大正生まれの祖父と、モスグリーンのスーパーカブ

私の祖父は大正13年生まれ、バリバリの若手として戦争も経験した世代だ。日本全体が貧しかった時代、祖父は小学校を出た後は一家の稼ぎ手として仕事をしていた。兵庫の田舎で農耕期は田んぼと畑仕事、冬は丹波杜氏として灘にて酒造りの出稼ぎをし、父を含む4人兄弟を育てるため休む間もなく1年中働いていた。勉強せよ、物を大事にしろ、嘘をつくなと誰よりもしつけに厳しかった。特に食事にはうるさかった。米粒が茶碗に残っていようものなら、もの凄いスピードで箸が飛んできた。(それもマナー悪くないかと子どもながらに思いながら・・・。)だから、叱られることのない冬は正直ほっとした気持ちで過ごしていた。

そんな祖父は車の免許を持っていなかった。唯一、原付の免許だけは持っていた。愛車はモスグリーンのスーパーカブ。フロントとハンドルには透明の防風カバー、後部には車体に対して大きすぎる籐編みのカゴがしっかりと括りつけられていた。カッコいいとは言えないスタイルではあるが「働くカブ」としてカスタマイズされていた。働き者の祖父らしい仕様だ。野良着で煙草をくわえながら、どこに行くにもカブに乗って行った。

広大に無事合格した時に、一番喜んでくれたのは祖父だった。今では合格発表はインターネットで発表されるが、当時は封筒で届いた。合格の文字が書かれた紙を握りしめて、祖父が働いている畑へ知らせに行った。いつも怖い祖父が「ようやった」と自分のことのように喜んでくれたのだった。

それから広島での学生生活を経て、東京で働くことになった。「いつ帰ってくるんや?」と帰省の度に言われながらも何とも返事もできないまま、9年前、私に長男が生まれた半年後に他界した。

祖父が乗った何代目のカブかわからないが、今も実家の車庫に置いてある。祖父の生き様があふれたスーパーカブ。祖父のように今の自分が立派に生きているのだろうか?と自問自答しながら、たまに引っ張り出して乗っている。

(関口功 工学研究科 2004年修了 事務機器/オフィスデザイン会社勤務)


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