広島から850km、2号線をバイクでひた走った就職試験

ホンダと私 ~おめでとう!三部さん

1985年、秋。右手には午前の太陽に眩く輝く、真青な太平洋だ。
浜松の砂浜で仮眠後再びバイクで走り出してから、気持ちのいい陽射しと風をずっと浴び続けている。
宇品の下宿を出たのは、国道2号線の交通量が減った夜中。高速代を払えない貧乏学生ライダーはひたすら下道を東へ進み、就職試験のために東京に向かっている。

それが大学から社会へと離陸し始めた頃の強烈に記憶に残るツーリングの1シーンだ。

ヘルメットを持って向かったテレビ番組制作会社の試験では面接も追加されていた。
面接官から聞かれた。「君は上と下の格好が全然違うね。」
下はジーンズにカウボーイブーツ。上は東京の友達に借りたジャケットとネクタイ。「広島から一般道850kmは、なかなかハードで楽しかったです。」

寒さに耐えられなくなった深夜は長距離トラックの後ろをついて走って風を除け燃費を稼ぎ、ドライバーたちが好む定食が美味しくて安いドライブインを見つける話なんかをした。面接官の中には革ツナギやジャンバーの見るからにライダーたちもいて笑った。

新聞広告で募集を見つけたその会社には実はツーリング部があって、伊丹十三さんなどの監督や俳優も参加しているらしかった。当時放送されていたホンダ一社提供の人気番組「素晴らしき仲間」(ライバル社制作だったけど)そのままのような、独立して自由な雰囲気のテレビマンたちだった。

翌1986年春には先輩の女性プロデューサーから譲ってもらったホンダ、VT250Z(バイク便ライダーも良く乗っていた機動力あるネイキッドモデル)に跨って東京で働き始めていた。

毎日小さな都内マップを携帯して大都市の見知らぬ道を駆け廻り、打合せや取材、編集に行って働き、恋人の元へ帰っては、さらに二人乗りして遊びに行った。彼女はすぐに後ろに乗るのに飽きて、「アメリカ横断ウルトラクイズ」や始まったばかりの「世界ふしぎ発見!」の長いロケでボーイフレンドがいない間に免許を取り、街乗りで取り回しの良いホンダを自分のものにして去っていった。

1989年。古舘伊知郎さんが初めてF1を実況した年、その構成チームに加わっていた。実況に構成?って思うでしょ。例えばこうだ。

リカルド・パトレーゼがクラッシュした瞬間、古舘さんが叫ぶ。「無残やな 兜の下のきりぎりす!」・・・そんなフレーズを沢山仕込んだノートをGP毎に準備して転戦する古舘さんに渡していたってこと。
おしゃべり界のポールポジションドライバーは、トレーニングも事前準備も万端。努力も超一流だったからこそ、時代を彩った名調子は次々と生まれ出たわけだ。

忘れがたいのは「音速の貴公子」セナが本田宗一郎氏の前で走ったGPで、2人をギリシャ神話のイカロスとダイダロスに例えたフレーズ。「セナよ、太陽に灼かれるな!」
その時は誰もが想像し得なかったはずだ。数年後ホンダF1撤退の後に起きるサンマリノGPの悲劇は。

ホンダエンジンがマクラーレンで世界を制し続けた驚異の黄金時代。
ホンダの活躍は太陽の様に、世界を目指して働く若者たちの胸を焦がし元気づけた。

ホンダはテレビ番組でも、若者たちの挑戦や創造を一貫して応援し続けてきた企業だ。

1999年から2000年。僕は夢に向かって挑戦する若者たちを紹介するホンダ一社提供のレギュラー番組「ターニングポイント」(朝日放送・テレビ朝日系列)の制作に没頭していた。2000年代後半には、創造的なチャレンジを応援するコンセプトを受け継ぐ形で「未来創造堂」(日テレ)というレギュラーも長く一社提供して頂いた。

番組で紹介した若者たちの多くは、それぞれの道で一流となって活躍し、今も走り続けている。彼らもまさに、生けるホンダ・ドリームの精神だ。

様々なホンダの物語が、バイクと共に大学時代を過ごし社会に出た青年の中にあった。
青年は見知らぬ世界を旅して大人になり成熟して。歳月はスピードを上げてどんどん過ぎた。
多分最初のツーリングで感覚的に理解していた。
人生は驚きと発見が連続する旅だ。そのスリルと感動を噛みしめて生き続けることが、ライダーの宿命で幸福だ。

そして2021年春、数日前のこと。ニュースを見て驚いた!
広大の先輩がホンダそのものの貌になって、新たな時代のホンダの夢を発表していた。
「カーボンニュートラル、クリーンエネルギー、リソースサーキュレーション・・・」
素晴らしいじゃないか。ホンダはいつも、夢を創造への情熱で実現してきた。
三部さんの掲げる夢も、必ず成し遂げられるだろう。

久しぶりにライダーの血が騒いだ。数年後には新たなEV二輪車が発売されるらしい。
ジェット機は無理だけど中型位ならまだ大丈夫だ。その時は、眩く輝く青い水平線を横目に走りたい。
新しいホンダに乗って、まだまだ続く夢の物語を生きていきたい。

(村田吉廣 文学部フランス語学フランス文学 1986年卒 テレビ番組演出・プロデューサー)


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