東千田通学の相棒、スーパーカブ号

去る3月15日に東京都江東区の運転免許試験場を訪れて、運転免許自主返納を行いました。5年ごとに更新してきましたが、70歳を過ぎると試技運転が義務付けられ、クリヤーする自信がないからです。

免許を取得したのは19歳の時、以来50年以上経過しましたが車に乗ったのは1回限りで、それも50m程でした。一方、スーパーカブ号は1年半、通学に利用しました。

1968年に広島大学に編入、東千田町の本学構内で各クラブが入部の勧誘を行っており、迷わずワンダーフォーゲル部に入部しました。1971年、千田町の工学部構内での事。バイクで通学しているワンゲル部の同級生がバイク運転しているのを目撃して、チョット乗りたいと申し出て便乗。誠に軽快だったので、数日も経たぬ内にスーパーカブ号を買いました。下宿アパート(翠町)・千田町間の通学が自転車からバイクに変わって楽しくなりました。

1972年の夏、貿易会社に就職が決まって最後の学生生活は、海外の社会を見聞したいとの思いが強くなっていました。それは、ワンゲル部の先輩達がウラジオストックからシベリア鉄道に乗ってモスクワまで行った話や、後輩がアフガニスタンを旅行した話を聞いたからです。

念願叶って日本ユースホステル協会が初めて企画した「海外自由旅行」に参加することができました。自由とは、行きと帰りの日・飛行機便が決まっていて、両日以外は自由に行動しなさいというもので、私は西欧40日間を選びました。現地での足は、1カ月有効のユーレイル・パスです。さて、残り実質8日間の足をどうするか、迷わずヒッチハイクに決めました。オランダ・アムステルダム市内のユースホステルに泊まった翌日から道路に立ってパリを目指します。一歩でもパリに近い所まで乗っけてもらいました。路上に2時間立ったこともありました。若い女の子がホンダのバイクに乗りスカートをヒラヒラさせていました。その頃、カリフォルニア・サーフィン・ミュージックのビーチボーイズのLittle  Hondaがヒットしていた影響でしょう。但し、日本車には1台も出会いませんでした。

何故、ホンダを選んだのか。一つはLittle Hondaの軽快な音楽による影響、一つは誰もが乗り易い設計だと思います。他2社のバイクは頑丈で、そこそこ運転技術がないと乗れそうにない感じを受けたからです。

(井崎 淳一郎    工学研究科電気工学専攻 修士課程 1973年卒業 会社経営)


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