を聴くようになりました。歌えるようになると、自分は表現することが好きなのだなと感じたんです。歌っていると楽しかったですし、友達からも褒められました。
当時、キャンパスには一人でクラシックギターを練習している変わった友達がいたのですが、彼に相談して、大学2年生の秋に一緒にギターを買いに行きました。「せっかく買ったんだから、なにか演奏しよう」ということになり、1ヶ月ぐらい練習して、クリスマスイブに広島の本通りで二人で路上ライブをしたのが、人前での演奏デビューでした。
でも音楽を仕事にすることは考えていなかったですね。
-弁護士になろうと思ったのはなぜでしょうか。
藤元:集団生活があまり好きではなかったので、将来会社に入ってしまうと、組織の中では息苦しいのかな、弁護士の資格を取れば、組織に縛られずに個人で生きていけるんじゃないかな、と思ったのです。勉強することは得意だったので、一番難しい試験に挑戦してみたいという気持ちもありました。
-法科大学院ができたばかりのころの進学ですね。
藤元:法科大学院の2期生です。学部4年生の時に司法試験の勉強を始めたのですが、新旧どちらの制度の試験で受験するか、広島大学大学院社会科学研究科で勉強をしながら、1年目は様子見しました。
1年目はどこのロースクールに入るのもかなり高倍率でしたが、2年目で志望者がかなり減ったので、受験したら入ることができるかもしれない、という雰囲気になっていました。
-ロースクールの勉強はいかがでしたか。
藤元:むちゃくちゃきつかったです。
未修者コースと既習者コースがあって、60人の定員中50人が入る3年制の未修者コースに入りました。学年トップレベルの法学部出身者でも未修者コースに入るのが普通でしたね。単位認定が非常に厳しく、3年で卒業できたのは、同期の6割程度でした。
特に広大は、他のロースクールと比べても厳しかったようです。ソクラテスメソッドという、対話形式で進める授業がありましたが、厳しい先生は、きちんと答えられないとみんなの前で叱責することもありました。
当時のロースクールにはいろんな人が在籍していて、お医者さんが3人ぐらい、官僚を辞めた人などもいましたね。
-勉強はどんな風に厳しかったですか。
藤元:朝から晩まで自習室が使えるのですが、一日中そこにいて勉強しているのに、単位を落としてしまう人もいたくらいです。クラスの中心的なメンバーの間で、勉強をどう進めたらいいかの情報共有がされていて、その情報網から漏れてしまうと試験で苦労するんです。だから自習室にはちゃんといって、いろんな人から情報をもらうようにしていました。
そんな厳しい広大のロースクールでも、1期目の卒業生の司法試験合格率があまり高くなくて、トップクラスでも不合格になっています。
-そんな中、藤元さんはストレートで合格されたんですね。
藤元:試験後は、まだまだ勉強不足だったなという感触があり、ほぼ100%不合格だと思いました。ロースクール内での成績、僕は中の下ぐらい。それだとほぼ受からないのですが、合格してとてもびっくりしたし、周りからは「奇跡だ」と言われました(笑)。
-その後、どんな経緯で音楽を再開されたのですか。
藤元:まずは生活できるように、弁護士の仕事を優先して頑張っていました。
2010年4月に東京に出てきて5月に弁護士登録、阿佐ヶ谷の自宅マンションに事務所を立ち上げて開業しました。半年ぐらいで、インターンしていたNGO内に事務所を移させてもらったのですが、その後かなり忙しくなり、周りの⽅がNGOの業務をしている中で⾃分だけ弁護⼠業務をしているのも居づらく、翌年の5⽉に新宿御苑に事務所を借りました。
順調にやっていましたが、音楽を再開する余裕がなく、ライブを再開したのは2013年の3月でした。
-弁護士の方で目立つことは考えなかったのですか。
藤元:弁護士としてむちゃくちゃすごい人を見ているので、純粋な弁護士としての能力以外のところで勝負した方がいいかなと。
弁護士の仕事を始めたばかりの頃は、LGBT関係を取り扱っていて、一時期は「LGBT+弁護士」で検索結果のトップに出ていたこともありました。取材を受けたりテレビに出たこともあるのですが、その後LGBTを取り扱う弁護士が増えてきましたし、そもそも、いい弁護士は目立つ必要がないと思っています。
弁護士は、あまり自分の意見をいう必要がない仕事で、法律や判例を調べて厳格に対応するなど、自分を抑えることが必要です。一方で音楽活動は、弁護士の枠にとらわれず、自由に自分を表現することができます。
-今は、音楽もプロとして活動しているのですよね。
藤元:タイタンという芸能事務所に所属していて、芸人としてギターの弾き語りで活動しています。弁護士活動を元に歌を作り、ライブハウスで演奏していたのですが、月に1回程度から始めて、その後「本気でやらなけりゃ」と、週に1回のペースでライブをやるようになりました。ジャンルはフォークで、大学時代に1970年代のさだまさしなど日本のフォークをギターで弾いていたのがベースになっています。そして、2019年頃から「面白い歌を作る」方に寄っていきました。
-芸人になったのは、どういうきっかけですか。
