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研究者への軌跡

アメリカで始めた研究生活

氏名:木村 俊一

専攻:数学専攻

職名:教授

専門分野:代数幾何

略歴:1987年東京大学理学修士、1990年シカゴ大学Ph.D. マサチューセツ工科大学、ユタ大学、ヴァージニア大学、マックスプランク研究所を経て1996年広島大学へ。

 

研究者というか、大学教員としての最初の就職先はマサチューセツ工科大学だった。博士の学位を取ったのがシカゴ大学だったので、アメリカの大学教育の実情を知ってはいたが、いやそれだけに、アメリカの大学で英語で数学を教える、ということに不安があった。学生は、高い授業料を払った分だけは元を取らせてもらおう、と気迫に溢れ、先生は本当にやる気のある奴だけに真の学問というものを教えてやる、と綿密に授業準備をし、お互いに相手に少しでも隙があれば一撃で切り捨ててやる、と議論が火花を散らす場所。教室はまさに戦場なのである。その上、私が割り当てられた授業が、解析の Recitation(メインの授業の他に小クラスにわかれて行われる復習用の授業)。数学は大きく分けて代数、解析、幾何の3分野からなるのであるが、私の専門は代数幾何。つまり解析はもっとも私の専門から遠い分野なのである。講義を割り当てた事務の人にその不安を打ち明けると、「You don’t know nothing!」(知らないことなんて何もないわよ!)とぴしっと言われた。「でも、recitation って何をすればいいんですか?」「Involve them!」(学生たちを巻き込みなさい!)あ、そっか、それでいいのか。この一言で随分気が楽になった。メインの授業で、大事なことは全部説明してもらえるし、それを自分で勉強するのは、学生の責任だ。Recitation の先生がやるべきことは、とにかく生徒を数学に巻き込んで、数学について考えさせれば良いのである。
 

夢を見た。アメリカの学生に英文法を教えている夢である。To 不定詞の例文と、前置詞のTo の例文を並べて書いて、学生に違いを指摘させようというのだ。一人の学生が手をあげて何か発言を始めるが、何を言っているのか聞き取れない。何度も聞き返すうちに、他の学生が手を挙げて、最初の学生に何か反論している。二人の激しい口論が始まり、他の学生も加わり、教師の私一人が何が問題になっているかさっぱりわからず教壇で呆然としている…
 

実際の講義でも、アメリカの学生は実によく発言した。それは仕方がない、こちらの英語が隙だらけなのだから、向こうからは斬りつけたい放題である。でもよくよく聴いてみると、学生の質問だって、隙だらけだった。これは後のユタ大学でのことだが、積分を教えていたときのこと。複雑な体積計算を部分積分で処理して、答は2分の1、何か質問は、というと学生が勢い良く手をあげて、「先生、最後の1行がわかりません。」という。最後の1行って、まさか4分の1足す4分の1が2分の1、ってここかい?「はい、今急に疑問に思ったんですけど、なぜ4分の1足す4分の1が8分の2じゃなくて2分の1なんでしょう?」豪速球に備えて身構えていると、時々こんな超スローボールが飛んできてタイミングをはずされる。あわてることはない、落ち着いてさばけば良い。黒板に円を描いて十文字に4等分し、左下と右下を順に塗りつぶして「これがそれぞれ4分の1、ほら合わせて2分の1だろう。」「あ、本当だあ。」良い質問でも悪い質問でも学生は頓着なく聞いてきて、教室の雰囲気は明るかった。こちらの英語が下手なので学生は聞き取るのに苦労していたようだが、身振り手振りで何とか通じるものである。
 

ボストンの地元新聞の一面トップの記事で派手に扱われたことがある。英語の発音を矯正するソフトについての電話取材ということで色々体験談を話すと「外人大学教師の幼稚な英語に学生はイライラ」という記事で、英語の下手な教師の代表例としてその体験談が使われたのである。このときの経緯は「留学は人生のリセット」所収「それでもアメリカが好き」というエッセイで詳しく書いたのでそちらを見ていただきたいが、事務の方や同僚の先生方が丁寧にこちらの立場に立って対応して下さったのが印象に残っている。
 

広島で教えるようになってから10年以上たつが、いまだにアメリカの大学生活で懐かしいと思うのが、あの学生たち。人の迷惑をかえりみずにどんどん手を挙げて、好き放題に発言する。困ることも多かったが、授業はそんな学生とのやり取りで進んでいった。広大数学科では4年生でセミナーが始まり、そこでは似た雰囲気にしてくれる学生もいるが、普通の授業ではこちらが一方的に話すだけで、物足りなさを感じる。
 

そして、協力的な事務の人たち。大学教員の仕事は研究と教育であって、その他の一切の雑用は事務の人が引き受けてくれるので、本当にやりたいことに専念できた。日本の事務の方も個人個人は良い方ばかりなので、これはシステムの問題なのであろう。日本の大学でも教員がわけのわからない書類に時間を取られず、研究なり教育なりやりたいことに専念できるようになってもらいたいものである。


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