ふとしたきっかけ
氏名:安東 淳一
専攻:地球惑星システム学専攻
職階:教授
専門分野:岩石鉱物物性、地球内部ダイナミクス
略歴:理学研究科助手。理学博士。
1963年生まれ。鹿児島大学理学部卒業、東北大学大学院理学研究科博士課程後期修了。
日本学術振興会特別研究員、ニューヨーク州立大学ストニーブルック校博士研究員を経て現在に至る。
今でもはっきりと覚えている光景があります。今から18年くらい前、修士論文の発表を一月後にひかえた日曜日の午後、6階にある研究室の窓辺に居した机に向かい虚ろな気持ちで僕は座っていました。僕の修士論文のテーマは、神奈川県の三浦半島の地質調査を行い、どの様な場所で三浦半島が形成されたのかを明らかにするものでした。この研究で僕は、1年間に100日以上の野外調査を行い、どこにどの様な地層が分布しているのか、また、地層中に残されている堆積構造(地層中の模様)を詳細に調べる事に没頭しました。
しかし、野外調査の期間中、また、大学に戻ってデーターをまとめている期間中、ずっと悩み続けていた事がありました。それは、自分が調査し記載収集したデーターからでは、どうしても絵あわせ的な結論しか導けないという悩みです。今にして思うと、この様な悩みは、もっぱら自分の勉強不足のせいではあるものの、自分の研究を常に客観的に見つめ、次のステップのより本質的な研究を行う為には必要な事だと考えられます。でも、当時の僕は、自分の研究を通じて地球のダイナミックな運動が何故生じているのかという地球内部の研究を行ってみたいと考える様になっていましたし、そもそも、地層の記載から絵あわせ的に導きだされた結論は地球科学に貢献しうるのだろうか(研究をする意味があるのか)?と、自分の進めている研究を前向きに捉える事ができなくなっていました。がむしゃらに勉強して悩みを打開するのではなく、ただ単にマイナスの暗い気持ちに支配されていました。とにかく毎日が憂鬱でした。
その日は日曜日でしたが、修士論文をまとめなければいけないという義務感のみで研究室に来ていました。でも、その様な悩みがもとでなかなか研究に没頭できません。外ではカラスがカーと鳴き、物悲しさが倍増した事を覚えています。たそがれた気持ちでいる時、今では某大学で立派な研究者となっている先輩が近寄ってこられました。当時の先輩方は一癖も二癖もあり、近寄りがたい人が多かったのですが、この先輩はものごしが柔らかな人でしたので、僕は悩みを少しだけ話しました。
そうすると、その先輩はまるでクラーク博士が北の大地でそうしている様に、窓から見える木々を指差しながら、“あの木を一本一本記載する事も科学だ。ただ単なる無目的な現象の記載は科学する意味を持たないけれども、十分な目的意識と下準備のもとで行われている記載は科学として成り立つ。そういった研究であれば、天才が科学のある分野をブレークスルー際に、引用される様な結果を導ける可能性がある”といった旨の話をされました。尊敬できる先輩からの言葉だけに勇気が湧きました。と同時に、僕に足りなかった事は、研究に対する信念だと強く感じました。先輩とのたった5分から10分程度の会話でしたが、先輩の言葉は僕の心に沁みこみ、それ故、その時の情景は今でも脳裏に焼きついています。
その後は、興味を持ち、ある程度の勉強の後に開始した研究であれば、その途上で不安を感じたり、多少先が見えなくなってしまっても、周りに人の言動に迷わされずに突き進める様になりました。また、深く興味を持ち研究をしてみたいと思った事は、自信をもって研究を開始できる様にもなりました。とにかく信念を持つ事、今でもそう自分に言い聞かせています。
僕が研究を進めている地球科学の分野では、地震・火山災害などの人間生活に密接に関係した研究を行っている人も多くいますが、大部分の研究者は“基礎科学”を行っています。
この“基礎科学”は、明日や明後日の人間社会生活には直接的には結びついていません。しかし、“芸術”や“スポーツ”や“音楽”と同様に人間の心に強い影響を与えうる存在です。“芸術”“スポーツ”“音楽”は、どれもなければなくて人間は明日を生きていけます。でも、好きな野球チームが勝った際の高揚感、悲しい映画を見た後の悲哀の情、好きな音楽を聴いている時の安心感、など、人間の心を豊かにし、確かに人間に生きがいを与えています。“基礎科学”は、これからはもっと社会に向けて情報を発信していかなければいけませんが、人間の知りたいという気持ちに対して、自然の謎を解き明かす事で強い刺激を与えています。“基礎科学”は、“芸術”“スポーツ”“音楽”と同様のすばらしい人間活動です。
今、僕は社会の一員として現在を生きています。その為に、日々、色々な悩みの種が出てきてしまい右往左往して毎日を過ごしています。しかし、僕はすばらしい“基礎科学”を行える立場にいます。こと研究に関しては、自然が“好きだ”と思う気持ちを大切に、そして“何ものにもとらわれない自由な発想”のもとに自然の謎を解き明かすという信念を持ち続け、偉大な先輩研究者達に少しでも近づける様に右往左往する事なく楽しんでいきたいと思っています。この様な気持ちを持つ事ができるようになった、ちょっとしたきっかけである、あの日が懐かしく思い出されます。