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研究者への軌跡

小学校教員志望がいつのまにか

氏名:栁原 宏和     

専攻:数学専攻

職名:教授

専門分野:統計科学

略歴:
1991年3月 山口県立山口高等学校卒業
1996年3月 広島大学学校教育学部小学校教員養成課程卒業
1998年3月 広島大学大学院理学研究科博士課程前期修了
2001年3月 広島大学大学院理学研究科博士課程後期修了
2001年4月-2003年3月 統計数理研究所調査実験解析研究系助手
2002年4月-2003年2月 千葉大学法経学部非常勤講師
2003年2月-3月 文部科学省在外研究員(派遣先: Laboratory for Social Research, University of Notre Dame)
2003年4月-2004年3月 筑波大学社会工学系講師
2004年3月-5月 文部科学省在外研究員(派遣先: Laboratory for Social Research, University of Notre Dame)
2004年4月-2006年6月 筑波大学大学院システム情報工学研究科講師
2006年7月-2007年3月 広島大学大学院理学研究科助教授
2007年4月-現在 広島大学大学院理学研究科准教授 現在に至る
2007年6月-2010年5月 株式会社東京カンテイ技術指導員

 

私の子供の頃の夢は小学校教員になることでした。それも特に、教科の中では一番理科が好きだったので、理科を専門とする教員になりたかった。高校1年生のとき、私の兄が広島大学に進学していたこともあり、広島大学は教員養成に力を入れている大学であることを知りました。その頃から自分の夢が広島大学学校教育学部小学校教員養成課程(現教育学部初等教育教員養成コース)に進学して、小学校教員になるという具体的なものになりました。
 

最初の転機は高校3年生のときに来きました。そのときの私のクラスの担任は数学の先生で、毎日数学のプリントを1枚宿題に出していました。日頃宿題などまったくしなかった私は、当然のようにその宿題を無視していました。未だに何故そんな気持ちになったのかはよくわかりませんが、夏休みを過ぎた頃から何故かその宿題が気になり、今度は毎日そのプリント問題を解くようになりました。その頃から、理科の先生になるという夢が徐々に算数を専門とする小学校教員になるという夢に変化していきました。
 

が、しょせん夏休みから受験勉強を始めた者が受かるような大学はありませんでした。その後何とか一浪して広島大学学校教育学部小学校教員養成課程に入学することができましたが、入学時にまた新たな転機がやってきました。その当時、小学校教員養成課程では領域というものがあり、入学時にどの領域に配属されるかが決まっていました。一応アンケートで希望をとっていましたが、私の場合、数学領域を希望していたにもかかわらず、美術領域に配属することになってしまいました。はっきり言ってくさりました。入学初日に美術領域の先生にくってかかりました。でも、基本的に美術は好きではあったので、デザインや塑像などの講義だけは受けていました。美術の講義は嫌いではありませんでしたが、大学院に行って博士号だけは取りたいと思っていたので、美術よりも数学領域に変りたいという気持ちが日々大きくなっていました。そのときたまたま、数学領域の学生がやめ、定員が空いたため数学への領域変更が出来るという情報が入ってきました。そこで2年生にあがる前に転領域というものを行い、晴れて数学領域に変ることができました。あのとき、定員が空かなかったら私はここにはいないでしょう。
 

次の転機は3年生の後期のときです。その当時、学校教育学部では、3年生の後期でゼミ配属が決まっていました。私は大学院で組み合わせ論を勉強したかったので、組み合わせ論を指導して下さる先生を希望しました。しかしその先生は思いのほか人気があり、定員の約2倍の学生が希望し、じゃんけんで配属を決めることになりました。今考えると将来のことがじゃんけんで決まることに恐怖を感じますが、何とか奇跡的にじゃんけんで勝って(それも最後の1人)希望のゼミに配属されることとなりました。ところが、私以外の他の学生はどうしても組み合わせ論を勉強したくなかったらしく、何度説得しても首を立てに振らず、組み合わせ論ではなく統計学をするという折衷案で妥協してもらい、2名を誘い統計学を卒論で勉強することになりました。統計学との長い長い付き合いはこのときから始まります。もしあのときじゃんけんで負けていたり、または、組み合わせ論をやってもいいということになっていたらどうなっていたでしょう。少なくても、今ここで長ったらしい文章を書いているということはなかったでしょう。
 

次の転機は大学院進学のときです。私の兄が大学院に進学したこともあり、小学校教員にはなりたかったが博士号だけはどうしても取得したかったのですが、その当時学校教育学部の大学院には博士課程前期課程だけで後期課程がありませんでした。そのため、当時の指導教官の勧めもあり、理学研究科数学専攻を受験することにしました。果たして受かるかどうか心配ではありましたが、本当にたまたま、私がゼミでこってりと絞られた内容(今でもはっきり覚えているカイ二乗分布の特性関数に関する問題)が入試問題に出て、何とか合格することができました。広島大学大学院理学研究科数学専攻との付き合いはまさにここからはじまりました。未だに本当によく合格できたなと自分でも思います。バンドばかりに力を入れていたのでほとんど講義には出席せずに、留年ぎりぎりの大学時代でした。
 

その後、また紆余曲折があり、いつどこで明確に気持ちが変化したかはよく覚えていませんが、気がついたら小学校教員への夢は大学教員になることにすり替わっていました。本当に人間いつどこで変るかわからないとつくづく思います。高校生のときは将来大学の先生になっているなんて想像すらできないでしょう。いろいろなこととの出会いやその当時は回り道と思ったことにより自分は変ってきたと思っています。今はその素敵な出会いや周り道に感謝しています。


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