ホンダ3章

第1章 

ホンダ節
バイク 買うなら ホンダだな ホーイ ホイ
くるま 買うのも ホンダだな ホーイ ホイ
バイクも くるまも やっぱり ホンダだ ホンダだな
ホンダだな ホンダだな やっぱり バイクは ホンダだな
くるまも ホンダだ 農機も ホンダだ
ジェットも ホンダだ ホンダだな
ホンダだららった ホンダだららった ホンダだ ホンダだ ホンダだな
だから みんなで ホンダだよ ホンダ
 
農機 買うなら ホンダだよ ホンダ
ジェット 買うのも ホンダだよ ホンダ
くるまも バイクも 農機も ジェットも ホンダ だな
ホンダだな ホンダだな やっぱり ホンダだ ホンダだな
ホンダだ ホンダだ ホンダだ ホンダだ
ホンダだ ホンダだ ホンダだな
ホンダだららった ホンダだららった ホンダだ ホンダだ ホンダだな
だから みんなで ホンダだよ ホンダ
(以上 ホンダラ行進曲風に 替え歌)

第2章

ベンリーCD125K3レストア。あだ名は、観音号とブルーカナリア。松山・島根間往復後、オイル残量が5ccもなかった。のにも関わらず、未だに動く。疲れない。デザインが色褪せない。全く飽きない。

C72ドリーム号をニコイチでレストア中。キックの降りない、中身サビサビのエンジンを、始動までこぎつけたが、只今電装部品の不具か?30分くらいで止まり、動きの繰り返し中。レストア開始から二年半目に突入。メカのことは知識ゼロで、無茶な挑戦だったが、素人の私でも、ネットで、寄せ集めの情報知識で点の知識を線にし、あとは手探りと感で、メカを組み、エンジンが動いた。その瞬間、ミッションインポシブルでも、ポシブルになるって知る。実際の配線と、配線図の理解には3日もかかったりした。何度も、分解組み立てを繰り返していると、ホンダのメカは、とことん追い込んであるって事がわかった。

第3章 

ホンダと私との、初めての出会いは、昭和36年頃?。青空色のスーパーカブだった。近所の役所努めのおばさんが、通勤に使っていた。その長男がわたしを載せてくれて、坂をぐんぐん登った事を思い出す。で、そこの次男が、なんと、とってもスポーティーな完璧なバイクに乗っていて、高校時代に羨ましく思った思い出がある。それが、CB250だった。よそのどのバイクにもない、その野太い、ホンダノイズ!が、今でも耳に残っているのだ。

そして高校生の時、我が家にも、50ccのスーパーカブがやってきた。グリーンだった。癖がなく、高校生の私でも、普通に乗れていたのだが、今から思うと、良くできたバイクだった。大山に友達と、ツーリングと名を打って、登った。友達は皆、CL90等、90cc以上。その中で、私だけが50ccだった。それが、今でも語りぐさと成っている。急な上りの大山だが、エンジンは焼付きもしなかった。

高校時代は、ホンダの車には、特に魅了された。通学時に良く見た、赤いウィンカーは四角いけれど、日の丸のように見えて、ゼロ戦をイメージするグリーンのN360に始まり、NⅢ、ホンダZ、ホンダ1300、クーペ7と、それらは、衝撃的なデザインの連続だった。今思うとそれ等は、立体を意識した、芸術とでも言えるデザインだったからだ。実際に乗ったのは、NⅢ。京都、大阪まで長距離ツーリングを何度かした。松江の友達の兄さんが、当時、ホンダでデザイナーをしていて、ホンダ1300のデザインをしたとか、N360のホイールキャップのデザインをしたとか、話を聞いたりして胸踊らせた。

初代シビックには、2台乗っている。まったくコンパクトで扱いやすかった。内装も、無駄なものがなく、今でも十分通用する。

その後は、プレリュードだったが、走りはピカイチ。内装も、シート、カラーリング等、独特で、ゴージャスな気分にさせてくれた。

そして、バイクはGL400カスタム。故障もすること無く、約10年間、大阪と山陰を月に2度程度往復した。東京の青山でニュージーランドの外人さんに、同じバイクに乗っていて、これがベストなバイク、他人とは思えない。って言っています。と通訳が話しかけてきた。通算20年も乗ったのだろうか。故障は一切なかった。

ホンダの旧バイクを一言で言うと、日本の民謡。その心は、精神性が有って飽きないアート。そりゃそうだろう、原点がアート商会だもの。アート驚く、・・郎。

(卯月の風)


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