dioが与えてくれた自由

大学生時代。とある初夏、人生で初めて手にした自由な移動手段はホンダのdioでした。先輩から不動車をタダで貰い、ネットで調べた情報でキャブを洗浄。プラグを交換。2stオイルを補充。外装はキズをパテ埋めして再塗装。マフラーは蜂の巣箱になっていたため中古の別部品に交換。ズタボロになったシートを張替え、斜めになったzxのエンブレムを綺麗に貼り直して、はじめて、キックでエンジンを始動しました。

パ、パ、パロロロ。

と弱々しく始動したエンジンはマフラーから白煙を立ち上らせながら、僕を遠くへ連れて行こうとします。
塗り直されたムラのある外装がキラリと光り、思わずニヤリ。

いても立ってもいられず、その日は授業をサボり大学から南へ。大芝島までフルスロットルで駆け抜けました。道に飛び出すデカい雄の鹿。島へとかかる短い橋。橋のたもとの崩れた堤防の流されそうな外灯。ほっぺに刺さるカナブン。牡蠣の直売所。500円しか買ってないのに明らかにサービスされた量の牡蠣。。。いまでも色鮮やかに思い出されます。

が、それ以外に、忘れがたい瞬間が帰り道で訪れました。

あたりは暗くなってき、帰り道の登り坂を悲鳴を上げながら登るdio。山中で店も無く、腹は鳴り、帰りを急ぐ右手は、より強くアクセルグリップを捻ろうとします。
…しかし次の瞬間、高回転で回り続けるツーストロークのエンジンが、一瞬、フッ…と息継ぎをしたかと思うとガロロ…と小さな音を立てながら止まってしまいました…。

…初めてのエンジンブロー。下見の家まで押して帰っていたら、朝の4時。モチロン次の日の授業は参加できず。
その日、授業終わりに僕を心配して家にきてくれた友人は、レンジでチンした牡蠣を食いつつ、意気消沈する僕をみて、こう言ったのです。

「先輩が、フロントフォークのまがったdioくれるってよ。」

モチロンその日のうちに取りに行きエンジンを載せ替えました。
腹の上にドスリとエンジンを落とし、持ち上げて別のエンジンを載せ替える。
前夜の疲労で足は感覚がなく、エンジンを持ち上げる腕は彼女のハンディマッサージ機のように震えていました。
エンジンの載せ替えの終わった僕は、その喜びからか、コーヒーの飲み過ぎからなのか分かりませんが、激しく動悸し、単気筒エンジンのように震えていました。

キックを蹴る。蹴る…蹴る。
パロロロォ。
ウオオオオオオオオ!!

エンジンよりけたたましく僕は吠えました。

早速、牡蠣の殻で遊ぶ友人と試運転。友人のジ○グZRを追いかけ下道で深夜の小谷サービスエリアへ。(下道からもsaへアクセスできる駐車場、入口があります。)
原付きで、サービスエリア。という謎の背徳感に酔いながら自販機でコーヒー。なんならシャワーも浴びました。

「彼女も車も欲しいナァ。」
「この時期でもホットコーヒー欲しいワイ。」

…なんて他愛のない話をして、帰宅したら朝の4時。モチロン翌日の授業は参加できず、教授からのメールを見て単位を落としたのを確信します。
後にこの単位はめでたく留年への致命傷となりました…。

dioの与えてくれた、致死量の自由。

無限の思い出。ホントいいバイクでした。

メーターは何周したか覚えてませんが、このあとまだ二度ほどエンジンを載せかえつつ、僕を毎日大学に送り届け、大学を出るまで立派に動き続けてくれました。
現在、そのdioは広大の後輩のもとへ。自由を届けに走っているようです。
手軽な50cc、若造の思い出づくりに一役かってますよ!なくさないで…。。

私は後に手に入れた(広島から故郷の香川へしまなみ海道を通る10時間以上のツーリングを複数経験する)ja01カブを手直して乗ってます。ついこの前、中型免許もとったので、gb350s買うかナ…!なんて妄想してます、ホンダのバイク好きなアラサーのオッサンのお話でした。

(ぽんさん)


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