藤元:2022年頃、「法廷の座る位置」という、裁判で弁護士がどこに座るかをユーモアを交えて歌う曲を作りました。以前、法廷画家の方に描いていただいた法廷の絵があったので、ライブの時にその絵を見せながら歌うとわかりやすいかなと思ってやってみたところ、芸人がフリップを出してネタをやっているのと同じ感覚に見えたようで、「こんなことをやっている人は他にいないから、売れるんじゃないか」といろんな方から言われました。
何かチャレンジしてみようと、2023年1月に「R-1グランプリ」にピン芸人として出場したところ、1回戦を突破できました。これまでの音楽活動では考えられないぐらいの反響があって、高校時代の先輩から「見たよ」と連絡をもらったりしました。
ちゃんとウケて結果がでたので「お笑いで、いけるかも」という手ごたえを感じました。
-事務所に所属するきっかけは何だったのでしょうか。
藤元:タイタンの養成所が、ここから歩いて1分くらいの場所にできて、以前何度かライブを見に行ったことがあったのですが、そこでタイタンに所属できるオーディションをやっていることを知り、応募しました。ライブ形式のオーディションなどを経て、エントリーした20組の中から、タイタンの事務所ライブに出演できる2組のひとつとして選ばれました。
出演後、「本気でやるなら養成所に入らないか」との話があったのですが、僕は元々学校とか会社とかが嫌いなタイプなので、養成所には行きたくない(笑)、「タイタンには入りたいけど、養成所には入りたくない」といったんお断りしたのです。
その後、いろんな方に「チャンスだから行ってみたらいいんじゃない」と言われて、「1年ぐらい籍だけ置いて、たまに顔を出しておけばいいかな」と考え直して、2023年5月に養成所に入ることにしました。
実際に入ってみたら、まわりがむちゃくちゃガチで、さぼれる雰囲気ではありませんでした。キャリアがある芸人や若い方、脱サラ組などがいて、まるで広大のロースクールみたいな感じでした(笑)。
毎週のようにネタ見せをやって、2週間に1回はお客さんの前でライブをやる。お笑いの作家さんがそれを見て格付けをしていきます。弁護士もやりながらだったので、自分の人生の中で一番、というぐらい、ものすごく大変でした。
(タイタンWEBサイト プロフィール写真より)
-養成所にはいつまで所属したのですか。
藤元:今年の4⽉まで1年間所属して卒業し、2024年5⽉1⽇付でタイタンの事務所所属になりました。また、卒業生のうち、毎年1組だけが「タイタンシネマライブ」という、爆笑問題さんなど⼈気お笑い芸⼈が出演して全国の映画館で同時中継されるお笑いライブに出演できるのですが、それに選んでいただけました。
-すごいですね。何がよかったのだと思われますか。
藤元:10年間の音楽活動で、弾き語りライブを何百本もやって、持ち曲も80曲ぐらいありましたので、芸として仕上がっていたことがよかったのだと思います。弁護士で、ギターを弾けて、弁護士の歌を歌う、というスタイルが他になかったですし。
-芸人としての収入はどうなんでしょう。
藤元:基本は弁護士の収入があるので問題ないのですが、芸人の収入はまだほとんどありません。ライブ週2本程度に加えて、オーディション、ネタ見せなどが週1、2回あります。弁護士も普通にやっており、大変ですが、なるべく工夫して両立していきたいです。
-今後はどうしていかれるのでしょうか。
藤元:弁護士はこのまま続けて、芸人としての仕事も受けるつもりです。それから、「M-1グランプリ」「R-1グランプリ」「キングオブコント」のような賞レースにはひととおりチャレンジして、お笑いの経験を積んでいきたいと思っています。
司法書士の友人とは「弁護士司法書士」というコンビで「キングオブコント」にエントリーしていますし、「M-1グランプリ」はコンビを変えたら何度でもエントリーできるので、3組でエントリーしています。M-1には、NHKの番組で短歌を教えている歌人の枡野浩一さんとのユニット「歌人裁判」でも出る予定です。
-今、楽しいことばかり、のようですが。
藤元:プレッシャーでつらくて、毎日泣きそうです。
事務所に所属したてで爆笑問題さんのYouTubeに呼ばれたりしているので、周りからの厳しい目があります。お笑いのネタ以外、エピソードトーク、大喜利など芸人として要求されることが、思ったようにできないことがもどかしいですし、もう次回呼ばれないんじゃないかという緊張感もあります。
-芸人としてのゴールはありますか。
藤元:まずはテレビに出演したいですね。その上で、いろんな人にネタを見たり聞いたりしてもらいたいです。
弁護士として、依頼者の方が目の前で泣いたり、亡くなられたりと、クローズドな空間でドラマチックなことをたくさん経験してきています。
裁判所の判断におかしさを感じたり、いろんな人が悩み、苦しみ、悲しんでいる状況などを見てきました。悩んだり苦しんだりしていることについて、「実際は必ずしも悩んだり苦しんだりする必要はないんだよ」ということを、自分自身に聞かせたいです。そして、お笑いにして多くの方に伝えたいです。