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研究者への軌跡

やりたいことをおやりなさい

氏名:佐々木  良 勝     

専攻:数学専攻

職名:助教

専門分野:特殊函数論、値分布論

略歴:
昭和48年 山形県生まれ。
平成 9年3月 東京大学教養学部基礎科学科第一卒業。
平成11年3月 東京大学大学院数理科学研究科修士課程修了。
平成15年3月 同博士課程修了。
平成15年4月~平成17年1月15日 東京大学大学院数理科学研究科
学術研究支援員および研究拠点形成特任研究員。
平成17年1月16日~平成19年3月 九州大学大学院数理学研究院 特任助手。
平成20年4月~平成21年3月 東京大学大学院数理科学研究科 学術研究支援員。
平成20年4月~平成21年3月 国立鶴岡工業高等専門学校 講師。
平成21年4月より現職。弓道参段。

 

1.子供の頃
実家は寺でありました。檀家50件ほどの小さな寺です。住職を務める父が読書好きで、檀家の人も読めるように、本堂に本がいっぱい置いてある、そんな寺でした。もっとも、ご多聞に漏れず、私は本よりも漫画が好きな子供でした。
ドラえもん、横山三国志、シャーロック・ホームズ全集(小学館)、エリア学習事典(学研)にこの時期大きな影響を受けたと思います。学校の勉強とは別に、自分が読みたい本を読むという習慣を持てたのは好きな本の存在があるからだと思います。
ドラえもんは何度も繰り返し読みました。人との関わりや科学への興味など、現在に至る人としての基盤はドラえもんに学んだような気がします。
巨匠横山光輝による三国志は、後に述べるように後年私の学習方法や読書習慣に大きな影響を与え、東京大学への進学へとつながりました。これも何度も繰り返し読みました。
シャーロック・ホームズ全集は私にとって、論理というものへ触れた端緒であり、後に数学を学ぶ底流になったと思います。これも何度も繰り返し読みました。
エリア学習事典は数学の巻がお気に入り。興味を惹いた事実をノートに抜書きしてまとめていました。自分で調べたりまとめたりする良い経験となりました。
 

2.高校・大学教養
私が進学した山形県立酒田東高校はのほほんとした雰囲気の田舎の進学校でした。毎日30分、自転車で通いました。応援団で3年間活動しました。高校時代に培った気合は今でも私の生き抜く武器です。
高校3年のときに東大受験を決意し、伝説の参考書『理系新作問題演習』(大学への数学臨時増刊)に出会いました。さっぱり歯が立たないので…問題と解答を丸一冊全部書き写しました。三国志では書物はみな筆写して学んでいましたから。その春の入試には間に合いませんでしたが、翌年の東大後期入試では数学を選択し合格しました。
大学に入って半年経った頃、岩波文庫の『孫氏』を持ち歩いて読み、半年かけて暗誦しました。三国志では優れた軍師のみならず、ごつい武将達が軒並み「六韜三略を諳んじ」ているので、現代教育を受けた自分が諳んじられぬことはあるまいと思ったのです。この一冊ととことん付き合い、自信がつきましたし、暗記力も向上しました。
大学では理学部物理学科に進学を目指していましたが、東大には進学振り分け制度があり、入学後の成績で点数が足りないと希望の学科に進学できません。理物に進学するには点数が足りなかったので、実験無しで物理が学べそうな教養学部基礎科学科第一に進学しました。学部の同期生たちとは今でもときどき会います。本当に、良き友人は宝です。
 

3.恩師との出会い
恩師岡本和夫先生と出会ったのは基礎科学科第一の2年後期のセミナーでした。最初の3回のうち初回は寝過ごして大遅刻、2回目は出たものの、3回目は寝飛ばしてしまい、その日のうちに先生の研究室に謝罪に行き、セミナーの履修を取りやめることを申し出ました。また別の科目で会うこともあるから、と慰められたのを憶えています。翌年後期、性懲りも無く岡本先生のセミナーをとり、以後、学部・修士・博士・研究員と10年以上にわたって岡本研でお世話になりました。数学のセミナーの自由な雰囲気が居心地良かったし、お師匠さまのお人柄にも惹かれました。物理に現れる特殊函数、という研究対象も私の志向にピッタリでした。それでパンルヴェ超越函数の研究をすることになり、今に至っています。
卒研の半年だけは薩摩先生にお世話になり、戸田盛和先生の本でソリトンの勉強をしました。その縁で戸田先生の『相対性理論30講』の構成刷りに目を通させていただき、同書の前書きに謝辞を入れていただけたのは良い記念です。岡本先生と薩摩先生は楽しい酒が飲める陽気な先生方でした。研究者への軌跡において恩師や周囲の人たちの人柄の影響は大きいと思います。
修士論文ではある可積分系の特殊解を求積しましたが、私はパンルヴェ超越函数の超越的な性質を追及したいと考えていました。「自分の師匠と同じことをやっても評価されない」と岡本先生、坂井秀隆先生(東大)から別々にうかがったこともあり、お師匠さまから薦めもあって、パンルヴェ超越函数の値分布なるものを考え始めた矢先、数学会で下村俊先生(慶應大)の講演を拝聴し、「やろうと思ってたこと全部終わってる…」と意気消沈した日のことを思い出します。その後、ときどき下村先生に話を聴いていただきながら、博士課程4年目にして、リーマン面上でのパンルヴェ超越函数の値分布や高階類似に関する博士論文を提出することができました。
 

4.研究生活
学位取得後はしばらく燃え尽きていました。助手に応募しないかとお声をかけてくださった先生もありましたが、残念ながら応えられず、当時スタートしたCOEの研究員として勤めるかたわら、近くの私大の非常勤講師をして2年近く過ごしました。ちょうど博士の就職難が盛んに言われ始めた頃です。
特任助手として九大に移ったのを機に、なまりきった体を弓道・自転車・筋トレなどで徹底的に鍛え直し、論文も書きました。研究は体力です。そしてやはり結果が全てであり、結果を出せば移り先は必ずあります。東大に戻って1年過ごした後、国立鶴岡工業高専に採用され、さらに1年後に広島大学に着任し、現在に至ります。
 

5.結語
楽しいことなら続けられます。やりたいことをやるのが一番です。また、人との出会い、本との出会いから生涯学び続けていく、それが人間だと思います。支えてくれた人たち、お世話になった多くの人たちに、この場を借り改めて感謝を申し上げたいと思います。


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